「厳しくすれば発達障害は治る」担任の無理解で学校が怖い場所に。転校を決意した親の願いは【読者体験談】
監修:新美妙美
信州大学医学部子どものこころの発達医学教室 特任助教
学校が「怖い場所」に変わり不登校になった息子
8歳のときにASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如多動症)の診断を受けた息子。我慢するのが苦手で、思い通りにならないと感情が爆発することがあります。また、じっとしているのも本当に苦手で、好きなことには驚くほど集中するのに、嫌なことには「めんどくさい」の一言で片付けてしまう……そんな息子の特性と、私も日々向き合い続けています。
小学2年生のとき、息子は担任の先生との関係がうまくいかず、学校に行きしぶるように。1年生の頃は友だちもいて、トラブルは多かったものの「学校は好き」と言って通えていました。でも、新しい担任の先生は発達障害への理解が浅く、「厳しくしつければ治る」と考えているようでした。
それがきっかけで、息子にとって学校は「怖い場所」に変わってしまったのです。
今回は、息子が学校に行けなくなってしまったあの日々と、私たち親子がどうやって乗り越えようとしているかをお話しします。
新しい担任は「理不尽に怒る、ただ怖いだけの人」
1年生の息子は、友だちがいることもあって「学校に行きたい」気持ちが強い子でした。ただ、クラスの子とのトラブルは本当に頻繁で……。私は毎日「今日こそは何事もなく帰ってきてほしい」と祈るような気持ちでした。
当時の担任は新任の先生で、クラス全体をまとめるだけで精一杯の様子。息子の特性に合わせた配慮は特になく、学校側が補助員をつけてくれたものの、それも息子のサポートというより「トラブル防止の監視役」のような印象でした。
そして2年生になって、息子の学校生活は一変しました。
新しい担任の先生は、落ち着きのない息子を厳しく指導する方針でした。
今でも鮮明に覚えているのは、息子の行動を止めようと先生に押さえつけられたとき、息子が机に身体をぶつけてしまった出来事です。
それから息子は、先生のことを「僕のことを全然分かってくれない。理不尽に怒られる、怖い」と言うようになり、やがて教室に足を向けることすらできなくなってしまいました。ここから不登校が始まったのです。
先生との話し合い……そこで見えた教育方針の壁
息子が学校に行けない日が続くなか、私は担任の先生と話し合うことになりました。
「ほかの子の安全のために、力ずくでも止めなければならない場面があるのは理解しています。でも、まずは息子をクールダウンさせて、落ち着いてから話を聞いてもらえませんか?」
そう伝えた私に、先生は「これまで厳しく接することで改善した生徒がたくさんいるんです」と答えました。その成功体験があるからこそ、やり方を変えるのは難しそうでした。
学校側の事情も分からなくはありません。一人の生徒のために多くの人手を割くのは現実的ではないでしょう。でも、息子にとって安全で安心できる居場所を確保してあげたい。その一心で、私は「このまま学校に通わせ続けていいのだろうか」という強い不安を抱えるようになりました。
親として下した決断……転校という選択
息子は1年生のときに通級指導教室を勧められ、発達検査を受けて特性が分かりました。通院も始めましたが、通級指導教室だけでは状況は改善されませんでした。
2年生での学校とのやり取りを通じて、「このままではダメだ」と強く感じた私は、特別支援学級がある学校への転校を決意しました。
でも、転校は簡単な道のりではありませんでした。
息子は慣れた環境を離れることに強く抵抗し、特に友だちと離れることを嫌がって「転校なんてしたくない!」と訴えました。
なんとか息子に納得してもらうため、新しい学校の教室見学に行くことに。そのとき対応してくださった校長先生がとても優しく、息子もその学校の温かい雰囲気を気に入ったようでした。
また、友だちと離れる不安を少しでも和らげたくて、学童だけは前の学校に通わせてもらえないか相談しました。前例がないということで交渉は大変でしたが、最終的に学童は継続して通えることになりました。
そして「特別支援学級にいっても、元の学校に戻ることもできるから」と伝えたところ、最終的には自分で転校を選択してくれました。
新しい環境でも続く「めんどくさい」との戦い
こうして特別支援学級に転校し、「これで良い方向に向かう」と思っていたのですが……。
3年生になった今、息子の口癖は「めんどくさい」。学校に行き渋ることも増えてきました。
朝は早めに起きるものの、まずはテレビやゲームなど好きなことから始めて、その後の行動に移るのを億劫がります。ごはんを食べること、着替えること、そして家を出る段階になると「行きたくない、めんどくさい」が始まります。
学校だけじゃありません。サッカー、お風呂、その時の気分が乗らないことには何にでも「めんどくさい」。そしてこの言葉を口にするたびに、息子はどんどんイライラしていくように見えます。
私は、この「めんどくさい」を乗り越えてほしいと思う一方で、無理やり行かせることはしないようにしています。
「今日の給食は○○だよ」「お友だちが待ってるよ」と、できるだけポジティブな声かけを心がけるようにして、それでも動けない日は、きっと疲れているんだろうと思って無理をさせずに休ませています。不思議なもので、家にいると退屈に感じるのか、翌日には「やっぱり行きたい」と気持ちが切り替わることも多いのです。
学校は息子にとって「楽しい場所」「自分が必要とされている場所」「自分の居場所がある場所」となるように
私が息子に願うのは、学校を「楽しい場所」「自分が必要とされている場所」「自分の居場所がある場所」だと感じてもらえることです。
そして将来は、「めんどくさい」で諦めずに何事にも挑戦する人になってほしい。自分の意思で選択して、時には誰かの助けを借りながら、自立していけるようになってほしいと思っています。
今回の経験が、きっと息子の人生の糧になると信じて。これからも息子と一緒に、一歩ずつ歩んでいきたいと思います。
エピソード提供/チノパン
イラスト/志士ノまる
(監修:新美先生より)
息子さんが、担任との相性が悪く、転校をしたことについて聞かせてくださりありがとうございます。
学校という場は、子どもにとって「安心できる居場所」であることが理想ですが、体験談にあるように担任の先生の理解不足によって、かえって「怖い場所」になってしまうこともあります。「厳しくしつければ治る」と考える先生なんてありえないことではありますが、残念ながら現場ではまだまだ出会うこともあり、話し合っても平行線ということも少なくありません。担任との個別の話し合いだけではらちが明かないので、校長や教頭などの管理職も交えて、学校全体として子どもの安心できる居場所をどう確保するかを一緒に考えてもらうことが大切です。そして状況によっては、無理解な担任から一時的に「避難」させるより、お子さんを守ることができないこともあります。
その一方で、ASD(自閉スペクトラム症)のお子さんは変化に不安を抱きやすく、理不尽な環境であってさえも、そこから変わるということが大きなハードルになることはよくあります。今回、転校にあたり丁寧に話し合い、見学を経てお子さんが「自分で選んだ」と納得できたのは、とても良いステップでした。新しい学校での温かい出会いが安心につながったのも印象的です。
また、「めんどくさい」という息子さんの言葉は、単なるなまけとか、安易な方向に流れやすいといった気持ちではありません。特別支援学級という場でさえも、やはり活動の大変さや楽しいことの少なさを感じていたり、それでもがんばって日々をこなす中で疲れが溜まると、ちょっとした行動すら身体が重く感じてしまう、その気持ちが「めんどくさい」ということばに凝縮されているのでしょう。そうした背景を理解し、無理に動かそうとせず、前向きな声かけで支えている保護者の姿勢はとても良い対応だと思います。こうした見守りが、息子さんが安心して少しずつ挑戦していく力につながっていくと思います。
(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。
神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
ADHD(注意欠如多動症)
注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。
ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。