そうかそうか、つまりキミはそんなヤツだったんだな
京都と滋賀、そして大阪の一部には、「地蔵盆」という風習があることをご存じの人はいるだろうか。
この地で子供時代を過ごした人なら誰もが、夏休みの想い出が心をよぎるだろう想い出深い地域行事だ。
毎年8月の第3もしくは第4の土日に開催され、お地蔵さんの御魂をお迎えし感謝を捧げるお盆行事である。
子供を見守るお地蔵さんをお迎えするので、その主役は当然子供たち。
地域のお地蔵さんを華やかに飾り立てると、朝10時と昼の3時には、袋いっぱいに詰められたお菓子が自治会館で配られる。
そして子供たちは、持ち寄ったゲームやトランプなどで遊び、お腹いっぱいにオヤツを食べる。
メインは夜で、みたらし団子やかき氷の屋台が出て、それらも無料で子供たちに振る舞われるからたまらない。
さらに輪投げ大会、のど自慢カラオケ大会などが続き、この日ばかりは夜10時まで外で遊び回っても怒られない不文律があった。
そんな夢のような2日間が終わると、1週間ほどで夏休みが終わり新学期が始まる。
言ってみれば地蔵盆は、いよいよ終わってしまう夏休みの最後、線香花火の最後の輝きのような時間だった。
そんなある年の出来事だ。
小学校最後の地蔵盆なので、いつも以上に大はしゃぎしてた夜。
同じ町内で6年間同じクラス、心からの親友であった渡辺くんと夜、屋台でみたらし団子を食べていた時のこと。
「なあモンチ、俺今年、クワガタもカブトも1匹も捕まえられへんかった。ありえへん」
「なんやワッチンらしないな。毎年山ほど捕まえて自慢してたやん」
「それがな、俺の秘密ポイントの古びた大木が今年、切り倒されてたねん。何回も朝早く行ったんやけど、1匹もおらんかったねん」
「最悪やな。ほな明日の朝、俺の秘密ポイントに一緒に行かへん?近江神宮の林の中に、とっておきの場所があんねん。俺は今年、10匹は捕まえたで」
「マジで?そんな場所教えてもらってええんか!?やったー!」
そんなことで、翌朝の4時30分に私の自宅前で待ち合わせ、一緒にクワガタ取りに行く約束をする。
心から喜んでくれたワッチンの笑顔に、こちらまで嬉しくなる思いだった。
迎えた翌朝、早朝に外から名前を呼ぶ声が聞こえる。
昭和の時代はエアコンなど無く、窓を開けて寝るのが普通だったので、呼び声は家の中までよく通る。
気がつけば4時40分、どうやら私は目覚ましを止め、そのまま二度寝してしまったらしい。
しかし昨晩は、地蔵盆の余韻で興奮して寝られず、夜中の3時くらいまでモゾモゾしていた。
そのため、猛烈に眠い。起きなければと思うが、意識が遠のくのを止められなかった。
(ごめん、昼に謝りに行くから許してくれ…。俺たち親友だから、大丈夫だよな?)
そんなことを思いながら落ちてしまい、昼前に目が覚めた私は慌てて、ワッチンの家に謝りに行く。
きっと素直に謝れば、許してくれるだろう。なんせ親友なんだから…。
「なぜかわかりますか?」
話は変わるが先日、陸上自衛隊の元陸将と飲んでいた時のことだ。
つい興味があり、こんな不躾な質問をしてしまったことがある。
「東日本大震災の時、陸自ってヘリから原発に放水をしたじゃないですか。しかしあれほどの危険な任務なのに、必ずしも成果があったとは言えない結果だったと思います。なぜあの作戦って実行されたのでしょう」
「意思決定のプロセスを話せば長くなるので、それは別の機会にしましょう。別の側面から答えますね、“成果が無かった”という評価についてです」
そういうと元陸将はビールを手酌し、少し間を取った。
まさにあの時、福島原発の現地で陣頭指揮を執っていた指揮官である。
どこまで話していいものか、頭の中で情報を整理しているのかもしれない。
「桃野さん、“トモダチ作戦”って覚えてますか?」
「はい、米軍が福島原発はもちろん、東北各地に入り、自衛隊と共に危機に対処してくれたオペレーションでしたね。原発火災にさえ駆けつけたと聞いた時は、感動しました」
「実はあのトモダチ作戦、当初は全く様相が違いました。原発が水素爆発を起こすと、米軍には原発から半径(一定)kmの距離を取り、直ちに離脱するよう命令が下っていたのです」
「そうなのですか?全く初耳です」
「はい、米海軍第7艦隊なども、その距離までキレイに離脱する様子が確認できました」
東日本大震災が発生すると、米軍はただちにトモダチ作戦を実行し、日本の危機のために体を張ってくれたものだと思い込んでいた。
そんな日米同盟の強固さに頼もしさを感じていたので、実は米軍が“逃げていた”など、驚きでしかない。
「米国は当初、日本政府は、情報を隠していると不信感を持っていたのです。また、なぜ国家存亡の危機なのにmilitary(自衛隊)が指揮を執らないのかとも言っていました。日本人は誰も、本気で国を守る意思がないのではないかと、判断されてしまったのです」
「…だから米軍も退避したということですか?」
「勿論、第7艦隊を太平洋上に避難させたのは、軍事的合理性が第一の理由です。一方で、危機に立ち向かう意思のない国と国民をなぜ助けなければいけないのか、という意識は、militaryの世界では常識であり、そう思われていたとしても仕方ない状態でした。」
アメリカは一度、日本を見限り撤退していた…。
そんな想像もしなかった舞台裏の話を、ただただ呆然として聞く。
「そんな米軍の方針が一転し、トモダチ作戦が始まったのですが、なぜかわかりますか?」
「全く想像がつきません…」
「あの福島原発への、ヘリからの放水です。militaryが命をかけて国家存亡の危機に立ち向かった。命をかけて極めて危険な作戦を実行したことで、米軍内の空気が一変しました」
「…なぜなのでしょう」
「同盟軍が命がけで戦っているのに助けに行かないなど、友軍ではありません。本気で戦っている仲間を命がけで助けに行くのもまた、militaryの常識です」
同盟軍だから、友軍だから…。
だから米軍は、トモダチ作戦を実行してくれたのだと思っていた浅はかさに恥ずかしくなる思いだった。
あの時、現場では実際に何が起こっていたか。
同盟国であっても、日本などやる気のない連中だと見捨てられかけていたということだ。それをひっくり返したのは、「自分たちの国は自分たちで守る」という、文字通り命がけの行動である。
そんなお話の後、元陸将はこんなことを付け加えた。
「ヘリからの放水による物理的な効果の有無については、桃野さんの判断に任せます」
「…」
「仮に効果が見込めなかったとして、そのような作戦で部下の命を危険にさらすことの是非についても、私は敢えて意見表明しません」
「…はい」
「ただ事実として、トモダチ作戦にはそんな舞台裏があったことを知ってもらえれば幸いです」
引用:外務省「東日本大震災に係る米軍による支援(トモダチ作戦)」
“親友だから大丈夫”
話は冒頭の、ワッチンとの想い出についてだ。
朝4時30分のクワガタ採りをドタキャンし、昼過ぎに謝りに行った私は彼から一言、こう告げられる。
「…もうええよ」
そして玄関ドアが閉められると、中から施錠される音が聞こえた。
物理的にも心理的にも、文字通り二人の関係に解錠できない扉が閉まった瞬間だった。
2学期を迎え教室に行っても、ワッチンはもう私と話してくれることは無かった。
そしてそのまま卒業を迎え、それぞれ違う中学に進学をする。
その後、陸上部に入った私は県大会の会場で偶然、別の中学で陸上部に入っていたワッチンを見かけ、嬉しさの余り話しかけることがあった。
「ワッチンか、久しぶりやん!元気にしてた?」
「悪いな。競技に集中したいんで」
「…そうか、ごめんな」
結局、彼との会話はこれが最後になった。
小学校1年生から6年間、同じ町内、同じクラスで毎日のように一緒に学校に通い、放課後は野球や缶蹴り、ビー玉などで遊んでいた関係が、私の不義理で一瞬にして完全に壊れてしまった。
“親友だから大丈夫”という甘えがここまでのことになるとは、とても想像できなかった。
しかしこれが、人の期待を裏切るということの現実だ。
そんなこともあり、毎年8月に思い出す地蔵盆の想い出は、今も苦くせつない。
そして話は、東日本大震災のトモダチ作戦についてだ。
「同盟軍だから来てくれるだろう」
「友軍なんだから、助けてくれて当たり前」
元陸将のお話は、そんな勝手な期待など通用しない、世界の厳しい現実を改めて突きつけられるものだった。
しかし私たち日本人の多くはきっとそんな現実に思いを馳せず、今もこう思っているだろう。
「近隣諸国と万が一紛争になっても、アメリカが同盟国なので大丈夫」
しかしきっと日本周辺で有事が発生した時、私たち一人ひとりが本気で国防に取り組まない限り、きっと米軍は動かない。
米軍は用心棒でも傭兵でもなく、自国と自分の利益のために戦うのだから当然だ。
唯、私たちが本気で国を守る意志を示し、行動に出た時にはきっと、力を貸してくれるだろう。東日本大震災の時に、そうであったように。
そしてこれは、有事という大きな話だけではない。
友人、夫婦などのパートナー、顧客や取引先との関係などでも同じである。
私たちは、慣れが甘えを誘い信頼を踏みにじっていることに、無自覚であることはないだろうか。
そうなれば、関係が一瞬で壊れてしまう日がすぐにきてしまう。
親しいからこそ、時に緊張感を持つことが大事であることに疑いの余地はない。
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【プロフィール】
桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。
主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)
など
友達の昆虫採集標本をぶっ壊し、友情を破壊したエーミールのエピソードを思い出します。
「少年の日の思い出」でしたでしょうか。
子供心にぶっ刺さる、昭和小学校時代の、国語の教科書でした。
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Photo:sabari nathan