国家試験に合格した発達障害のシングルマザーが苦しんだ「仕事・子育て・勉強」の高すぎる壁
シングルマザーの「リスキリング」挑戦。第2回~スケジュールの壁~。アラフォーのフリーランス、さらにADHDの特性を持つママライターが「社会福祉士」をめざし合格をはたすまでの孤軍奮闘の日々をルポ。仕事、子育て、勉強を並立させるには?
【写真➡】試験目前の著者の前に出現したラスボスとはキャリアアップをめざしてスキルをみがく「リスキリング(学び直し)」は、今や助成金など政府のサポートも手厚く、子育て中のママパパにも注目されています。シングルマザーでフリーライターの藤川ユキさんは、リスキリング(学び直し)で「社会福祉士」の国家試験に合格。第一関門として通信制養成校に入学したものの、「ライター・ママ・学生」という3足のわらじは想像以上に綱渡りの日々だったといいます。
第2回ではまさに疾風怒濤だったというスケジュールについて語ります。
週5フルタイム外勤は無理だと悟った実習期間
国家資格「社会福祉士」合格をめざして、2023年春に入学した養成校。学習期間は4月から翌年(2024年)9月までの約1年半。さらにその翌年の2月には国家試験が待ち受けている。
通信制のため、基本的には月1本レポートを提出。そのほか、現場で学ぶ実習が2回、「スクーリング」と呼ばれる対面授業も土日に全9回あった。
私にとって一番の山場は、1年半の間に2回ある実習だった。実習は地域包括支援センターや高齢者施設など、社会福祉士が実際に働く現場に配属され、ソーシャルワーク(社会福祉援助)を学ぶ。合計32日間(連続して24日間と8日間)、朝から夕方まで実習先で過ごすことになる。
30歳からずっとフリーライターとして、自宅でデスクワークが多かった私。毎朝6時に起きて弁当を作り、満員電車を乗り継いで実習先に通う生活はなかなかハードだった。夕方に帰宅するとすぐ食事の準備をしながら息子(小3)の話し相手になり、お風呂に入れて、歯磨きをさせて寝かしつけ……。
家庭業務を終えると、今度は睡魔と戦いながら、手書き指定(!!)の実習日誌にとりかからなければならない。不注意優勢型ADHDの特性を持つ私にとって、手書きは苦手なことのひとつ。数行に1ヵ所は書き損じがあり、毎日、二重線と修正印だらけのレポートを提出することになった。
また、ロングスリーパーで片頭痛持ちでもあるため、8時間は寝ないとダウンしてしまう。毎日「今日こそは21時に寝る!」と決意するのだが、手書きのレポートに1~2時間費やすと、どうしても就寝が23時台、睡眠は6時間ほどになった。
結局、実習先の2ヵ所とも終盤には体調を崩し、休まざるをえない結果に。社会福祉士になれたとしても、週5日のフルタイム外勤の仕事に転職するのは難しいかもしれないと、加齢による体力の衰えも痛感した実習にもなった。
とまあ、肉体的にはハードな実習だったが、実は精神的にはとても満たされていた。
スクーリングで出会った学生と、実習先の職員たちは、仏様のように善意と慈しみに満ちていた。スクーリング中に咳が止まらなくなったときには、学生仲間が「大丈夫?」「無理しないで」と口々に声をかけてくれ、うれしくて思わず涙ぐんでしまった。
実習先の職員は、地域の生活困窮者に対してどうしたら支援の情報が届くか、その人が本当に必要としている支援は何で、どうしたら支援につなげられるかを一生懸命考えている。
ネット上で散見される「自己責任論」(貧困など、自分が今置かれている状況はすべて自分に責任があるという考え)を持つ人は皆無に見え、その姿勢には胸を打たれるばかり。
彼らと時間を共にできたことで、心が浄化され、元気になっていくのを実感した。人への接し方や言葉の選び方も学ぶことができた。今振り返ってみても、本当に貴重な経験ができたと思う。
仕事激減! 子どものマネージャーに!?
さて、肝心の勉強はどうか。結局のところ、実は全然できていなかった。言い訳になるけど、仕事と子育てと体調不良が続き、時間は常に不足していた。
まず仕事。養成校1年目は、実習期間だけは仕事を断ったものの、それ以外は仕事を続け、平日は夜遅くまで、さらに土日もほぼほぼ働いていた。2年目、また実習期間に入り、仕事を再び断ったことを機に、仕事は激減した。
寂しさと不安を感じる一方で、「これでようやく勉強できる」と、少しホッとしている自分もいた。
だが、物事はそううまく進まない。ようやく勉強時間ができたと思ったら、その空白時間がみるみるうちに「子ども業務」で埋まっていったのだ。
息子は小3を境に学童を卒所となり、お昼過ぎに帰宅するようになっていた。息子は、おしゃべりが大好き。私が勉強や仕事をしようとしても、ありがたいことに数分に一度は私に話しかけてくれる。
また、好奇心旺盛で行動力があるため、家の中で工作や料理を始め、泥棒が入ったかのように部屋が荒れる。大声を出したり、布団に向かってボクシングをしたり、おもちゃの鉄砲を乱射しまくったり。
母子2人が生活する小さなワンルームは破壊音が響き渡る工事現場と化し、私はもうショート寸前。学校のない夏休みは仕事・勉強どころではなかった。
加えて、「息子のマネージャー業務」も次々発生した。
息子は私に似ておっちょこちょいで、ありとあらゆる大事なものをひんぱんになくしてくる。そのたびに、私は問い合わせの電話をかけまくり、交番や遠く離れた遺失物センターに足を運ばなければならない。
さらに年末には、「中学受験をする!」と言い出した。
子どものやる気はできるだけ応援したい。そうなると中学受験塾探しだ。どの塾が息子に合いそうか、情報収集し、説明会に参加して体験授業を受けさせる。
入塾して授業が始まったら、すぐさまテストの解き直しファイルの作成に始まり、一緒に授業動画を見たり問題を出したり……、自分の勉強どころか、親子で中学受験勉強をしなければならなくなってしまった。
さらに小4の春から秋にかけては、志望校と併願校の私立中学校探し。説明会や文化祭、保護会に足を運び、引き続き情報収集。「受験するのは私じゃなかったっけ?」「私の本業はいつからマネージャーに変わった?」と思うほど、息子のサポートに費やす時間が増えていったのである。
そんな日々に追われているうちに養成学校は9月で卒業となってしまった。あとは来年(2025年)2月の試験本番に向けて自分で勉強を続けるしかないのだ。それはわかっているものの、依然として勉強はスムーズに進まない。
一番困ったのが、予期せぬ体調不良だった。息子の突発的な体調不良が増え学校や塾を休む日が、年間10日以上にも及んだ。
加えて、自分自身の体調不良も、大きなロスタイムになった。慢性的な片頭痛に加え、プレ更年期らしき症状は出るわ、子どもの感染症はうつるわの地獄スパイラル。
夏に子どもからもらった風邪は5ヵ月以上長引き、①喉が痛くて声が出ない➡②寝込む➡③咳のし過ぎでぎっくり腰➡④激しい咳で肋骨骨折という4重苦を体験。肋骨を骨折してからは、咳き込むたびに肋骨を殴打されたような激痛を覚えた。11月に行われた模試は、大袈裟ではなく死ぬ思いで受験した。
“ラスボス”は猛威を振るうインフルエンザ
そうしてバタバタ……ときにバタンと倒れているうちに、気づけば2024年11月下旬、翌年2月に行われる本番の試験までいよいよ3ヵ月を切っていた。
この時期、最強の“ラスボス”が現れた。皆さんは覚えているだろうか? 2024年11月から年明けにかけて、インフルエンザが大流行したことを。息子が通う学校でも学級閉鎖が相次いだ。オンラインでつながった数百人の勉強仲間も、本人や家族に罹患者が続出した。
試験直前の12月と翌年1月は感染対策に神経をとがらせ、戦々恐々と過ごしていた。ある日、用事があり息子の小学校に行くと、児童の9割以上がノーマスクで過ごしている光景を見て卒倒しそうになった。
なぜマスクを着けていない!? これじゃあ、マスクを着けていても息子が感染するのは時間の問題ではないか~~!!!
「インフルエンザに感染」前提でスケジューリング
2024年12月のある日、腹をくくった。
これ以上、なし崩しにしてはいけない。これから試験までの約2ヵ月間は勉強を最優先にして、その他一切の業務は試験後に回そう。「用事を入れない」作戦だ。
とはいえ、曲がりなりにも一家の大黒柱である私、仕事をゼロにするわけにはいかない。おかげさまで数本の連載仕事をいただいていたので、12月と1月は基本的に連載の仕事に絞り、その連載も前倒しで進められるよう、各所にお願いした。
同時に、体調面も先手を打った。12月から1月にかけ、普段から診てもらっている各診療科をまわり、試験日の2025年2月2日までは絶対に各症状が出ないように対策を講じてもらったのだ。
夏から続く咳喘息と、持病の片頭痛は可能な限り薬をもらい、プレ更年期で通っていた婦人科では試験前にPMSが重ならないように薬で調整することにした。
年末にもらった大量の薬の一部。薬の飲み過ぎで胃に負担がかかったのか、吐き気をもよおすこともあった。
ADHDでかかっていた精神科医からは、「ミスを防ぎ、集中するには、とにかく用事を減らすこと。そして十分な睡眠を取ることだ」とアドバイスされた。
私の頭の中は、いつも大体とっちらかっている。そのため、いざ勉強しようと机に向かうと、ありとあらゆる雑念がわき起こってくる。特に考えてしまうのは、ポイ活のこと。
仕事と収入が減った今こそポイントを貯めて割安で買い物をすべきなのだと、常に頭の中で電卓をはじいていた。
ポイントが高還元される日に合わせて綿密な買い物スケジュールを立てる私。しかし、天候や体調不良、子どもの用事と予想外の出来事が次々発生し、その都度リスケを繰り返す。そしてますます頭がとっちらかる。
それを話すと、「今の優先順位は、節約より勉強。子どものことは仕方ないとして、節約に関しては、今は気にしなくていいのでは」と医師。この言葉で、「節約せねば」という呪縛から解放され、少しだけ気がラクになった。
最後の調整は、試験2~3日前の息子の預け先だ。この期間だけは完全集中したいため、子どもには元夫の家に3日間泊まってもらうことにした。
離婚後は支援団体を通して月1回数時間の面会交流を続けていたが、2024年夏から宿泊型の面会を取り入れていた。おかげでスムーズに調整でき、直前の追い込み3日間は自分のペースで勉強できることに。
次回(#3)は、最後まで時間との戦いだった、直前期の勉強方法をお伝えします。
取材・文/藤川ユキ
【プロフィール】
藤川ユキ
フリーライター。出版社勤務を経てフリーに。結婚・出産・離婚を経て、2025年7月現在、小5(10歳)の息子と2人暮らしをするアラフォーのシングルマザー。2023年4月に社会福祉士養成課程のある通信制養成校に入り、2024年9月に卒業。現在はライター業を続けている。