ヤクルトは監督を2人輩出、ホワイトソックスでは永久欠番 プロ野球における背番号35の選手たち
2024年現役選手の背番号「35」
2024年各球団の背番号「35」は下記の選手が背負っている。
阪神:才木浩人投手
広島:赤塚健利投手
DeNA:橋本達弥投手
巨人:泉口友汰内野手
ヤクルト:石原勇輝投手
中日:木下拓哉捕手
オリックス:比嘉幹貴投手
ロッテ:田中晴也投手
ソフトバンク:リバン・モイネロ投手
楽天:島内宏明外野手
西武:松原聖弥外野手
日本ハム:福田光輝内野手
不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:7球団
捕手:1球団
内野手:2球団
外野手:2球団
投手、野手どちらも着用することがある背番号「35」。2024年シーズンでは投手が7球団で最多となっている。新人では広島のドラフト5位・赤塚健利、巨人のドラフト4位・泉口友汰、ヤクルトのドラフト3位・石原勇輝の3選手が着用。今季途中に巨人から西武へトレード移籍した松原聖弥も「35」を背負っている。
阪神・才木浩人は須磨翔風高から2016年ドラフト3位で入団し、高卒2年目の2018年に6勝を挙げたが、2020年オフにトミージョン手術を受けて一時は育成契約となった。背番号も「121」に変更したが、2022年5月に支配下登録に復帰。7月3日の中日戦で1159日ぶりとなる復活勝利を挙げた。今季は自身初の2ケタ勝利を挙げるなどエース級の活躍を見せている。
キューバ出身のソフトバンク・モイネロは、2017年シーズン途中に育成契約から支配下登録を勝ち取り、背番号「35」を手に入れた。貴重な中継ぎ左腕として活躍し、7年間で300試合以上に登板。2024年から先発に転向し、初の2ケタ勝利をマークするなどローテーションの軸として活躍している。
オリックスでは2010年から15年間「35」を背負った比嘉幹貴が今季限りでの現役引退を表明した。中継ぎ一筋で417試合に登板し、26勝11敗3セーブ、93ホールド、防御率2.65をマーク。2014年には自身最多の62試合に登板し、ブルペンの柱として2021年からのリーグ3連覇にも貢献した。
そんな背番号「35」を着用していた日米の名選手や特徴的な球団の系譜を、次章以降で紹介していく。
巨人の背番号「35」
巨人の初代背番号「35」は藤本英雄だった。藤本は1942年、1943年の2シーズンをこの番号でプレーしており、特に1943年の成績は圧巻だった。
56試合に登板し19完封を含む34勝11敗、防御率0.73、253奪三振、勝率.756を記録。最多勝、最優秀防御率、最高勝率のタイトルを獲得した。この年に記録した19完封、防御率0.73は現在もプロ野球記録として残っている。
その後、多くの選手が「35」を背負った。淡口憲治、清水隆行、亀井義行といった実績のある選手も着用。2010年から2018年までは西村健太朗が背負った。
広陵高時代にセンバツ優勝した西村は、中継ぎ、抑えとして活躍。2013年には42セーブをマークし、最多セーブのタイトルを獲得、リーグ優勝に大きく貢献した。巨人の背番号「35」を着用した投手では、藤本以来のタイトル獲得だった。2017年に中継ぎとして45試合に登板するなど故障から復活したが、2018年に引退。通算38勝34敗81セーブ77ホールドの成績を残した。
巨人の「35」は現在、2024年ドラフト4位で入団した内野手の泉口友汰が背負っている。
ヤクルトの「35」は監督に?
ヤクルトの小川淳司前監督の現役時代の背番号は「35」だった。小川は習志野高のエースとして1975年夏の甲子園で全国制覇。中央大学で外野手に転向し、日米野球の日本代表に選ばれるなど実績を残した。その後、社会人野球の河合楽器を経て、1981年ドラフト4位でヤクルトに入団する。
プロ入り後、規定打席に到達することはなかったものの、ヤクルトで10年、日本ハムで1年の計11年間の現役生活を送った。
現役引退後はスカウトに転身し、1996年から二軍守備走塁コーチ、二軍監督、一軍ヘッドコーチなどを歴任。2010年途中に高田監督の辞任を受けて代行として指揮を執り、2011年から正式に監督就任、2014年まで指揮を執った。
その後再びフロントに戻りシニアディレクターを務めたが、2018年から2年間、再び監督して指揮。監督を2度務めたことからも人望の厚さがうかがいしれる。
2020年に楽天で指揮を執った三木肇現二軍監督も、現役時代にヤクルトで「35」を背負っていた。ヤクルトの「35」から、後の監督が2人も誕生したことになる。現在は2024年ドラフト3位で入団した石原勇輝が背負っている。
20勝をマークするも現役引退したマイク・ムッシーナ
ボルチモアオリオールズ、ニューヨークヤンキースで活躍したマイク・ムッシーナ。メジャーデビューを果たした1991年を除いて背番号「35」でプレーしていた。ムッシーナはデビュー2年目となる1992年に18勝をマークし、オールスターにも出場。一流投手の仲間入りを果たした。
ムッシーナは初の2桁勝利から引退する2008年まで17年連続2桁勝利を達成し、引退した2008年に20勝を挙げるなど通算270勝をマーク。引退した年に20勝は1966年のサンディー・コーファックス以来42年ぶりだった。
ゴールドグラブ賞を7回受賞しているものの、投手タイトルは1995年の最多勝1度のみ。飛び抜けた成績はなかったが、高いレベルで安定した活躍をしていた。2019年にアメリカ野球殿堂入り。ムッシーナは学業も優秀で、スタンフォード大学を主席で卒業していることでも有名だ。
ホワイトソックスのレジェンドでもあるフランク・トーマス
メジャーリーグにおけるレジェンドのひとりでもあるフランク・トーマス。MLB通算本塁打521本塁打を放ったスラッガーだ。
トーマスは1990年にシカゴホワイトソックスでメジャーデビュー。翌1991年からレギュラーに定着し、2005年までの16年間をホワイトソックスで過ごす。その間にMVP2回、首位打者1回を獲得。ただ、2005年のワールドチャンピオン達成時は故障で離脱しており、ポストシーズンは1試合も出場できなかった。
翌2006年からはホワイトソックスを離れ、オークランドアスレチックス、トロントブルージェイズ、再びアスレチックスとわたり歩いたが、往年の力は残っておらず2008年にプレーしたのが最後となった。
その後、2010年2月に正式に引退を表明。同時に背番号「35」はホワイトソックスの永久欠番となった。通算2322試合に出場し、2468安打、1704打点をマーク。2014年には野球殿堂入りを果たしている。
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記事:SPAIA編集部