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新紙幣の顔、鎌倉との縁は 別荘や師の記念碑、書など

タウンニュース

改刷される紙幣のデザイン(国立印刷局ホームページより)

7月3日に改刷される日本銀行券(紙幣)の新たな顔に選ばれた、千円札の北里柴三郎、五千円札の津田梅子、一万円札の渋沢栄一。鎌倉に縁があるという話も聞かれる。鎌倉と3人の関わりについて調べてみた。

北里柴三郎

破傷風血清療法の確立、ペスト菌の発見のほか、伝染病研究所、北里研究所を創立し後進の育成にも尽力した北里柴三郎。1908年7月に師であるドイツの細菌学者ローベルト・コッホ博士と共に鎌倉を訪れ、富士山を眺めたという。

来日を記念し、北里柴三郎が鎌倉市の関係者と建立した石碑が鎌倉海浜公園稲村ガ崎地区(稲村ガ崎公園)の高台の広場にある。元々は、12年に霊仙山に建てたものだが、地盤の脆弱化により、83年に鎌倉市医師会などが移設した。

津田梅子

女子英学塾(現:津田塾大学)を創設するなど、近代的な女子高等教育に尽力した津田梅子。50歳を超えた頃から、体調を崩し、1917年7月から鎌倉の別荘に移り住んだという。

別荘は、稲村ガ崎の音無橋付近、七里ヶ浜海岸に臨む丘にあったとされ、闘病生活を送りながら塾長の仕事を続けていた。2度の脳出血を経て、29年(64歳の時)、稲村ガ崎の別荘で最期を迎えた。

渋沢栄一

生涯に約500もの企業の設立などに関わったといわれ、実業界で活躍した渋沢栄一。2021年には、NHK大河ドラマ『青天を衝け』が放映された。鎌倉との縁は深くないものの、1913年に鎌倉の井上侯爵を訪問し、桂公爵の見舞いに訪れた記録がある。22年には、由比ガ浜にあった鎌倉海浜ホテルに米国海軍卿一行が訪れた際に、日米協会会長として渋沢栄一も同行したという。

また、由比ガ浜にある料理店「御代川」本店の店内には、創業者・御代川鯉之助氏がコレクションしていた作家や名士の書や絵などの美術品の1つに、渋沢栄一の書がある。1階ホールのショーケース内に飾られており、来店客が目にすることができる。

新紙幣の顔、3人いずれもが鎌倉市を訪れたり、生活したりしていた。海浜保養や別荘文化、数々の名士の存在など、歴史と文化と自然が調和している鎌倉の街だからこそ、縁があったのかもしれない。

津田梅子の別荘があったとされる音無橋付近(左上)、渋沢栄一の書(左下)、稲村ヶ崎の高台にある北里柴三郎の師・コッホの記念碑

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