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ファッション好きなら知っておきたい、トラッド史から読み解く「アイビー」と「プレッピー」

Dig-it[ディグ・イット]

アイビーとプレッピーはどのようなスタイルで、どのように発展していったのか。トラッド史の流れ全体を通して見えてくるこの2つのスタイルの“立ち位置”を日本のトラッドファッションにおけるキーマン・中村達也さんに解説してもらった。

「ビームス」クリエイティブディレクター・中村達也さん|1963年生まれ。大学時代にビームスでアルバイトを始め、卒業後に入社。世界各国のトラッドスタイルに精通し、クリエイティブディレクターとしてビームスのドレス部門を統括する業界の生き字引的存在

アイビースタイルが一大ブームを巻き起こす

アイビーとプレッピー。ともにアメリカの由緒正しき学生のライフスタイルやスタイルに端を発する伝統的なスタイルだ。アメリカントラッドにおける厳格で基礎的な着こなしのアイビールック、そしてそれを自由に着崩す、いわば応用的なスタイルともいえるプレッピースタイルは、この日本においても時代の潮流とともに発展を遂げてきたわけであるが、この2つのアメリカンスタイルをトラッド史全体の流れから読み解くべく、ビームスのクリエイティブディレクターとしてドレス部門を統括し、世界各国のトラッドスタイルに精通する中村さんに話をうかがった。

「まずはアイビーについて、基本的にはアメリカ東海岸の名門私立大学に通う学生やOBの間で広まったスタイルです。ある意味、階級社会を象徴するようなスタイルで、元々は1920年代の英国やアメリカの上流階級のスポーツスタイルが礎であるといわれています。そこから1950年代半ばにアメリカの国際デザイナー協会がそれを模したアイビーリーグモデルというスタイルを発表したことによってファッションとして広まり、60年代に大きなブームとなりました。

日本においては1954年に誕生した『ヴァン ヂャケット』によって広まり、60年代に大ブームに。東京五輪が開催された64年にはアイビールックに身を固めた若者が銀座のみゆき通りに集まり“みゆき族”と呼ばれ社会現象となりました。アメリカでは65年にベトナム戦争が起き、反体制による“ヒッピー”が台頭。コンチネンタルやモードの流行もありアイビーは衰退しますが、日本では70年代に入っても根強い人気が続きました」

1963年生まれの中村さんは、みゆき族などの第一次アイビーブームをリアルタイムで経験してはいないものの、その世代の“お兄ちゃんたち”の影響もあってアイビーに傾倒していったのだという。

「自分が小学生の頃はヒッピーの流れもあって、ベルボトムのジーンズをはいていたのですが、中学校に入るとオシャレな先輩たちや姉の影響でアイビーにのめりこんでいきました。マドラスチェックやオックスフォードのボタンダウン、スウェットパーカ、キャンバスのデッキシューズなどを買いましたね。当時はファッション誌といえば『メンズクラブ』で食い入るように誌面を見ていました。

高校に入ると、メンズクラブの誌面でボタンダウンシャツの下にポロシャツを着るというようなプレッピースタイルが紹介されていましたが、自分はアイビーが好きで、高校1年の時に祖父にお小遣いをもらって、『ケント』のマドラスチェックのジャケットを購入しました。これは初めて自分で選んで買ったジャケットなので、いまでも大切にしています。自分が高校生だった1978年には、日本におけるアイビーファッションの象徴的な存在であった『ヴァン ヂャケット』が経営状況の悪化によって倒産してしまうこととなりますが、70年代中頃から始まったヘビーデューティーや70年代後半のプレッピーブームに加えて『マクベス』、『ニューヨーカー』、『ウエイアウト』などのジャパンブランドがブームを牽引したこともあって、その後も日本におけるアイビーの人気は継続していくことになります」

スタイルの根底にはいつもアイビーがある

ファッションにのめり込んだ原体験ということもあり、いまでも中村さんのスタイルの根底にはアイビーがある。

「日本においてはアイビーの流行に続き、ヘビーデューティー(ヘビアイ)、プレッピー、ブリティッシュアメリカン、フレンチアイビー、イタリアンクラシックなど様々なスタイルが伝わり、時代を築いていくわけですが、やはり最初はアイビーからなんです。最初にのめり込んだということもあり、肌馴染みが良いというか、落ち着くというか、今日もジャケットはイタリアのものを着ていますが、シャツは『インディビジュアライズドシャツ』のボタンダウンですし、足元は『ウオーク オーバー』のダーティーバックスです。当時好きだったものはいまも変わっていないのではないかと思います」

ブレザーやボタンダウンシャツ、ペニーローファーなどが代表的なアイビープロダクトとして挙げられるが、中村さんにとってのベーシックなアイビールックはもっとカジュアルなものだ。

「トップスはマドラスチェックのボタンダウンで、パンツはホワイトデニムに足元はデッキシューズ。中学生の時はこのスタイルでした。いまでもこのような装いをするのでみんなからは『中1の時と変わらないですね』と笑われました(笑)。ほかのアイテムだと、自分が所有するアイビースタイルの足元における定番はやはりホワイトバックスですね。『ブルックス ブラザーズ』のオックスフォードのボタンダウンシャツも当時のものが数着残っています。

思い出に残っているのはジャケットの胸元に付けるエンブレムです。当時のトラッドショップで販売されていたエンブレムは、『胸がパッチポケットのブレザーでないとつけてはいけない』というルールがありましたが、箱ポケットの下に無理やりつける人もいました(笑)。

少しアイビーとプレッピー以外のスタイルに触れておくと、『ヴァン ヂャケット』は倒産したものの70年代後半の日本におけるアイビー熱は衰えはしなかったのですが、アメリカでは60年代後半に衰退し、70年代には『ブリティッシュ・アメリカン』が流行。これはアイビーのアンチテーゼともいえる流れで、アイビーは古臭くて時代遅れなものであるとされ、アメリカントラディショナルにクラシックで洗練された英国の要素をミックスしたスタイルを当時のアメリカの人々は新鮮に感じるようになりました。

代表的なブランドを挙げるとすると、高級紳士服専門店を起源とする『ポール・スチュアート』がひとつ。そしていまや世界的なブランドのひとつになりましたが、当時はまだ気鋭のブランドであった『ラルフ ローレン』です。これらのブランドは段返り3つボタン、ナチュラルショルダーにボックスシルエットのサックスーツではなく、フロントダーツが入り、ウエストが身体のラインに綺麗に沿うようにシェイプした2つボタンの構築的なジャケットを提案しており、それは当時のアメリカにおいてとても画期的なものでした」

1970〜80年代に購入した思い出のアイテムたちアイビースタイルに欠かせないデッキシューズ&ホワイトバックス
「ケント」のマドラスジャケット
マドラスシャツは1980年代の「アイクベーハー」や「ラルフローレン」
ジャケットの胸元に付けるエンブレム。今は難しい手刺繍の日本製で『K」は中村さんの叔父のイニシャル

若者の感性で着崩した新しいアイビースタイル

中村さん自身は“アイビー派”であったため傾倒することはなかったものの、アイビーから派生したプレッピーについても語ってもらった。

「プレッピースタイルは、アイビーリーグを目指す『プレパラトリースクール』に通う子どもたちのスタイルとして70年代後半に日本に紹介されました。アイビーリーグの弟分的な位置づけであったこともあり、アイビーを若くしたスタイルで色を積極的に取り入れたり、ルーズに着たり、遊びが多いのがプレッピーといわれていましたが、実際のところは明確なものがなく、曖昧なものでした。1980年に『オフィシャル・プレッピー・ハンドブック』が発行されますが、それほど大きな流れにはならなかった印象です。

個人的には70年代後半にファッション誌などでも提唱されていたプルオーバーのボタンダウンとポロシャツの重ね着、綺麗な発色のニット、素足に『エル・エル・ビーン』のガムシューズを履くなどがプレッピーのイメージです。ただ、日本においては『ヴァン ヂャケット』が神格化されており、プレッピーが出てきた頃には『あんなものは邪道だ』という風潮も一部ではありました。ですが、アメリカのプレパラトリースクールに通う子どもたちのほとんどは親がアイビーリーガーであり、親から受け継いだアイビーらしいアイテムを若者なりの感性で“着崩した”スタイルともいえます。ですので、確実にアイビーとつながっているものなのです」

先述の通り、プレッピーとは明確な基準がない曖昧なものであり、装いにおける色使いやレイヤードや腕捲りのような着こなしのテクニックが関係してくるといえるだろう。中村さんがプレッピーを感じるのが80年代から90年代前半頃の「ラルフ ローレン」のカタログのスタイルなのだという。

「先ほども触れたように、70年代のアメリカでは『ブリティッシュ・アメリカン』の流れが来ました。その象徴的なブランドが『ラルフ ローレン』であるわけですが、80年代から90年代前半頃のカタログを見てみると随所に“プレッピー”を感じるんです。カラフルなポロシャツ、ボタンダウンのボタンを外してネクタイを締めていたり、セーターを肩から掛けていたりと、まさしくプレッピーな着こなしです。当時は意識していなかったのですが、いま思い返すと『ラルフ ローレンはプレッピーだったんだ』と思いますね」

ちなみにアイビースタイルにおいてローファーを素足で履いたり、プレッピースタイルの代表的な着こなしであるポロシャツの上から襟付きのシャツを重ねるといった独特な着方(履き方)について、中村さんはアメリカ人の国民性が由来しているのではないかと推測している。

「ローファーの素足履きについては、学生が靴下を履くのは面倒だけど、授業中はサンダルやスニーカーを履くことが許されないため、仕方なくローファーを素足で履いていたという説があったり、ポロシャツの重ね着もポロシャツ一枚では寒いからと、何気なくそこにあったネルシャツなどを適当に羽織ったことが始まりという話があります。元々は下着であり、本来は素肌の上から着るべきであったシャツの中にTシャツを着るというスタイルもそうですが、どこか面倒くさがりで装うことに無頓着なアメリカ人の性格が由来している可能性があるのではないかと思います」

アイビーやプレッピーという文化がないといわれている英国だが、ロンドンに『ジョン・サイモン』という1989年創業のショップが存在する。中村さんが撮影した外観からもプレッピーなムードが伝わってくる
中村さんが所有する1980年代から90年代前半頃の「ラルフ ローレン」のカタログ。ボタンダウンシャツのボタンを止めずにタイドアップしたり、肩にセーターを巻いたりと、プレッピーな着こなしが随所に見られる

アイビー×〇〇。ミックススタイルが台頭

1970年代中頃から日本でも流行り始めたのがヘビーデュティーだ。アメリカではベトナム戦争が終結した70年代半ば以降、健康的でスポーツ中心のライフスタイルを志向した若者たちが週末にアウトドアでキャンプやトレッキングを楽しむようになり、そのようなアウトドアライフで着用するウエアやシューズが日本でも紹介され、1977年に 『ヘビーデューティーの本』が発行されたことにより本格的なヘビーデューティーのブームが起こった。そのヘビーデューティーとアイビーをミックスさせたスタイルが“ヘビアイ”である。

「メディアを通して輸入されたヘビーデューティーは、本格的なアウトドアで使うものでありながらも、どちらかと言えば街で着るシティウエアとして広まりました。そんななかでメンズクラブが提唱した“ヘビアイ”の流行は現代におけるミックススタイルの源流ともいえるムーブメントといえます。自分自身も高校生の時にそのようなスタイルをしていた時期もありました」

そして1980年代に入るとフレンチアイビーが台頭する。

「フレンチアイビーとは、アメリカや英国の伝統的なアイテムをフランス人の独自の感性で自由に着こなしたスタイルです。こちらもプレッピーと同じように明確なルールや基準のない曖昧なものですが、ボーダーのTシャツやタータンチェックのパンツ、ベージュの[M-65]ジャケットやラコステのポロシャツなどが代表的なアイテムです。また、ネクタイではなく首元にアスコットタイやエルメスのスカーフを巻くのもフレンチアイビーらしい着こなしといえます。ブランドで言うと『オールド イングランド』や『マルセル ラサンス』、『エミスフェール』などが代表的です。自分自身もこの時からフレンチアイビー的な装いをするようになりました」

ここで、アメリカに話を戻すと、80年代は世界的にみてもアメリカンブランドは不遇の時代を迎えたといえる。国内においては60〜70年代ほどではないが、アイビーやプレッピーが流行した時代の流れを汲んで人気を保ってはいたものの、フレンチアイビーやイタリアブランドの台頭にやや押され気味であったのだという。

「この時代からアイビーやプレッピーといったアメリカントラディショナルの逆風の時代が始まったといえますね。90年代に入るとさらにそれが顕著になります。ですが、自分自身は変わらずアイビースタイルも楽しんでいましたし、青山のブルックス ブラザーズのお店に行ってカタログを手に入れることが楽しみのひとつでしたね」

メンズクラブが提唱した“ヘビアイ”の流れに乗り、様々な媒体がこのスタイルを特集。本格的なアウトドアアクティビティでも着用することのできるダウンジャケットやダウンベストをアイビー的なスタイルにミックスした、当時は画期的なスタイルであった
中村さんが所有する1980年代後半のカタログ。アイビーのような旧きよきアメリカントラッドに翳りが見え始めた時代に、カラフルなポロシャツやスポーツウエア、柄物のニットなどデザイン性の高いアイテムを打ち出していることがうかがえる

アメトラの衰退と復権自由な装いが主流に

1990年代に入ると、アメリカントラッドはさらに苦境に。当時、バイイングを担当していた中村さんにとってその象徴的なエピソードがある。

「当時定番で展開していた『アイク ベーハー』のオックスフォードのBDシャツが全然日本に届かず、どうなっているんだと。その後出張でニューヨークに行った時にアイクベーハーのスタッフにその話をしたら『オックスフォードのボタンダウンなんて古臭いシャツ誰が着るんだ』と言われる始末。その時にアメリカントラッドは下火だと強く感じました。当時のニューヨークは『アルマーニ』のようなイタリアブランドが人気だったので、レギュラーカラーのダブルポケットのようなシャツが人気だったようです。ほかにも『バリーブリッケン』がイタリアブランドのような3プリーツのチノパンを作るなど、アメリカらしいプロダクトの人気が失われていた時代だといえます」

90年代後半からはサルトリア仕立てのスーツをエレガントに着こなす「イタリアンクラシック」が大きなムーブメントを巻き起こす。

「イタリアンクラシックは日本でも大きな流れを生みます。イタリア人は英国への憧れが強く『英国っぽい』というのが誉め言葉でした。日本では全身をイタリアもので固めるのがよしとされている風潮がありましたが、本場・イタリアでは、『エドワード グリーン』などの英国靴も好んで履いていましたし、ファッションアイコンたちは『ブルックス ブラザーズ』や『ラルフ ローレン』が大好きでした。

このイタリアンクラシックの流れは2000年代に入っても続きます。そして長年不遇の時代にあったアメリカントラッドも大きな転換期を迎えます。それは『トム・ブラウン』の登場です。アメリカントラッドをモダンに昇華させた、革新的なコレクションを発表し、再びアイビーやプレッピーが脚光を浴びるようになりました。2010年代に入ると英国トラッドやアメリカントラッドの復権もあり、クラシック回帰の流れが始まります。そして、近年は様々な国やテイストの要素をミックスした自由なスタイルが主流になりました」

このように、アメリカ東海岸の伝統的な学生のスタイルであるアイビーが日本に伝わり、プレッピーやヘビアイ、フレンチアイビーへの派生、そして英国トラッドやイタリアンクラシックの人気に押されて衰退してから復活を遂げ、今日につながるのである。この流れを知ればわかるように第二次世界大戦後の“トラッド”という分野のスタイルにおいては、アイビーが日本に伝わって流行した初めてのスタイルなのである。

「アイビーは自分にとっていつの時代も根底にあるスタイルですし、近年はプレッピーというキーワードでコレクションを打ち出すデザイナーズブランドが出てきているように流行の兆しを感じました。ブリティッシュやクラシコイタリアなど、60年以上にわたる大きな流れがある中で生き抜いてきたスタイルがアイビーとプレッピーです。いまはほとんどの方が当時のブームを知らないと思いますが、若い世代がアイビールックやプレッピーな装いをしているのをみると、彼らにとっては新鮮なのだろうと思います。個人的にはアメリカントラッドがこの先も注目され続けてほしいですね」

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