左腕ナンバーのイメージ定着? プロ野球における背番号26の選手たち
2024年現役選手の背番号「26」
背番号20番台は投手、野手ともに背負う番号だが、「26」は投手の着用率が高くなっている。2024年における各球団の背番号「26」は下記の通り。
阪神:椎葉剛投手
広島:益田武尚投手
DeNA:濵口遥大投手
巨人:今村信貴投手
ヤクルト:山野太一投手
中日:石森大誠投手
オリックス:齋藤響介投手
ロッテ:不在
ソフトバンク:大津亮介投手
楽天:不在
西武:不在
日本ハム:田中正義投手
不在:3球団
投手:9球団
捕手:0球団
内野手:0球団
外野手:0球団
2024年は空き番となっているロッテ、楽天、西武を除く9球団すべてで投手が着用。DeNAの濵口遥大など投手9人のうち4人がサウスポーと、左腕のイメージが定着しつつある。巨人は左腕エースだった内海哲也が西武へ移籍して以降、2020年は髙橋優貴、2021年からは今村信貴と、同じ左腕へ「26」が継承されている。
阪神では昨季まで付けていた北條史也が退団。四国IL・徳島からドラフト2位で入団した椎葉剛が受け継いだ。ヤクルトでは昨季、育成から支配下に復帰した山野太一が「26」を着用。一方、楽天では昨季まで背負っていた炭谷銀仁朗が西武へ移籍し、その西武では佐々木健が昨オフに育成契約となったため、ともに今季から空き番となった。
なお、ロッテでは背番号「26」をファンの番号と制定しており、準永久欠番扱いとなっている。これはベンチ入り選手25人に次ぐ26番目の選手はファン、という思いが込められており、ベンチにユニフォームが飾られている。
次章以降では、背番号「26」を着用していた歴代の名選手や、特徴的な球団の系譜を紹介していく。
「江夏の21球」江夏豊
401奪三振というシーズン最多奪三振記録保持者の江夏豊。阪神、南海、広島、日本ハム、西武と渡り歩き1967年から1984年まで現役生活を送った中で、広島、日本ハムの2球団において背番号「26」を着用した。
1978年に南海から広島へ移籍すると、抑えとして1979年、1980年の2年連続日本一に貢献。特に1979年の日本シリーズ第7戦では、9回裏無死満塁のピンチを招きながら無失点に抑え、胴上げ投手となった。この場面はノンフィクション作家の山際淳司が「江夏の21球」として描き、多くのファンの脳裏に刻まれている。
2年連続日本一を達成した1980年オフに江夏は日本ハムへ移籍。1981年から3年間、所属した日本ハムでも背番号「26」だった。移籍初年度から最優秀救援投手に輝くなどリーグ優勝に貢献。日本一にはなれなかったものの、江夏は3年連続でリーグ優勝を果たした。
江夏の現役生活18年のうち、背番号「26」で過ごしたのは、3分の1にあたる6年のみだが、「江夏の21球」、日本ハムでのリーグ優勝と濃密な6年間だったことは間違いない。
野手の系譜が続いていたDeNAの背番号「26」
2023年シーズンの着用率を見ても投手のイメージが強い背番号「26」。その中で長きにわたって野手がつけ続けてきたチームがDeNA(前身球団含む)だ。1950年に宮崎剛が背番号「26」をつけてから空白期間なく2000年まで野手がこの番号を背負ってきた。
その中には「天秤打法」で首位打者争いを演じた近藤和彦、「オバQ」の愛称で親しまれた長距離砲の田代富雄(現DeNAチーフ打撃コーチ)、「メカゴジラ」と呼ばれた佐伯貴弘らがいる。
佐伯が「10」に変更した2001年に杉山賢人が初めて投手として背番号「26」を背負ったが、1年限りで引退となり、翌年から捕手の小田嶋正邦が着用。その後、佐伯貴弘が再び背負い、井手正太郎が受け継いだ。
しかし、2016年ドラフト1位で入団した濵口遙大にこの番号が与えられ、球団史上16年ぶり2人目となる背番号「26」の投手が誕生した。今後、投手の番号となるのか、野手の番号に戻るのかは、濵口の活躍にかかっているかもしれない。
祖父と孫で繋いだ巨人の「26」内海五十雄・内海哲也
「打撃の神様」こと川上哲治が東京巨人軍に入団した1938年(昭和13年)。この年に川上とともに入団した内海五十雄は、同期入団の吉原正喜、千葉茂、岩本章、三田政夫、野村高義らとともに「花の昭和13年組」と呼ばれた。内海は背番号「26」を背負って2年間プレーしたが、通算20試合の出場に終わっている。
それから時が経ち、2003年のドラフト自由獲得枠で内海五十雄の孫にあたる内海哲也が巨人に入団。祖父と同じく背番号「26」を背負った。
残念ながら内海五十雄はすでに亡くなっており、孫の勇姿を見届けることはできなかったが、喜んだことだろう。内海哲也は2018年シーズンまでの15年間で133勝を挙げるなどエース級の活躍。2018年オフにFAで巨人入りした炭谷銀仁朗の人的補償で移籍した西武では「27」を背負った。
名門レッドソックスの永久欠番、ウェイド・ボッグス
メジャーリーグにも背番号「26」の偉大な選手はいる。2005年にアメリカ野球殿堂入りを果たしたウェイド・ボッグスもその一人だ。
1976年ドラフト7巡目でボストン・レッドソックスに入団。1982年にメジャーデビューを果たした際の背番号が「26」だった。2年目の1983年に打率.361(582打数210安打)で首位打者を獲得。さらに1985年から1988年まで4年連続で首位打者に輝いた。
1991年まで9年連続で打率3割を記録するなど、安打製造機としてメジャーリーグの歴史にその名を残している。
1992年オフにFAとなってニューヨーク・ヤンキースへ移籍し、背番号は「12」になった。故障がありながらも高打率をキープし、1996年にはワールドシリーズで優勝した。晩年は創設間もないタンパベイ・デビルレイズでプレーし、通算3000本安打を達成、1999年に現役を引退している。
ウェイド・ボッグスは通算118本塁打と長距離打者ではなかったが、6年連続リーグ最多敬遠を記録するなど相手チームからは恐れられていた。引退後の2005年に野球殿堂入りを果たし、2015年には背番号「26」がレッドソックスの永久欠番として制定されている。
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記事:SPAIA編集部