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平成生まれのビートルズ愛【ビートルズのことを考えない日は一日もなかった特別対談 VOL.9 中村こより】

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昭和歌謡に興味をもつ若者、平成生まれの昭和好きが普通にいるように、若いビートルズファンも普通に存在している。SNSはもちろんのこと、最近のポールの写真展でも多く見かけることができ、確実にビートルズが次の世代へ受け継がれていることを実感させられる。残念ながら、自分のまわりには少ない。昨年同コーナーに登場いただいた真鍋新一さんくらいなのだが、彼とて昭和生まれ。さて、平成生まれのビートルズファンはいないのか、と考えていたら、ひとりだけいた。中村こよりさんは、小学生のときにビートルズファンとなり、そのビートルズ愛が高じて、書籍『東京ビートルズ地図』(交通新聞社)をひとりで企画し、編集をした女性編集者である。発売は2020年。現在はフリーで活躍する中村こよりさんと、世代を越えたビートルズ話に花を咲かせました。

コロナ禍前に出せた『東京ビートルズ地図』

2020年に刊行された『東京ビートルズ地図』(交通新聞社)

竹部:こよりさんとのつきあいは、この『東京ビートルズ地図』からなんですよね。奥付を見ると、この本が出たのは2020年3月24日ってあるからコロナ直前。作っていたのはその前の年の2019年で、もう5年以上も前のことなんですね。

中村:出た直後に緊急事態宣言になってしまって。発売日がもう少しあとに設定されていたら、コロナ時に出しても売れないって判断で発売が延期や中止になっていたかもしれないです。

竹部:そういうタイミングだ。せっかくいろいろお店を回って、苦労して作ったものだからホントに出せてよかったですね。

中村:大変だったけど楽しかったですね。

竹部:いろいろなお店に行っていろいろなビートルズファンの店主に話を聞けたのはいい思い出ですよ。そもそもこの企画はこよりさん主導で始まったものなんですか。

中村:この前に出た『東京ジャズ地図』がすごくいい本で、数字もよかったんです。それには私は関わっていなかったんですが、もしかしてビートルズでも作れるんじゃないかって思ったのが最初の出発点でした。

竹部:たしか僕に連絡が来たのは、ライターの和田靜香さんからの紹介だったんですよね。

中村:企画が通って、『ビートルズ地図』を作ろうってなったときに上司が和田さんに聞いてくれたんです。「誰かいい人いませんか?」みたいな感じで。それで竹部さんを紹介されたんです。

竹部:和田さんには昔からお世話になってまして。でも最初は「できません」って断ったんですよね。本業も忙しかったし、ビートルズ本はほかに適任がいるんじゃないかと思ったし。でもこよりさんの熱心さに押されて「じゃあやりましょう」ってことになったんですが、結果的にやってよかった。一緒にやったライターの半澤さんはその後も一緒に仕事しているし。

中村:音楽に詳しいライターさんとのつながりも少なかったので、竹部さんにお願いできて本当によかったです。

竹部:その時点でもう店の掲載リストは完成していたんですか。

中村:そうですね。調べ始めたらどんどん見つかって、ある程度の数は集まりそうだっていう状態にはなっていました。

竹部:昔出た『ビートルズ・カタログ』って本にビートルズ関連の店がたくさん載っていて、「いい企画だな、自分もいつかそういう店に行きたいな」って思っていたんですね。そこに載っていたお店はさすがにもうないけど、それを追体験できたのはうれしかったです。でも、調べて、アポどりしてという作業は大変だったでしょ。

中村:曲名を店名にしているお店が多いので、ある程度あたりをつけてネットで調べていったら、結構お店の情報が引っかかって。一度実際に行ってみて、いいなって思ったお店に連絡して、取材協力をお願いしていったんです。

竹部:それはお疲れ様でした。普段自分がやっている作業を他人にやってもらって、自分は行って取材して書くだけっていうのが新鮮でした。ライターに専念できたっていうのが。この本を作る前に自分で行ったことのあるお店はありました?

中村:六本木のアビーロードくらいですね。

竹部:この取材のとき、僕も久しぶりにアビーロード行くことができて嬉しかった。そのアビーロードもいまは移転しているから、前の場所がこうやって記録されているということは貴重ですよね。久しぶりにページをめくってみると懐かしい。よくこれだけいろいろ行ったなと。よく覚えているのは鶴見のラバー・ソウル。取材開始が営業終了後の夜11時で、終わって12時過ぎ。終電で帰ったんですよ、もう眠くて……(笑)。

中村:そうでしたね(笑)。

竹部:印象に残っているお店はありますか。

中村:本が出てからの話になっちゃうんですけど、三軒茶屋のグラス・オニオンです。他の記事の撮影でお店を訪ねたときに、店主さんが「この本を持ってお店巡りをしている女の子が来た」って言っていて、それがすごく嬉しかったです。しかも、20代の女の子2人組だったとか。そんな若い世代に届いているんだって。

竹部:自分がやったことが何かしらに影響するって、嬉しいよね。

中村:この本を作ったのは、もっと下の世代のビートルズ好きをお店に呼び込みたい気持ちがあったので、それが叶ったのかもと思って嬉しかったです。

竹部:ビートルズファンは50代~60代、僕と同じ世代で、こよりさんみたいな人は珍しいですからね。でも振り返ってみると、自分が80年代によく行っていたフィルムコンサートって若い人ばかりだったんですよ。10代のファンがメインでした。リアルタイムでビートルズを知っているファンはほぼいなかったんです。まぁ、その世代がそのまま年を取って、熱心なファンになっているということなのでしょうが。それにしても、ここで紹介した店は今どうなっているんでしょうね。

中村:コロナの影響で少なくなってしまっているかもしれないですね。

竹部:そうかも。もしそうだったとしても、記録として本に残しておいてよかったですよ。まだ営業を続けている店にはあらためてもう一度回ってみたいですね。

中村:ライブハウスなどは特にここ1〜2年でいろんな活動が再開されて、パワーアップしているかもしれないですね。

父がギターで弾く「ミッシェル」でビートルズに開眼

ビートルズ『ラバー・ソウル』

竹部:『ビートルズ地図』を作る前と作った後で、こよりさんのビートルズの理解度っていうか、ファン心みたいなものは変化しましたか。

中村:だいぶ変わりました。この本を作るまではビートルズは音楽を聴いて楽しむもので、音楽という側面しか見ていないところがあったと思います。でも、実際にビートルズを好きな人に接してみて、音楽以外の魅力がよくわかりました。

竹部:ビートルズの幅広くて奥深い魅力。こういう楽しみ方があるんだと。

中村:そうそう。

竹部:もともとこよりさんは音楽的なところからビートルズに惹かれるようになったんですね。

中村:そうなんですよ。小学生のとき、父がよくギターで「ミッシェル」を弾いていたんです。私はそのメロディがずっと頭に残っていて、本物が聞きたくなって、家じゅうにあるCDを探したんだけどなくて。父に聞いたら「それはビートルズの『ラバー・ソウル』というアルバムに入っている」って言われて、CDを渡されたんです。それで聞いたらはまってしまったという。

竹部:小学生でビートルズの音楽に惹かれたとは早熟。それは西暦で言うといつ?

中村;私は1993年生まれなんで、2004年くらいですかね。小5のときでした。

竹部:『1』のあとだ。『1』世代ということなのかな。

中村;でも私は『1』は全然通ってないんです。ビートルズのアルバムは父親が一式揃えていて、家にCDがあったので、それを1枚ずつ順番に聴いていったんです。

竹部:どういう順序ではまっていったんですか。まず中期から入ったわけですよね。

中村:そうです。『ラバー・ソウル』のあと、初期に戻って順番に聞いていきました。

竹部:『プリーズ・プリーズ・ミー』に戻って、『ラバー・ソウル』を経由して『レット・イット・ビー』までか。その頃はどういう風に聞いていたんですか。学校から家に帰って、ランドセルを置いてから聞くわけですよね。

中村:毎日聞きまくりです。CDコンポの前で、CDを聞きながらライナーノーツや歌詞カードを見てひたすら。小学校では周りにビートルズファンはいないので完全に浮いていました(笑)。

竹部:それはそうでしょう(笑)。2003、4年だと、時代的にはどういう曲が流行っていたんだろう。

中村:KAT-TUNがデビューして修二と彰の「青春アミーゴ」が出たあたり。まわりの女の子はみんなハマっていましたね。そのちょっと後ぐらいにORANGE RANGEが出てきて彼らも大人気でした。だから全然まわりと好み合わないんです。

竹部:それは合わない(笑)。友達と遊びに行っても流行りの音楽の話はしないということ?

中村:そうですね。友達が集まると今出たような歌手の曲で歌ったり踊ったりしていたんですが、そのときだけ仲間に入れないみたいな状態になっていました。

竹部:それって、友達の人の家で?

中村:そうです。テレビを見ながら、真似をして歌ったり踊ったりして遊ぶみたいな。

竹部:それは北海道時代?

中村:そうですね。十勝に住んでいた頃です。それこそ、その辺の原っぱで遊ぶこともありました。

竹部:北の国の大自然で聴くビートルズ、いいな。空気が違うから聞こえ方違うだろうな。でも親からしたらちょっとびっくりだよね。娘がそんなにビートルズにはまってしまって。

中村:そうだったと思います。でも父は喜んでくれて。MDが普及しはじめた頃、父がMDでビートルズのベストを作ってくれて、それをよく聞いていた覚えもあります。

竹部:お父さんが重要。いい環境にあったんですね。

中村:逆に小さい頃から親に強制的に聞かされていたらそんなにはまらなかったんじゃないかなって。

竹部:そういうものですよね。「ミッシェル」のほかに好きな曲は?

中村:最初に聞いた『ラバー・ソウル』の1曲目「ドライブ・マイ・カー」で雷が落ちました。なんだ、これかっこいいって。

竹部:小学生にして、それはシブい。別にメロディアスな曲ではないのに。

中村:渋いですね。今そう思います。理由はわからないんですが、かっこいいと思って聞いているうちに、誰が歌っているんだ?って、知りたくなるじゃないですか。そうしたら、私のかっこいいと思う声はポール・マッカートニーなんだって気づいたんです。あとになって、ポールのライブを観たとき、ポールのソウルフルな歌い方にピンと来たんだろうなって思いました。

竹部:ということは中期のビートルズが好きなのでしょうか。

中村:それは難しいんですよ。全部の時代、それぞれ好きなんですけど、でも、最初に聞いたのが『ラバー・ソウル』なので、思い入れがあるのは中期になりますね。『リボルバー』も好きですし。

竹部:音楽を聞いたあとは歌ってる人の写真を見たいとか、映像を見たいみたいな気持ちにはならなかった?

中村:最初はCDのジャケットに載っている写真を見て、顔を認識するくらいでした。「ポールの顔、かわいいな」みたいな程度。中学生になってからYouTubeで映像を見るようになりました。

ポールの粗いところがたまらない名盤『ラム』

ポールのブートDVD『UP COLSE』

竹部:そうか。YouTubeは2006年くらいから広まっていったんですよね。

中村:2006年に中学生になるので、そのぐらいからYouTubeでビートルズの映像を探しまくっていました。

竹部:まだ無法地帯の時代だから、結構見られたでしょ。最初にYouTubeでジョンとディランのトーク映像を見たとき驚きましたよ。

中村:ひどい画質のものが多かったですけど。いろいろ検索して観ていました。

竹部:気になった映像は?

中村:いちばん思い出深いのは、ビートルズではなくてポールの『Up Close』というライブなんです。私が高校生の頃に観たものなんですが、このなかの「キャント・バイ・ミー・ラブ」のアレンジがかっこよくて、無性にDVDが欲しくて、大学のオープンキャンパスに参加するために東京に出てきたときに、西新宿まで行ってこれを探しまくったんです。中古レコード屋さんとブート屋さんを巡ったんですけど、なかなか探せなくて。それでお店の人に聞いてみたら「今はない」ということだったんです。でも「また入ると思うから、送ってあげる」って言ってくれて、わざわざ取り寄せてもらったんです。ブートなのに(笑)。

竹部:いい話。どこのお店だろうね。

中村:それがわからないんですよ。この間、近くまで行ったので探してみたんですけど、わからなかったんです。階段を登った2階のお店でした。名前も覚えていなくて。

竹部:ポールの『Up Close』いいですよね。その前に『Unplugged』があってね。この頃、ポールのライブ映像っていろいろありますよね。でもこよりさんが感動した「キャント・バイ・ミー・ラブ」ってどういうアレンジでしたっけ。覚えてない。「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」は覚えているけど、「キャント・バイ・ミー・ラブ」は印象に残ってないな。

中村;ポールのアコギから始まるんです。もうオリジナルとは全然メロディが違っていて。そこに驚いたんです。今日そのDVDの現物を持ってきたんですよ。

竹部:本物だ。思い出の一品。これを何度も見返していたんだね。

中村;そうなんです。テレビ用だからわりと小さめの箱でやっていて、観客がすごく羨ましかったです。

竹部:スタジオなのかな。他にもたくさんポールのライブ映像はあるなかでこれなんですね。ちょっと意外。

中村:いちばんはこれでした。わざわざ東京まで行って探しに行ったっていう思い出もあるし、高校生の頃はポールのソロにはまっていたんですよ。

竹部:そうなんだ。後から大物アーティストのファンになるって大変だよね。とくにポールは過去のカタログや情報が膨大でしょ。アルバムの枚数も多いし。

中村:そうなんですよ。ポールのソロを全部揃えるまでに結構時間がかかりました。

竹部:全部集めたの?

中村:はい。1枚ずつ。全部集めました。

竹部:好きなアルバムはどれですか?

中村:『ラム』ですね。

竹部:トートバッグを見て『ラム』かなとは思ったけど(笑)。それはどうしたんですか。

中村:アイロンプリントで作ったんです。ポールやビートルズを好きな人はたくさんいるはずですが、音楽の話にならないとお互い知らずじまいになっていることも多いんじゃないか、このトートバッグを持っていれば、好きな人が気づいてくれるかなって。それをきっかけにポールファンと知り合うことができて、ポールの話ができるかなと思って(笑)。

竹部:ツアーの物販かと思った。

中村:実際これで去年、ほんとに20代前半のビートルズファンの女の子が声をかけてくれたんです。「そのトートバッグ、『ラム』ですよね」って。ようやく念願叶いました。

竹部:それは嬉しい出会いですね。『ラム』のどんなところが好きなんですか。

中村:作りが粗いところですかね。

竹部:確かに『ラム』って丁寧につくっているところと雑に作っているところが同居しているよね。この間聞いたラジオで村上春樹もそんなことを言ってた。村上春樹もポールのアルバムの中で『ラム』がいちばん好きなんだって。「アンクル・アルバート〜ハルセイ提督」をかけていましたよ。

中村:そうなんですね。ポールの曲はメロディが綺麗なもの多いですが、私は粗い感じの曲が好きなのかも。

中村こよりさん自作の『ラム』トート

2015年に観たポールの日本公演に感動

ポールとリンダ以外のメンバーのサインが入った『ポール・イズ・ライブ』。竹部私物

竹部:ポールのアルバムってどこら辺までフォローできています?

中村:この『Up Close』のあたりまでは大好きですよ。

竹部:『オフ・ザ・グラウンド』あたりか。

中村:このときのバンドが好きなんですよ。すごくいい雰囲気だなって思っていて。

竹部:『Up Close』の翌年、93年の来日のとき、ホテルオークラで出待ちをしていたら、ポールとリンダ以外のメンバーからもらえたんですよ。『ポール・イズ・ライブ』のCDに。確かに皆いい人たちでした。

中村:羨ましい! もっと早く生まれて、当時のバンドを生で観たかったです。

竹部:45年間ポールのファンをやってきて、すべてを容認してきたんだけど、今あらためてソロアルバムを聴いてみると、当時とは少し違った印象を抱くんですよ。一周回って、1歩引いて冷静になって、他のアーティストの作品とかと比較したりすると、これって微妙だなって思っちゃう作品があるんですよね。昔はそんなこと思いもしなかったのに。前に加藤和彦さんにインタビューしたことがあったんですよ。最後に加藤さんが好きな曲10曲選んでもらって、1曲ずつコメントをもらうという決まりごとがあったんだけど、そのなかに「マイ・ラヴ」が入っていたんです。僕が「加藤さんは『マイ・ラヴ』が好きなんですね?」と言ったら、加藤さんは「ポールってビートルズを解散してから『マイ・ラヴ』ぐらいしかいい曲ないよね」って言ったの。そのときすごく驚いて、「そんなことないですよ」って反論したかったけど、しなかった(笑)。加藤さんを尊敬しているから。でもそのときの加藤さんの気持ち、言おうとしていたことが今ならなんとなくわかるんですよ。

中村:たしかに、ポールのソロばかりを散々聴いたあとにビートルズ時代に戻ってくると、「やっぱりこの頃はすごいな」って痛感しますね。

竹部:『ラム』では何の曲が好きなんですか。

中村:「3本足」。

竹部:なんと。これもまたシブい(笑)。

中村:なんか中途半端な曲で、怒りに満ちた勢いだけで出来上がった感じ。とにかく、ポールの粗いのが好きで。

竹部:こよりさんの趣味がよくわかりました。ポール以外のソロは引かれなかった?

中村:他のメンバーのソロも全部ではありませんが聴いていました。それも初期から順番に。

竹部:ちゃんとCD買っていんだよね。

中村:買っていましたね。父に買ってもらったのも多いですが。中学校のときから誕生日やクリスマスとかに1枚買ってもらって、1年3枚ずつ増やしていくみたいな感じで。聞き込んで、また次を買って、まだ聞き込んで、みたいなスパンってやっていました。

竹部:それだけ熱心だったのに周りにビートルズファンはいなかった……。

中村:いなかったです。めちゃくちゃアピールしていたのにまわりは?みたいな感じでした。クラスにひとりだけ、ビートルズもわかる男の子がいたかな、ぐらい。でもそのときはもう、ビートルズ好きの仲間が欲しいっていうよりも、自分が好きっていう気持ちだけをアピールしていましたね。

竹部:ファン同士でつるめばいいってわけでもないですけどね。

中村:そのコンプレックスというか、その寂しさが『ビートルズ地図』に繋がっているのかもしれないです。好きな人が確実にいる場所を紹介したいと思って。

竹部:そうだったんですね。当時はビートルズ以外の他の趣味みたいなのあったのですか。

中村:中学はサッカー部で走りまくっていたんですけど、運動部特有の感じが好きじゃなくて……。高校生になってからは、古い洋画をよく見ていました。『アンタッチャブル』ではまって『ゴッドファーザー』などの名画を見ていました。

竹部:自分の中に古いものが好きみたいな傾向はあったということ?

中村;ビートルズ好きになって、どうやらそういう傾向だっていうことに自分で気づいて、自然と映画もそういう作品を見るようになったんだと思います。名画とされるものは一旦見ておかないともったいないぐらいの気持ちで、一本ずつ潰してくみたいな感じでした。

竹部:名作には名作言われる所以があるんですよね。

中村:『ゴッドファーザー』も初見では全然わからなかったけど、名作と言われる理由がわからないのが悔しくて何度か見返すうちに、すっかり大好きになりました。

公演日当日に中止になった2014年のポール幻の日本公演。竹部撮影

永沼忠明さんのライブで見つけた新しい楽しみ

2015年に行われたポールのライブチケット。中村こよりさんの私物

竹部:そのあと、ファンとしてのターニングポイントはあるんですか。

中村:大学2年のときにポールが来日したんです。せっかくチケットを取って、楽しみにしていたのに中止になってしまったんです。

竹部:2014年だ。ありましたね。急病で中止。

中村;そうです。それまで私はライブに行ったことがなくて、人生初のライブがポールの国立競技場のはずだったんです。チケット握りしめて会場前で待ってたら「中止です」って言われて……。

竹部:その前の2013年は?

中村:そのときは行けなかったんですよ。なので、その翌年に来ると聞いてすぐにチケットを取ったのに中止になって……。悔しすぎて、またポールの曲をすごく聞くようになりました。

竹部:僕もあのときは国立競技場周辺で出待ちしていましたよ。ちょうどホープ軒のあたりで待っていたんだけど、全然来る気配がなくて。あまりに遅いのでまわりがざわざわし始めて、異様な空気になっていました。開場時間になってもポールは来なくて、ついに中止のアナウンスがされて……。周囲は騒然としてました。僕、あのときすごくいい席だったんですよ。真ん中の前方。だからかなりショックで。今考えると、ポールがドーム以外の会場でコンサートをやる可能性があったのは、あの年の国立競技場だけだったんですよね。快晴だったし。つくづく残念。で、こよりさんがポールを観たのは?

中村:その次に来日したとき。それっていつでしたっけ?

竹部:翌年にすぐ来たよね。2015年。あの頃、毎年来ていたような気がするんだよね。それで、初の生ポールはどうでしたか。

中村:最高でした。私が好きだった時期の声は出ないということはわかっていたんですけど、いざ現地でポールのことが大好きな人たちに囲まれてみんなが喜んでいる状況のなかで、本人が目の前にいてとなると、細かいことなんか全部どうでもよくなるぐらい楽しくて。そのとき初めて自分の周りに自分と同じようにポールが好きな人がたくさんいるっていう状況だったのでとても幸せでした。

竹部:それはよかった。想い出の公演ですね。印象に残っている曲はどのあたりですか。

中村:「死ぬのは奴らだ」のド派手な演出と、「ヘイ・ジュード」の観客との掛け合いが、大きな会場ならではで大感激した覚えがあります。

2015年の公演中のもよう。竹部撮影

竹部:ポールのライブに感動した後、今度は永沼(忠明)さんのライブを観るようになるわけですよね。それは、生ポールの感動の余波ということ。

中村:ポールのライブの空間を、本人がいなくてもミニマムで再現されているところがよくて。もちろん、永沼さんのボーカルが素晴らしいんですよ。今のポールよりも当時のポールに近いシャウトが聴ける感動もあって、通うようになったんです。

竹部:最初はどこで?

中村:神田のjam9っていうお店でした。バンドではなくて、ひとりの弾き語りだったんですが、そういう場所で幸せな時間を過ごせるのはいいなって。

竹部:職業=ポール・マッカートニーの永沼さん。僕も好きです。

中村:永沼さんが歌う「メイビー・アイム・アメイズド」なんか、今のポールでは絶対出ない声で、かつ「ロック・ショウ」のときみたいな感じの歌い方で歌ってくれるんですよ。

竹部;顔も似ているし(笑)。

中村:それから永沼さんのライブに来る常連のお客さんと知り合いになって、その人たちに連れていってもらうようになったんです。生の音でビートルズを聞けて、一緒に盛り上がれる仲間がいる場が楽しかったです。

竹部:それでバンド編成も見るようになると。

中村:COMMA-DADAはビートルズもウイングスもやってくれるのでうれしかったです。

竹部:新しいビートルズの楽しみ方みたいなものを教えてくれた。

中村:そうだと思います。60年代、70年代のポールを再現してくれるのでタイムスリップしたいなみたいな感覚になって。やはり、今のポールを観てちょっと寂しい気持ちがあったので、若干それを補ってくれたと言いますか。あとは、『ビートルズ地図』の下見も兼ねていた部分もありましたね。

竹部:それで永沼さん本人にも認識されるわけ?

中村:何度も通っているうちに本人と話す機会があって。私ぐらいの年代の人は珍しかったらしくて「なんで来たの?」みたいになって(笑)。

竹部:お互いに嬉しいですね。僕が最初に永沼さんを見たのは85年、六本木のキャヴァーンなんですよ。防衛庁の前のビルにあった時代。レディバグっていう人気バンドがあって、永沼さんは最初そこで弾いていたと思う。当時からカッコよくて。トイレ行ったら横にいて緊張した記憶がある(笑)。

中村:六本木のキャヴァーン、行ってみたかった! 『ビートルズ地図』でもコラムで紹介しました。

六本木キャヴァーン・クラブのコースター。竹部私物

竹部:キャヴァーンができたのは81年かな。コピーバンドの生演奏が楽しめるライブハウスっていうのが画期的だったから、すぐにテレビとか雑誌で紹介されるようになって、ここに行きたいなと思いはじめて。僕は中学生だったんだけど、当時のキャヴァーンはビートルズファンの憧れでした。で85年に初めて行ったんですよ。未成年だったけど、バイト先の女の子を誘って。

中村:いくらくらいかかりました?

竹部:1万5000円くらいしたと思う。学生にとっては高いよね。頻繁には行けなかったけど、85年から88年くらいまではマメに行っていましたよ。ビートルズナンバーの生演奏の音圧はキャヴァーンに行かないと体感できなかったから。しかも中期とか後期の曲もやってくれたし。毎回感動していました。

中村:本物の生のビートルズはいくらお金を積んでも聴けないと考えると、安いものかもしれないですね。

竹部:防衛庁の前からハードロックカフェのほうに引っ越してからはあまり行かなくなってしまったんですが。なので、コピーバンドの楽しみというのはよくわかりますよ。

中村:今言われたような生演奏だからこその音圧、迫力もそうですし、完璧にカバーしてるのもいいんですけど、たまに独自アレンジを聞かせたりすると、オッってなったり、ファンとしてはそういうのも楽しいんです。

竹部:そういう細かな違いまで気づくほど、オリジナルが耳に染み付いている感じですか。

中村:そうだと思います。

竹部:遠くでかすかにビートルズが鳴っていると気づいてしまうとか。僕なんか、ビートルズに似たような字面でも反応したりしてしまいますよ。条件反射で。いや病気みたいなもので(笑)。

中村:ずっとビートルズの曲を流しているお店もありますよね。

自分を持ち続けられたのはビートルズのおかげ

映画『レット・イット・ビー』ポストカード

竹部;それで今はどんな感じなんですか。ビートルズ活動といいますか。

中村:この間ディズニープラスで『レット・イット・ビー』と『ゲット・バック』を立て続けに観ました。『レット・イット・ビー』は今まで断片には見たことがあったんですが、今回初めて通して観ました。だから、どのシーンがどっちにあったのか、わからなくなっちゃっているんですけど(笑)。

竹部:どうでした?

中村:辛いシーンもあったんですけど、何時間もかけてセッションを見た後のルーフトップの映像は、今までとは違うものに見えるというか。めちゃめちゃかっこよかったです。

竹部:ルーフトップ・セッションって、本当に4人とも気合が入っているっていうか。演奏が上手いよね。ジョンは歌詞を間違えているけど、ジョージのギターとか、完璧だよね。

中村:セッションでは結構ふざけていたり、直前までやるかやらないか迷っていたりしたのに、いざ本気を出すとこうなるのか!と驚きました。

竹部:『ゲット・バック』を見て思うのは、あの顛末を映像で残していたってのがすごいよね。そもそも撮影しようとした発想が。その結果、膨大な時間の映像が綺麗な画質で残ったという。

中村:ほんとに綺麗でした。

竹部:問題なく、卒なくレコーディングしているだけだったら、ドラマ性は生まれにくいし、ドキュメントとしての面白味は薄くなってしまうんだけど、毎日あれだけ事件があって、いろいろなドラマが生まれていくのがビートルズの凄いところで。ドキュメントなんだけどフィクションのようにも見えてくる。

中村:ルーフトップ・セッションでは、ギターを弾く際の手がかじかんでしまうくらいの寒さも伝わってきて……。そういう状況で4人が演奏している臨場感にびっくりしました。あと、「ゲット・バック」が出来上がっていく過程とか。こういう始まりからあの曲が作られていくんだ、みたいな。すごい映像でした。

竹部:“人間・ビートルズ”も伝わってくるじゃないですか。

中村:人間関係のいざこざ的な部分は、しんどかったですけど。

竹部:ジョージが一度抜けるシーンはドキドキしましたよね。ミーティングしてもなかなか復帰しないところとか。本来見せなくていい、見せたくない部分が見られる興味深さと同時に辛さもありますよね。あと、生活臭が出てるとこもいいんですよね。4人のファッションもそうだけど、スタジオにある食べ物、飲み物とか。ワインやウイスキーはどこのメーカーだろうと思って、調べまてしまいました。あとはマグカップ。昔、僕がロンドンのコンランショップで買ったものと同じようなデザインのものが出てきて、あれはコンランなのかなって思ったり。

中村:ピアノやアンプの上にいくつもマグカップがありましたね。トーストは足元に置いていたので、蹴っ飛ばさないか見ていて勝手にヒヤヒヤしました。

竹部:あと、ジョンは風呂入っていないのかなって思うくらい髪がべたついていたり。

中村;それは思いました。

竹部:洋服がかぶっていたりするところも面白いですよね。みんな緑色の服を着ている日があったり。

中村:ありました。あと、ちょっと長めの半袖で、ぴちっとしたTシャツみたいなシャツは当時流行っていたんですかね。ジョンもポールもジョージも着ていますよね。

竹部:そうそう。ジョージがマルに「靴、買ってきて」というシーンとか、なんかいいよね。

中村:ジョージは何を着てもかっこいいですよね。いちばんおしゃれです。

映画『レット・イット・ビー』ポストカード

竹部:『レット・イット・ビー』のほうはいかがでした。

中村:さんざん暗い、暗いって前評判を聞かされていたので、覚悟していたんですが、そこまで絶望的ではないかなっていう。

竹部:『ゲット・バック』とは全然印象が違いますよね。切り取り方の問題なのか。でも今となっては『ゲット・バック』を見ないと『レット・イット・ビー』は理解できない。そういう関係性になってしまいました。

中村:私は両方あわせて観ましたが、当時『レット・イット・ビー』を観て悲しい印象がある人には特に『ゲット・バック』も観ることをおすすめしたいです。

竹部:僕が最初に『レット・イット・ビー』を観たのは81年の年末で。ビデオが家に導入されて、初めて録画したのが『レット・イット・ビー』だったから、何度も何度も観て。親にいつも「また観てるのか」って嫌味を言われて。動くビートルズを自分の都合で見ていたと言う意味で『レット・イット・ビー』にはすごく思い入れがあるんですよ。でも、そうさせてしまう、ビートルズの魅力ってなんだと思いますか。

中村:なんでしょうね。不思議です。私も何回も何回も繰り返して聴いていたわけですし。

竹部:でもそれって、ビートルズを聞いた全員がそうなるわけじゃないじゃないですか。

中村:あたるみたいなもんなんですかね。確実に世代関係なくグサッと来る人がいるっていうのは感じます。

竹部:僕もリアルタイムじゃないし。そういう意味で言うと、時空って不思議だなって思いますよね。今という視点から見たら未来も過去も同じなんじゃないかなみたいな。でも、ビートルズにはまる人の傾向ってあるのかな。

中村:確かになにかあるんでしょうね。

竹部:自分はどうでしょうか。

中村:自分の好きなものを信じるみたいな気持ちは強いですね。子どものときに、周りに誰も自分のことをわかってくれる人がいなかった環境で、ずっと自分を持ち続けられたのはビートルズのおかげかもしれないです。

竹部:元来頑固なのかな。

中村:頑固だと思いますね(笑)。反骨心やらなんやらがあると思います。

竹部:そうでないと、フリーで編集の仕事をやろうとは思わないですよ。ビートルズファンは頑固なのかもね。

中村:それは思いますね。いろいろファンの人と話しているとそんな感じの人が多かったです。本当に好きなものは譲らないって気持ち。ライブハウスにビートルズを聞きにきている人には、会社では割と上のポジションの、職場では怖い上司なんだろうなっていう雰囲気の年配の人が多くて、きっと仕事のストレスをそこで発散しているという感じがあるんですよ。

竹部:なるほど。でもこよりさんは若いファンだから年季の入ったビートルズファンからうんちくを聞かされることも多いでしょ。今日みたいに(笑)。

中村:私はわりとやり返してしまうんですよ(笑)。前に行ったお店で、あるお客さんが『アビーロード』のメドレーの順序を入れ替えたバージョンを流し始めたんですよ。私を試したらしいのですが、それがすぐわかったので、その答えを当ててしまったらすごいしょんぼりしてしまって……。

竹部:さすがにそれはわかるでしょ(笑)。

中村:それもわからないくらいの初心者だと思われていたんですよ。なんで、そこは結構私も言ってしまった。

竹部:強い! でもこの対談を読んだら、こよりさんがいかに本気かがよくわかるので、おやじのうんちくは少なるかもしれないですね。

中村:でも、ビートルズのすごいところは、それなりに詳しくてもまだまだ上には上がいるところ……。上級者のみなさまはお手柔らかにお願いします(笑)。

竹部:今日はどうもありがとうございました。

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