「逃げちゃダメだ」、なんてない。―「走る哲学者」為末大はいかに華麗に逃げ、諦めてきたか―
現役時代「侍ハードラー」と評されることもあった元陸上選手の為末大さん。ストイックで完璧主義なイメージもあるが、意外にも自身は「行き当たりばったり」な性格でもあるという。そんな為末さんに、過去の著書でメインテーマにもした「諦める」「逃げる」ことの重要性や、生き方のヒントを聞いた。
テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』作中に「逃げちゃダメだ」というセリフがある。しかし、本当に逃げちゃダメなのだろうか。本当に辛い場所から、あるいはもっとチャンスがある場所へと戦略的に「逃げる」ことも、時には有効ではないだろうか。過去に著書で「諦める」「逃げる」といった、ある種アスリートとは縁遠いメインテーマを掲げた「走る哲学者」の為末大さんに話を聞く。
人間らしく軽やかに生きていくこと。それは「逃げる」ことなんじゃないかと思うんです。
3大会連続で世界3位「侍ハードラー」
男子400メートルハードルの選手として、2001年のエドモントン、2005年のヘルシンキと世界陸上選手権で2大会連続の銅メダルを獲得した為末大さん。五輪にも2000年のシドニー、2004年のアテネ、2008年の北京と3大会連続で出場した。現役時代に記録した「47秒89」は、2012年に現役を引退して10年以上が経過した今も、破られていない(2024年5月1日時点)。
現役時代はメディアから「侍ハードラー」や「走る哲学者」といった異名を付けられ、硬派なイメージを持つ人も多いだろう。しかし本人と話した印象はいたって柔和だ。現役当時を、はにかみながら次のように語る。
「当時を振り返ると、メディアや周囲からのイメージに合わせて自分のキャラクターを作っていた部分があったんだと思います。私はそこまでメンタルがタフでもないですし、『侍』というような人間ではありません。人間への興味が強いので『走る認知心理学者』の方が、イメージが近いかもしれません」
為末さんに「走る」ことの原体験や思い出を聞いたところ、主に2つあるという。そのうち一つが、幼稚園のころに足が速く、母親が驚いていたこと。さらに、小学生になり陸上クラブに入ると、周囲より足が速いことから、家族だけでなく周囲に褒められることが増えていった。
そこからどんどんと実力をつけ、中学3年生で出場した全日本中学校選手権では、100メートル・200メートルで優勝。全国レベルの大学生たちと比較しても遜色のない記録をたたき出し「当時は練習していくたびに、自分の狙い通りどころか、それ以上に伸びていき『やればできるんだ』という気持ちで、ある種の万能感がありました」と振り返る。
中学時代には、恩師にも恵まれた。体育の先生は押し付けるような指導ではなく、質問型の授業で、自分の中で深く考える性格という為末さんと相性が良かった。また、体育教官室にあるスポーツの力学や、その他の幅広い書籍を読むことを許可してもらえたことで、もともと本好きだった為末さんがさまざまなアプローチで競技と向き合うきっかけとなっていった。
「もともと体育会系の気質ではないんです。体育の授業で球技をやっていて、周りが『こうすれば相手チームに勝てる』と話し合っているのにもあまり興味がありませんでしたし、それよりも本で読んだことを試すなど、自分で実験することの方に面白さを感じていました」
種目転向は「戦略的」 自身が輝けるフィールドへ
しかし、なかなかとんとん拍子には進まない。中学ではいくつもの陸上種目で周囲を圧倒していたものの、高校時代には記録が伸び悩み、これまでとは正反対に「自分はそこまですごくないのかもしれない」と考えるようになっていったという。
「高校時代は記録が出ない悔しさとともに、周囲からの扱いが変化していくことにショックを受けることもありました。もともと私は、地方でいえば“神童”でしたが、全国レベルの戦いになると、何人もの天才と戦う中で自らの実力を理解していきます。世界で戦うとなれば、なおさらです。そこで、あくまで自分が世界で勝負して、トップになることを目的として考えた結果、種目をハードルに変えることを決意しました」
為末さんによると、もともとの主戦場だった100メートルなど、比較的“シンプル”な種目は、最終的に身体能力がモノをいう部分も大きい。一方で、競歩やハンマー投げといった、より複雑なルールが絡む種目になっていくと、同じ陸上競技といえ、勝ちパターンの多様性が出てくる。言い換えれば「勝てる可能性」が高まっていく。
とはいえ、やはり100メートルは陸上競技の花形だ。種目の転向に当たって、葛藤はなかったのか。
「数ある陸上種目の中で花形と言えば100メートルで、ハードルはややニッチな種目です。中でも400メートルハードルといえば当時だとさらにマイナーな種目という認識があり、私自身もそう考えている部分がありました。例えば、100メートルからハードルに転向すると『あの選手は100メートルで戦うのが厳しくなったのかな』と見られがちだったのです。
ただ、本当に世界でトップになることを考えるのであれば、戦略的に種目を選ぶことも必要だと考えました。自分が本当に好きな陸上競技を楽しく続ける上でも、本当に自分の能力を生かせるもの、『勝てる』と思って労力を最大限に注ぎ込めるものを選んだ方が良いと思ったんです」
ハードルは「天職」 躊躇しない性格が奏功
種目転向は、誰にも相談せず、あくまで自分の中だけで半年ほど考え抜いた。「1人で歩いているとき、部屋にいるときに考えるのが一番しっくりくるんです」と話すように、どこまでも自分で納得いくまで考える、そして周囲を気にせず自分がベストと思える答えを常に内側から導き出すのが「為末流」だ。
ハードルに転向するに当たって、困難はなかったのか。為末さんは「意外にもすんなりいって、ハードルは自分にとって天職だったかもしれません」と話す。
それを支えたのが、歩幅を伸ばすといった技術的なことに加え、為末さんの躊躇しない性格だ。
「ハードルで重要なものの一つに、いかにハードルに対して躊躇せずに飛べるか、があります。高速道路でETCの料金所を通るとき、これまでの経験から『ちゃんとバーは開くはずだ』と理解していながらも、やっぱりどこかで怖くてバーの前で停車してしまうことってありますよね。
ハードルも、飛ぶ直前でブレーキをかけてしまうか、それとも躊躇せずに進めるかは非常に重要なんです。私は昔からいざというときには躊躇しない性格でしたし、そういう意味でハードルが向いていました」
「諦める」「辞める」がアイデンティティに
数々の記録を打ち立ててきた為末さんにとって、競技の転向は、100メートルのキャリアを「諦めた」と表現できる。しかし、裏を返せば自らが最も輝けるフィールドを「選んだ」ともいえる。種目転向は為末さんにとって何かを諦める初めての体験だったというが、それからは「何かを辞めることが、アイデンティティになりました」と話す。
例えば、企業に所属する実業団選手から、レース賞金とスポンサー収入で生計を立てるプロ選手になったのもその一つだろう。
「もちろん、安定した基盤があった方がパフォーマンスを出せる人もいると思いますし、実業団を否定するつもりはありません。就職氷河期世代として恩も感じています。
ただ、自分の場合は安定した道を進み、何十年も幸せに過ごすよりも『伸るか反るか』の世界に身を置いて、世界にどこまで通用するかチャレンジしたいと思いました。それまでプロとして活動する陸上選手は少なかったので、目立ちたい思いもありましたが(笑)」
陸上競技は基本的に個人競技であることから、選手は孤独だ。勝負は一瞬、一度きり。身体のコンディショニングやメンタルの整理も非常に難しい。にもかかわらず、現役時代にコーチを付けず、1人で戦い抜いたのも為末さんならではだろう。
「あまり介入されるのが好きではありませんし、自分だけでやる方がより最適化できると考えました。ただ、やはり1人でやっているとドツボにはまりやすいんです。そんなときは、周囲に今の自分がどう見えているかを質問するなど、客観視できるようには意識していました。例えば『最近の為末は弱気な発言が多いよね』といってもらうだけでも、自分を見つめ直すきっかけになりました」
目立ちたい欲は「迎合」にもつながる 時に「逃げる」ことも重要
コーチを付けず「侍ハードラー」「走る『哲学者』」として独自の世界観を持っていた為末さんだが「当時は個人競技という特性もありましたし、メディアからのイメージもあって、尖っていた部分はあります。今は何かをみんなと協力してやるのも好きですしね」と笑いながら話す。
その言葉の通り、引退後はテレビ出演や書籍の執筆、スタートアップ企業の支援や「為末大学」プロジェクトなど、陸上競技内外の人びとと連携した第2のキャリアを歩み続けている。
中でも書籍のメインテーマになった「逃げる」「諦める」は、SNSでさまざまな情報に触れられるようになった一方で息苦しさを感じることも多い昨今、非常に響くテーマだ。
「私自身、昔から目立ちたいと思って陸上競技をしていた部分もあるのですが『目立ちたい』ということは、裏を返すと社会に振り向いてほしいと考えること。そして、その社会の評価基準に自分を合わせていくことでもあります。ある友人から『為末さんの話は、嫉妬を含んでいることが多い』と言われて、この点に気付きました。そして、そういうところから距離を置いてもっと軽やかに生きていくこともできるのではないか、それこそ『逃げる』ということなのではないかと思っています」
SNSでは、自分より優れた人、豊かな人の輝かしい活動や生活を簡単に見ることができる。それがゆえに「自分は全然だめだ」と思ってしまうこともあるだろう。しかしそれは、ある意味で大衆や社会に迎合していることともいえる。本当に自分らしく生きるには、為末さんがハードルへと種目を変更したり、実業団選手からプロに転向したりしたように、周囲の意見や「当たり前」に惑わされないことが重要だ。それこそが、為末さんのいう「逃げる」ことでもある。
ムダ・無意味なものは何一つない
逃げた先で、一見するとムダ・無意味に思えることに一生懸命取り組むのも良い。
「頭の良い人が戦略的に上手に生きるような人生もあれば、そうでない人生もあって良いと思うんです。ドタバタしながら、失敗しながらでも何かしら学ぶものがあります。映画でもそうですが、ドタバタ劇の方が『生きてる!』という感じがするじゃないですか。
そもそも、これまでの経験上、誰一人として物事の結論が100%見えて行動している人はいません。人間には『後付け再編集』とでもいうべき能力があります。これは、もともと考えていたことと違う結果になっても、その結果に合わせて『考えていた通りだった』とつじつま合わせして認識したり、説明したりする能力です。
私自身、思慮深い人間と思われることも多いですが、この能力があるだけで、本当は行き当たりばったりな部分もありますから(笑)」
引退後は、さまざまなフィールドで活動してきた為末さん。現在取り組んでいるのが、スポーツを通じた人間らしさの探求だ。
スポーツ業界では『日本一の選手を輩出しよう』や『トップ選手を育てて世界で勝つ』という点に重きを置くことが多いですが、私はあまり共感できないんですよね。私なりのスポーツの定義は『身体と環境の間で遊ぶこと』。この観点に立って、スポーツを通じた人間らしさの探求や社会をより良くすることを、これからやっていきたいです
取材・執筆:鬼頭勇大
撮影:合同会社ヒトグラム
Profile
為末 大
1978年広島県生まれ。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2024年5月1日時点)。現在はスポーツ事業を行うほか、アスリートとしての学びをまとめた近著『熟達論:人はいつまでも学び、成長できる』を通じて、人間の熟達について探求する。その他、主な著作は『Winning Alone』『諦める力』など。
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