柴三郎氏と北里大学病院 開拓・報恩・叡智と実践・不撓不屈
北里柴三郎が創設した医療研究機関「北里研究所」の創立50周年事業の一環として、1962年に東京都白金に創設された北里大学。相模原市南区北里に相模原キャンパスが開設したのは1968年、その3年後に同じ敷地内に北里大学病院が開院した。大学の学祖として仰がれる北里柴三郎が生涯を通じて顕現した「開拓」、「報恩」、「叡智と実践」「不撓不屈」は建学の精神として掲げられている。4つの北里の精神をどのように引き継いでいるのか。北里大学出身で北里大学病院病院長補佐を務める佐藤武郎教授に話を聞いた。
――病床数1000を超え、国の特定機能病院にも指定される国内有数の病院です。北里柴三郎の建学の精神を大学病院ではどのように引き継いでいますか。
「開拓」、「報恩」、「叡智と実践」、「不撓不屈」という柴三郎先生の精神を引き継いだ上で、「患者中心の医療」と「共に作り上げる医療」を掲げています。それを体現する特徴のひとつが、北里大学病院を「北里大学医学部附属」としていないこと。これは大学病院と大学医学部は並列の関係だということを表しています。附属ではなく「大学病院」と名乗っているのは全国的に見ても非常に珍しいと思います。
――「大学医学部附属」としないことの意味とは何でしょう。
1971年に北里大学病院を作るとき「チーム医療」を掲げました。大学医学部附属となると、どうしても医学部主導になることがある。例えば大学病院で決定したことを大学医学部教授会への審議をかけなければならない。病院がやりたいことでも大学に否定されるとできないこともある。北里にはそれがありません。医師、看護師、検査技師や事務など含め全科で患者さんを中心にした医療を通しやすくなります。患者さんに「1番いい医療を提供しよう」ということを優先する体制というのは北里大学病院の大きな特徴です。
――4つの精神の中で特に医療の現場で表れていることはありますか。
我々は先進的な医療に取り組んでいるように、チャレンジする精神は非常に強いと思っています。私は大腸がんを専門とする外科医ですが、今大腸がんは腹腔鏡手術がほぼ100%を占めています。私が大学を卒業した、ちょうど30年前は、お腹を大きく開ける手術が主流で、『偉大な外科医は傷が大きい』と教わっていました。それが段々と大腸がんに腹腔鏡手術が取り入れられるようになってきました。それこそ先人の外科医たちに「そんな小さな傷でやるな」と怒られながら、「傷が小さい方が社会復帰が早い」「開腹と腹腔鏡では治療成果が変わらない」など一つ一つ、データもきっちり出しながら進めてきました。北里だけではないが北里もその一員として、それこそ不撓不屈の精神でやってきました。
――慣れから脱し、新しい挑戦をしていくためには何が大切ですか。
医療は何事も患者さんが教えてくれます。「こういう苦しみがある」「術後3日から1週間目までの苦しみ方が違う」「1年後は何事もなくゴルフを楽しめる人とプレイすると痛みで楽しめないない人がいる」など、患者さんの様子を見て、患者さんにとって何が1番負担が少ないのかということを考えながら日々診療にあたります。手術室での道具の置く位置も一つ一つ悩みながら、どこに配置するのが最適なのか。誰でも同じクオリティを保つために標準化をしながら、しかし標準化で本当にいいのか。患者さんから学ばせていただきながら、いい医療を提供できるようにという気持ちでやっています。
――柴三郎の精神は北里大学で身に付けるのでしょうか。
新入生は医学概論の講義を受けます。私が通っていた当時、医学部棟2階の講堂から「開拓」「報恩」「叡智と実践」「不撓不屈」と書いてある石垣がちょうど見えるんですね。授業中ぼーっとしていると『君は偉いね。柴三郎先生の言葉を読んでいるんだね』と、優しく注意されましたね。思い出話として出てくるほど沁みついています。学生は「柴三郎」って呼ぶ人は多分いなくて。不謹慎ながら皆「柴ちゃん」って呼んでいました。卒業式のときに「柴ちゃん(銅像)のところで写真撮ろうよ」って言っていましたね。
――新紙幣の顔となることについてはどう思いましたか。
「やっとか」という感じです。柴三郎先生の功績を考えると、みんないつかはなってほしいという思いがありました。私は今年卒業30年目の節目。初めて同窓会をやろうと企画していますが、新紙幣発行の年ともなり『奇遇だね』って話題になっています。
――北里大学医学部では教授として学生に教えていらっしゃいます。北里大学の学生の特色は何でしょうか。
卒業生たちが活躍する現場から『一生懸命働く』と、沢山のお褒めの言葉をいただいています。大学病院で受け入れる外部研修生は「北里の雰囲気がいい」と言ってくれますね。
――そのカラーの理由とは何でしょうか。
診療科を越えた連携がとれていることが大きいのだと思います。外科も内科もなく医師、看護師、検査技師などひとつのチームとして動くため、全体的に風通しのいい雰囲気が出来上がっていくのかな。大学病院内には北里大学出身以外の医師も結構多いです。
――今、柴三郎の精神を医学生にどのように伝えていますか。
自分がなぜ医師になろうと思ったのか、とにかく忘れないでということを伝えています。それを忘れてしまうと、患者さんに対しても、自分の人生に対しても興味が持てなくなってしまう。いわゆる仕事としての医師になってしまう。もちろんそれを否定することはできないが、そこには「開拓」や「不撓不屈」ではなく恐らく妥協が出てくる。プロフェッショナルな医師であるために、18歳の自分が何になりたかったのかを絶対に忘れちゃいけないよ、ということを伝えたいです。