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「シャトー・ベイシュヴェル」の30年の軌跡 ~フィリップ・ブラン氏と振り返る

ワイン王国

「シャトー・ベイシュヴェル」の30年の軌跡 ~フィリップ・ブラン氏と振り返る

サンジュリアン・ベイシュベルに位置する「シャトー・ベイシュヴェル」は、「シャトー・デュクル・ボカイユー」と並んで、メドックで最も優雅なワインを生産するシャトーとして世界的な名声を確立している。1995年に生産、管理責任者として着任したフィリップ・ブラン氏が30回目の収穫を迎えたことを記念して、1915年から2015年までの最良のミレジム、12本を味わう特別な夕食会が開催された。

均整のとれた「シャトー・ベイシュヴェル」の建物はメドックのベルサイユ宮殿と称えられる

グローバルな経験を経て、ボルドー、ベイシュヴェルへ

フィリップ・ブラン氏は、1962年、アン県の生まれ。当初ワインとは無縁の環境で育った彼だが、リヨンでの中等教育を終えた後、フランスの農学部門の最高峰であるアグロパリ(パリ農業科学校、現AgroParisTech)に進学。そこでワイン醸造に魅了され、専攻として選択。その後、モンペリエで醸造学の国家資格を取得した。

キャリアの第一歩は、シャンパーニュの「モエ・エ・シャンドン」でのインターンシップだった。その後、アルザス地方にあるワイン会社「レ・グラン・シェ・ド・フランス」に移り、さらには1989年から93年までオーストラリアのヴィクトリア州とタスマニアで研鑽を積んだ。フランス帰国後は、アジャンで18カ月間、リキュールの生産に携わった。そして1995年、運命的な出会いとなるシャトー・ベイシュヴェルに着任。まさに"ベッセ・ボワール"「帆を下げたまま」の状態で、30年の歳月が流れたとブラン氏は振り返る。

流暢な英語を話すフィリップ・ブラン氏

「ボルドーワインはこの30年で大きく変化した。しかし、重要なのは、品質が下がった産地は一つもないということだ。すべてのワインが、20年前より確実に良くなっている」とブラン氏は断言する。この品質向上は、醸造技術の向上、設備投資、そして造り手の情熱が融合した結果だという。

ワイン造りの本質的な転換について、ブラン氏は明確な見解を示す。

「1980~90年代は醸造技術について多く語られた。しかし今、最も重要なのはブドウ畑での仕事だ。私たちは常に、ブドウ樹の健康状態を最優先に考えている。健全なブドウがなければ、優れたワインは生まれない」

この哲学に基づき、シャトー・ベイシュヴェルは30年にわたり、具体的な改革を実践してきた。1996年の殺虫剤使用中止を皮切りに、2008年には除草剤の使用も全面的に停止。さらに、2015年にはCMR物質、内分泌かく乱物質、灰色かび病防除剤の使用中止を決めた。2000年からは有機肥料・自家製堆肥だけを使用している。2016年に完成させた、最新鋭の温度管理システムと重力流システムを備えた新醸造所も質に向上に大きく貢献している。こうしたさまざまな取り組みにより、シャトー・ベイシュヴェルのワインの評価は着実に向上し、世界110カ国以上での流通を実現。プリムール価格も1995年の12ユーロから2022年には56ユーロまで上昇を遂げている。

書体は少しずつ変化したが、帆船と帆を象った「シャトー・ベイシュヴェル」のラベルは変わらない

テロワールの表現においても、シャトー・ベイシュヴェルは独自の道を追求している。メドック特有の砂利質土壌と粘土、砂利の混ざった区画を持つ畑は、この地域の個性を体現している。ブラン氏の指揮のもと、区画ごとの土壌特性を詳細に分析し、それぞれの特徴に最適化された栽培方法を採用。アグロエコロジーの実践により、土壌の生命力が著しく向上し、ブドウの根がより深く張るようになった結果、より豊かなミネラルを含む複雑味のある果実が生まれている。

醸造工程では、伝統と革新の調和を重視している。新醸造所における最新の温度管理システムと重力流によるやさしい醸造の組み合わせは、ブドウの潜在的な品質を最大限に引き出すことを可能にした。新樽の使用に関しても、フランス産オークを中心としながら、ワインの特性に応じて使用率を細かく調整。果実本来の表現と、エレガントな樽香の絶妙なバランスを追求している。

気候変動への対応も重要な課題として認識されている。「新しい品種の導入を検討する必要があるかもしれない」とブラン氏は語る一方で、「その効果を見極めるには15年という時間が必要です。苗を植え、ブドウを育て、ワインを造り、そして熟成させる。これは長期的な視点が必要な仕事だ」と慎重な姿勢を示す。

2016年に完成した新醸造所は建築家アルノー・ブーラン氏の設計によるもの。ワイナリー建築を専門とするブーラン氏は、シャトーの初代オーナー、デュク・デペルノン氏にまつわる帆船の伝説からインスピレーションを得てデザインを行った。大きな窓を備えた立方体の建物は、自然光を豊富に取り入れながら、横格子状の日除けで室温を制御している

環境への取り組みは、持続可能性とワインの品質向上を両立させる機会として捉えられている。カーボンニュートラルの実現に向け、太陽光発電やエネルギー効率の高い設備を導入。同時に、畑での作業からワインの熟成まで、あらゆる工程でデータ管理を強化し、より精密な品質管理を実現している。

「10年後、ボルドーの景観は大きく変わっているだろう」とブラン氏は予測する。

「しかし、重要なのは私たちの存在意義を保ち続けることだ。カーボンニュートラルへの取り組みなど、環境問題を中心に新しい課題にも直面している。こうしたことは利益を生まない投資かもしれないが、地球の未来のために必要不可欠なことなのだ」

「シャトー・ベイシュヴェル」は1995~2011年までGMF(グラン・ミレジーム・ド・フランス)とサントリーによる共同経営、そして2011年以降はサントリーとカステルグループによる共同経営と変化したが、質に対する揺るぎない取り組みは変わらない。

シャトー・ベイシュヴェルは現在、品種構成の進化(白ワインの可能性も含めて)、アグロエコロジーの更なる推進、カーボンニュートラルの達成、新樽使用率の最適化、データ管理の高度化など、次なる30年への挑戦を開始している。優雅さと力強さを併せ持つそのワインは、メドックを代表するワインとしての地位を確立。フィリップ・ブラン氏の30年に及ぶ革新は、シャトーの歴史に新たな黄金期をもたらしただけでなく、ボルドーワインの未来への道筋をも示したといえるだろう。

100年を超えて語り継がれる偉大なミレジム

記念夕食会では「シャトー・ベイシュヴェル」の歴史をたどる計12本のボトルが用意された

記念の夕食会で供された12本のシャトー・ベイシュヴェルのワインは、シャトーの歴史と進化を雄弁に物語るものだった。第一次世界大戦下で生産された1915年のワインは、冷涼で湿潤な春から暑く乾燥した夏へと移行し、健全な熟度のブドウを得た歴史的なヴィンテージとなった(18/20)。ボルドーの歴史に残る傑出した1921年は、冷涼な春から乾燥した初夏を経て、高温により完璧な熟度を得た特別な年となった(19/20)。1934年は穏やかな気候推移により、均一な熟度のブドウから調和のとれたワインが生まれた(18/20)。

戦後の記念すべき1945年は、春先の霜害を乗り越え、暑く乾燥した夏により完璧な熟度を得た伝説的なミレジムとなった(18.5/20)。理想的な気象条件に恵まれた1955年は、暑く乾燥した夏により見事な熟度をもたらし、長期熟成に向く偉大なワインとなった(17/20)。1964年は、穏やかな春と暑く乾燥した夏により、最適な熟度が得られた特別な年だった。サンジュリアンの気品を完璧に表現したこのミレジムは、メドックワインの真髄を伝えている(17/20)。

醸造庫の地下にある樽熟成庫。波打つ海の情景を描いた独特のデザインの天井

1975年は春先に霜害が発生したが、ベイシュヴェルの特別なミクロクリマにまもられた畑は影響を免れ、幸運な年となった。特に暑い夏となり、早めの収穫で高い熟度のブドウが得られた。1985年は、穏やかな冬、乾燥した春、暑く日照の多い夏、そして乾燥して穏やかな秋という理想的な条件が重なった年だった。完璧な熟度のブドウから、豊かな風味と優れた構造を持つワインが生まれた。この年のワインは、ボルドーの伝統的なスタイルを体現している(16.5/20)。

「シャトー・ベイシュヴェル」の応接間で開かれた記念夕食会。1905年のボトル(右)

ブラン氏の着任年である1995年は、異例の気象条件の年だった。4月は涼しく湿潤、5月は異常な高温を記録。7月から9月も平均以上に暑かったが、夜間は涼しく、この寒暖差が早熟化をもたらした(17/20)。2005年は3年続く水不足の中での挑戦となった。3月は涼しく、植物の生育は緩やかに始まったが、メルローの開花は5月25日に始まり、30日には品種間で均一に進み、良好な熟度が期待された。9月は理想的な熟度をもたらし、メルロ、カベルネともに例外的な糖度を記録した年となった(16.5/20)。

2015年のワインは、冬は平年並みながら、穏やかな春により均一な芽吹きと調和のとれた開花をもたらした特別な年のものだ。夏は特に暑く乾燥したが、ベイシュヴェルの優れた畑では、深い土壌による水分供給により、ブドウは理想的な環境を得た。8月の雨は、均一な色づきと良好なタンニンの蓄積を促した(17/20)。

『アミラル・ド・ベイシュヴェル』が示す確かな実力

記念夕食会では「シャトー・ベイシュヴェル」のワインと絶妙なハーモニーを奏でる洗練された料理が用意された

夕食会では、セカンドワイン『アミラル・ド・ベイシュヴェル』の重要なヴィンテージ、2005年、2010年、2015年の3本も供された。2005年は、エレガントで複雑な香りを持ち、タバコとスパイスのニュアンスが特徴的だ。口当たりは柔らかく、シルキーで、タンニンは十分に溶け込んでいる。2010年は黒い果実の美しいアロマとさわやかな口当たり、しっかりとした酸が、バランスの取れた構造と優れた熟成可能性を示している。2015年は豊かで果実味溢れる魅力的なワインで、濃密な色調を持ち、2005年という素晴らしいミレジムに相応しい実力を秘めている。

左から『シャトー・ベイシュヴェル』、セカンドワインの『アミラル・ド・ベイシュヴェル』、12haの異なる畑から作られるアペラシオン・オー・メドックの『ブリュリエール・ド・ベイシュヴェル』

今回の試飲で最も感動的だったのは、ブラン氏が試飲の8番目に巧みに忍び込ませ、目隠しで試飲した1905年のボトルだった。既にレンガ色に変化しているが十分な濃縮度があり、ボルドー・ワインが素直に熟成した時の甘く、濃さを持った濃縮した果実のジャム、そしてコート・ド・ニュイのピノ・ノワールを想起させる、人をウットリさせる魅力がある。1921年に共通する高貴さがあり、素晴らしい酸が残っていてその若々しさから戦後のものである可能性も考えられた。120年の歳月が既に過ぎているこのワインは、おそらく戦後の80年はほとんど変化しなかったのではないかと推察される。

試飲会を終えて、ブラン氏は「今回私たちが試飲した1915年のワインは第一次世界大戦中に造られたものだ。電気もない時代に、彼らは素晴らしいワインを造り、それが100年以上の時を超えて私たちに語りかけてくる。これは私たちの誇りであり、同時に偉大なワイン作りに携わる人間の責任でもある」と力強く語った。

次世代への継承を見据えて、33という数字に想いを込める

ブラン氏は60歳を過ぎ、自身のキャリアの来し方行く末を考えるようにもなった。「67歳まで働くことは、特に畑仕事では現実的ではない。私たちの仕事は、55歳で多くの人が体力的な限界を感じる。事務仕事なら可能かもしれないが、肉体労働は別だ」と、現場の実情を語る。

そして今、ブラン氏自身の世代交代を考える時期に来ている。

「あと2~3年で引退を考えている。なぜなら、人生には仕事以外にもやりたいことがあるからだ。スポーツをしたり、孫と時間を過ごしたり。ワイン造りは情熱を持って取り組むべき仕事。その情熱を次世代に引き継ぐタイミングを見極めることも、重要な判断になる」

3年後に迎える33回目の収穫という目標には、着任時の年齢(33歳)、ジロンド県の番号(33)、そして個人が到達すべきミレジム数という三重の意味が込められている。「シャトーは私のものではないが、30年シャトーで過ごし、少し私の家のような場所になっている」とブラン氏はいう。そして「グラン・クリュ・クラッセは、何世紀もかけて築き上げられた伝統や慣習、作法から簡単には離れられない。進化は慎重に検討し、その結果が本当に有益なものとなることを確認しなければならない」と、繰り返し伝統と革新のバランスを慎重に見極めることの重要性について語った。

脚注:CMR物質とは、Carcinogenic(発がん性)、Mutagenic(変異原性)、Toxic for Reproduction(生殖毒性)の頭文字をとって総称される物質

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