100年以上前の「歴史」が眠る駅!?大都市大阪に今も眠る明治期の鉄道遺構を辿ってみた!
text & photo:福島鷺栖
取材日:2025.5.27(特記以外)
■桜ノ宮駅に残る関西鉄道史の遺構とは?
大阪駅で環状線の外回り電車に乗って2駅目のところにある桜ノ宮駅。駅名の通り、隣接する大川(旧淀川)沿いには桜並木が両岸に続いており、春先には大いににぎわいます。そんな桜ノ宮駅ですが、実はこの周りには古くからの鉄道遺構が今も残っています。今回は、そんな桜ノ宮駅周辺を巡っていきたいと思います。
【写真】大阪環状線桜ノ宮駅周辺に残る100年以上前の鉄道遺構を写真でたどる!詳しくはこちら
桜ノ宮駅の駅名版。大川沿いの桜が描かれている。
■桜ノ宮駅に「京阪電車」?
鉄道遺構は桜ノ宮駅周辺に複数ありますが、その中でも有名なものとして「京阪電鉄乗越橋」が挙げられます。桜ノ宮駅の東口を降りて北側に出ると、コンクリートの擁壁が続く中に突然、斜めに橋脚が入り込んだ箇所が見えます。これこそ、「京阪電鉄乗越橋」です。なぜ、桜ノ宮駅に京阪電車なのか。京阪電車は隣の京橋駅では?と思われますが、これは京阪電車が梅田への乗り入れを計画していた名残なのです。
京阪電車は計画ではこの下をくぐって梅田へ乗り入れる計画だった。
この橋がつくられたのは昭和7年。環状線の前身である城東線が高架化された際につくられました。高架化された城東線に並行して残る地上線の跡地を京阪電車が梅田までの路線を伸ばす計画でしたが、不況などの影響もあり実現することはありませんでした。
環状線に対して斜めに空間が確保されていることがわかる。
■桜ノ宮駅の生い立ちと点在するレンガ遺構
京阪電鉄乗越橋から京橋方面へ行くとコンクリートアーチ橋が見えてきます。そこを潜ると、レンガ橋台が3つも並んでいる光景が広がります。現在でこそ、2面2線の駅ですが、なぜ3線分も橋台があるのでしょうか。
レンガ造りの橋台が3つ並ぶ。
その謎を解くためにまずは、この駅の歴史を見ていきましょう。桜ノ宮駅はもともと大阪鉄道という大阪と奈良を結ぶ現在の大和路線(関西本線)を作った私鉄の駅でした。その後、大阪鉄道が1900(明治33)年に関西鉄道という名阪間を結ぶ私鉄へ買収されます。この時、京橋の西側に網島という今の学研都市線が乗り入れる関西鉄道のターミナルがあったため、この網島と桜ノ宮を結ぶ路線が開業します。そのため、桜ノ宮駅は木津方面と天王寺方面の2方面への分岐駅となっていました。しかし、関西鉄道は買収した旧大阪鉄道のターミナルであった湊町(現:JR難波)を新たなターミナルとしました。さらに1907(明治40)年に鉄道国有法によって国有化されると、後に網島駅は廃止。桜ノ宮駅は分岐駅としての役割を失いました。この橋台の一番手前のものはその明治時代の私鉄がしのぎを削っていた時代の遺構だったのです。
一般的には桜ノ宮駅は桜の名所として有名ですが、実は明治からの鉄道史に残る遺構や、幻に消えた鉄道構想の痕跡が眠っているのです。みなさんも当時の鉄道事情に想いを馳せながら、桜ノ宮駅を歩いてみてはいかがでしょう?
桜と323系。川の中に、架け替え前の淀川橋梁の橋台も見える。
23.3.31 大阪環状線 桜ノ宮~天満
今回取り上げた鉄道遺構の場所。ちなみに駅の南側の土地には現在はマンションなどが立ち並ぶが、明治時代からの桜ノ宮駅の盛土が残っていた。
出典:国土地理院発行地理院タイル(標準地図)に遺構の箇所を追記して掲載