個人化/孤立化の時代に向き合うために──芦田徹郎さんと読む、デュルケーム『社会分業論』【NHK100分de名著】
個人化/孤立化の時代に向き合う──デュルケーム『社会分業論』を、芦田徹郎さんが解説
2025年2月のNHK『100分de名著』では、「社会学の祖」に位置づけられる社会学者エミール・デュルケームの最初期の著作『社会分業論』を、甲南女子大学名誉教授の芦田徹郎さんが紹介します。
個人主義が伸張した近代社会に生きる人びとは、しがらみのない自由を手に入れたと同時に、孤立や分断にさいなまれるようにもなりました。デュルケームは、自律した人びとが「分業」することによって、社会において互いに「連帯」できるようになるとして、『社会分業論』(1893)を著したのです。
自由な生き方や多様性がもてはやされる一方で、自己責任論がはびこり、孤立と分断が一層深まる現代。番組テキストでは、19世紀後半に同様の問題と闘ったデュルケームの社会学を通して、今を生きる私たちが人と人とのつながりを取り戻すための方法を芦田さんとともに考えます。
今回はテキストから、そのイントロダクションを公開します。
個人化と多様性の時代を生きる
『社会分業論』は、一八九三年に発表された、フランスの社会学者エミール・デュルケーム(一八五八〜一九一七)の最初期の著作です。デュルケームという名前は、社会学を学んだ方であればご存じでしょうが、一般の方にはあまりなじみがないかもしれません。社会学の世界ではとても重要な人物で、ゲオルク・ジンメル、マックス・ヴェーバーとともに、今日の社会学に直接連なる「社会学の祖」に位置づけられています。
私がデュルケームの著作に初めて触れたのは、社会学を学ぶ多くの学生同様、社会学研究の基礎文献としてでした。それから長い付き合いになりますが、単なる研究のためという以上の影響を受けてきたように思います。
私は高校を卒業してすぐ十八歳で大学に入学しましたが、初めて正規の職を得たときにはすでに三十五歳になっていました。その間、周りの仲間たちはきちんとした仕事に就き、順調にキャリアを重ねていくのに、自分は腰が定まらぬまま年ばかり取っていきます。ある意味自分の自由な意志で選んだ道ではあったのですが、それでも取り残されてしまうような焦りはぬぐえず、何より、よりどころとなる確かな所属集団がないことに孤立と不安を感じないわけにはいきませんでした。いまでも、「孤独のすすめ」のような人生の指南書は好みません。
そのような頼りない生活を続けていた私を𠮟咤激励してくれているように思えたのが、デュルケームの社会学でした。彼は『社会分業論』をはじめとする著作のなかで、いくら自由や自律が望ましい生き方だといっても、社会に根を下ろしていなければ、現実を生きる力はもちえないと訴えます。その思想が、根無し草のようだった自分に「しっかりしろ」と活を入れてくれたように思えたのです。デュルケームの自由や自律、依存についての考え方は、折に触れ私に影響を与え、人生の指針になり、また支えにもなってくれました。デュルケームは、私生活においても学問への向き合い方においても極めて厳格な人物でした。ですので、同じ時代に生きていたとしても弟子入りなどかなわなかったでしょうが、一介の社会学研究者としても、ひとりの人間としても、勝手にデュルケームとの関係を続けてきたとはいえるので、控えめながら「自称デュルケミアン」を標榜しています。
デュルケームが生きた十九世紀後半から二十世紀初頭のヨーロッパでは、それまでの中世社会とはまったく異なる新しい社会が生まれようとしており、大きな時代の転換点を迎えていました。イギリスに比べれば出足は遅れたものの、フランスでも近代化と産業化が急速に進みますが、経済は周期的な不況に見舞われ、ストライキが頻発しました。政権はいずれも短命に終わり、要人の暗殺やテロも相次ぎ、経済的にも政治的にも、安定とはほど遠い状態にありました。
その一方で、市民革命と産業革命を経た近代ヨーロッパでは、民主化と産業化の進展と相まって、個人の自由や自律を主張する個人主義が伸張してもいました。多くの人びとが前近代的な共同体や伝統、慣習のしがらみから解放され、自由な生活を送ることができるようになったのです。しかし、この個人主義の伸張は、他方で人びとの孤立や無関心、あるいは相互不信や分断と対立を招くことにもなります。
個人主義が時代の必然的な趨勢である以上、良かろうと悪かろうと、それ自体を否定することは現実的ではありません。その生涯を通じて現実を見極めようとしたデュルケームにとって、個人主義は時代が要求する思潮として認めるべきものでした。とはいえ、個人主義がすべて手放しで望ましいものだとも考えませんでした。実際問題として、個人主義が伸張した近代ヨーロッパは、先に述べたような混乱に陥っていたからです。
自由で自律的な個人の誕生と進展を事実として認めたうえで、デュルケームは、人びとが孤立や対立に陥らない個人主義の形を探ろうとしました。近代人はバラバラになったかのように見えるけれども、実は何らかの絆で結ばれているはずだし、そうでなければ諸個人から構成される社会も、当の個人自身も崩壊してしまうに違いない──。そうした観点から、近代社会にあって人びとをつなぎ合わせるものとして彼が注目したのが、「分業」なのです。
分業というと、アダム・スミスが『諸国民の富』で言及したように、経済的な生産性や効率性を高めるための手段というイメージがあります。しかし、後に見ていくように、デュルケームは分業を「社会的連帯」、すなわち人と人との結合を生み出すものという観点から論じます。彼は分業を経済的世界のみならず、政治、科学、芸術、さらには家族に至るまで、社会のあらゆる領域で発展するものと捉とらえました。書名の由来となる「社会的分業」にはそういう意味合いがあります。
デュルケームが『社会分業論』を著した時代から百三十年が過ぎたいま、私たちは個人の自律と社会的連帯の両立という課題を、より鋭く突きつけられています。職場や家庭といった集団は、必ずしも一生を託せる場ではなくなりました。個人が自由に生き方を選べるようになり、自由な働き方がもてはやされるのと同時に、「自分の意志で選択した人生や行動である以上、自分でリスクを負うべきだ」とする自己責任論が広まり、その分人びとの孤立も深まらざるをえません。
また、現代社会ではダイバーシティ・エクイティ・インクルージョン(多様性・公正・包摂)の実現を求める声が強くなっています。多様性は、一人ひとりの選択を尊重する社会のもとで生まれるものです。しかし、同じく公正や包摂がことさら求められているということは、裏を返せば、多様な人びとのあいだで、差別や分断、排除が生じてしまっているということにほかなりません。
個人化、多様化、孤立、格差、差別、分断、排除──。現代に生きる私たちが直面しているこれらの問題には、かつてデュルケームが直面した問題と、多くの共通点があるのです。
ドイツの社会学者であるウルリッヒ・ベックは、デュルケームたちが生きた時代を「第一の近代」とよび、私たちが生きている現代を、第一の近代がさらにドラスティックに進んだ(変容した)という意味で「第二の近代」とよんでいます。そうすると、デュルケームの時代に見られた個人化を「第一の個人化」、今日さらに進んでいる個人化を「第二の個人化」とよぶこともできます。個人化についての百三十年前のデュルケームの知見が、現代にぴったり当てはまるわけではありません。しかし、歴史が螺旋を描いて進んでいくように繰り返すとすれば、第一の近代化と個人化がどのようなものだったのかを振り返り、そこでデュルケームが何を問題とし、どのような展望を得ようとしたのかを顧みることは、第二の近代化と個人化の時代を生きる私たちにも、十分に意味のあることだと思います。
個人の自律と社会的連帯は両立できるのか。二律背反するかに見えるこの難問に、デュルケームは真正面から取り組み、『社会分業論』を著しました。孤立や分断を乗り越えて、人びとが個性の違いや多様性を認め合いながらともに生きる社会とは、どのようなものなのか。結論的にいえば、意外に思われるかもしれませんが、「依存」こそが重要なカギを握っているのではないかと、私は予感しています。その理路を、『社会分業論』を読み解きながら、みなさんとともにたどっていきたいと思います。
NHK「100分de名著」テキストでは、「個人化/孤立化の時代に向き合う」「自律的個人はこうして生まれた」「「連帯」とそれをはばむもの」「「個人の自律」と「連帯」の両立──依存の復権へ向けて」という全4回のテーマで本書を読み解き、さらにもう一冊の名著としてデュルケーム『宗教生活の基本形態』を紹介し、人と人とのつながりについて考えていきます。
講師
芦田徹郎(あしだ・てつろう)
甲南女子大学名誉教授
一九四六年兵庫県生まれ。社会学者。大阪府立大学・神戸大学を卒業後、神戸大学大学院修士課程修了。京都大学大学院博士課程学修退学。熊本大学教養部教授、甲南女子大学人間科学部教授を務める。専門は現代社会における祭礼と宗教の地域研究。著書に『祭りと宗教の現代社会学』(世界思想社)、『社会学の基本──デュルケームの論点』(分担執筆、学文社)などがある。
※刊行時の情報です
◆「NHK100分de名著 デュルケーム 『社会分業論』 2025年2月」より
◆テキストに掲載の脚注、図版、写真、ルビ、凡例などは記事から割愛している場合があります。
※本誌における『社会分業論』の引用は、ちくま学芸文庫版(田原音和訳、2017年)に拠ります。引用にあたって筆者が補足した箇所については〔 〕内に表記しています。
◆トップ画像:エッフェル塔から見えるパリの街並み(makoto.h/イメージマート)