【笑い死にから憤死まで】歴史に残る「変な死に方」8選
人間だれしも、最後に行きつくところは「死」である。
ある人は病床で眠るように、またある人は自宅で家族に看取られながら……
出来ることなら穏やかに最期の時を迎えたいと、皆思うのではないだろうか。
しかし、歴史に名を残す人物は、穏やかとは言い難い死に方をしているケースがすこぶる多い。
今回はその中から厳選して、「変な死に方8選」を紹介したい。
1. 笑いすぎて死亡
紀元前3世紀ギリシアのストア派哲学者クリュシッポスは、「笑い死に」したという伝説が残っている。
1匹のロバが、自分のイチジクを勝手に食べているのを見たクリュシッポスは、「そのロバにぶどう酒を飲ませてやってくれ。イチジクをうまく飲み込めるようにな」と冗談を言った。
ロバに気を使って酒まで勧めるという、場違いで突飛な発言に自分で大笑いしてしまい、発作を起こして死亡したという。
15世紀のアラゴン王国(現在のスペイン・アラゴン州)の国王マルティン1世もまた、笑い死にしたと伝わっている。
マルティン1世は暴食癖があり、ある時、ガチョウを1羽平らげて部屋で横になっていた。
部屋にやってきたお気に入りの道化師が冗談を言うと、マルティン1世は笑いすぎて亡くなってしまったという。
人を死に至らせる冗談とは、一体どれほど面白いものなのだろうか。
興味本位で聞いてしまったら最後、もうこの世にはいないのかもしれない。
2. 憤りすぎて死亡
13世紀のローマ教皇ボニファティウス8世は、「アナーニ事件」で名を残している。
アナーニ事件とは、1303年にフランス国王フィリップ4世が教皇ボニファティウス8世を襲撃し、脅迫・暴行したとされる事件である。
教皇は神の代理人として絶大な権威を持っていたにもかかわらず、一国の王によって屈辱を受けたことで「憤死」したと伝わっている。
当時の人々は「怒りのあまり死んだ=憤死」と語ったが、実際の死因は高齢や不摂生による体調の悪化だったとされる。
しかし、人々が「憤死」とまで表現したということは、相当感情的になっていたことは間違いないだろう。
3. 喜びすぎて死亡
紀元前6世紀ごろ、スパルタの監督官を務め、古代ギリシアの「七賢人」に数えられたキロンという人物がいた。
彼は、オリュンピア競技祭のボクシング競技で息子が勝利した際、あまりの喜びに息子を抱きしめながらその場で息絶えたと伝えられている。
一見、信じがたい最期だが、現代でも強い喜びが心臓に影響を与え、突然死を招くことがあるとされている。
いわゆる「ハッピーハート症候群」と呼ばれる現象で、女性に多く見られるという。
反対に、深い悲しみから命を落とすケースは「ブロークンハート症候群」と呼ばれ、どちらも強い感情によって心臓が一時的に正常に機能しなくなる点で共通している。
古今東西、心臓は感情の激しい起伏に脆いようだ。
4. 亀が空から降ってきて死亡
紀元前5世紀頃の古代ギリシアの悲劇詩人アイスキュロスには、奇妙な最期の逸話が伝わっている。
ある日、空を飛んでいたワシが、捕らえた亀を岩に落として甲羅を割ろうとしたが、地上にいたアイスキュロスの頭に落下してしまった。
どうやら、アイスキュロスの禿げ頭がツルツルの岩に見えたようだ。
アイスキュロスは、そのまま命を落としたという。
実際、ワシが甲殻類やカメを高所から落として割る行動は観察されており、現実味のある逸話となっている。
さらに伝説によれば、アイスキュロスはこの出来事の前に「上から落ちてくるもので命を落とす」という神託を受けており、それを恐れて建物や木の下を避けて過ごしていたという。
どれだけ注意していても、運命のいたずらからは逃れられない‥‥そう思わせるようなエピソードである。
5. 耳が良すぎて死刑
紀元前5世紀頃の古代ギリシアに、ストラトニコスという音楽家がいた。
彼は、率直な物言いをする人物で、裏を返せばデリカシーに欠けるところがあったとも言われている。
ある日、キプロスのサラミス王の宮廷に招かれていたストラトニコスは、宴席で思わぬ事件に巻き込まれる。
王妃がうっかり放屁してしまい、とっさにアーモンドの実を靴で踏みつけて音をごまかそうとしたのだ。
しかし、ストラトニコスはそれを聞き分け、「今の音はアーモンドじゃない」と揶揄してしまった。
王妃の怒りを買った彼は、そのまま海に投げ込まれ、命を落としたという。
その場にいた者たちは皆、きっとこう思ったことだろう‥‥「黙っていれば生きていられたのに」と。
いくら耳が良くても、口が災いを呼ぶことはある。辛辣な言葉には、時として命の代償が伴うのだ。
6. 話が上手すぎて死刑
紀元前6世紀頃、古代ギリシアで活躍したイソップ(アイソーポス)は、『アリとキリギリス』や『ウサギとカメ』などの寓話の語り手として知られている。
彼はいわゆる作家というよりも、各地を巡って物語を語る旅芸人のような存在だった。
当時、文字による著作は一般的でなく、イソップの名作は口頭で広まり、後世に記録されたものである。
イソップは元は奴隷だったが、その巧みな話術で自由民の地位を得た。
しかしその弁舌の鋭さが災いし、やがて「話が上手すぎて国を乱しかねない」と危険視されるようになる。
最終的には根拠のない罪を着せられ、死刑に処されて崖から突き落とされたという。
皮肉なことに、彼の身を立てたその話術こそが、命取りとなったのだった。
7. 持ち出した黄金が重すぎて死亡
8世紀前半、現在のイタリア北部にあったランゴバルド王国で、アリペルト2世は幼い王とその後見人アンスプランドを退け、王位を奪った。
しかし、その10年後、亡命していたアンスプランドが帰還し、両者の間で戦いが始まる。
初日の戦闘ではアリペルト2世が勝利したものの、戦いはまだ終わっていなかった。
ところが、両軍がまだ対峙している中、アリペルト2世は突如として首都へ戻ってしまい、自軍の怒りを買ってしまう。
その隙を突いてアンスプランド軍が勢いを取り戻すと、形勢は逆転した。
敗北を悟ったアリペルト2世は、宮廷にあった黄金を持ち出し、フランスへの亡命を試みる。
しかし、川を渡ろうとしたそのとき、欲張って詰め込んだ金の重みで舟が沈み、あえなく命を落としたという。
黄金を抱えて溺れ死ぬという、あまりにも皮肉な最期。
「金はあの世へ持って行けない」のは、いつの時代も共通なのだ
8. 尿意を我慢しすぎて死亡
16世紀の天文学者ティコ・ブラーエは、「膀胱破裂で死んだ天才」として知られている。
ある日、神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の晩餐会に招かれたブラーエは、途中で尿意を催した。
しかし、礼儀に厳しかった彼は席を立つのをためらい、用を足さずに最後まで着席していたという。
ようやく帰宅したものの、尿はほとんど出ず、やがて激しい膀胱の痛みに襲われ、8日後に死亡した。
当時の医師による記録では、「尿路結石が尿道を塞ぎ、膀胱が破裂した」と診断されたという。
本当に膀胱が破裂したのかどうかは議論の余地は残るが、ともかくトイレの我慢のしすぎは要注意だ。
おわりに
今回紹介したような奇妙な最期をとげた人々に通じるものとして、「ダーウィン賞」という皮肉めいた賞が存在する。
これは、愚かな行動によって命を落とす、あるいは生殖能力を失うことで、”劣った遺伝子が淘汰され、人類の進化に貢献した”とみなされた人物に贈られる賞である。
当然ながら、死者を笑いものにすることや、優生思想につながるという点で批判の声も少なくない。
だが、ある種のブラックユーモアとして、世の中にはこうした賞が存在していることも事実だ。興味がある方は一度調べてみるとよいだろう。
笑いすぎや喜びすぎによる死は、思いがけない最期ではあるものの、どこか幸福にも映る。
こうした歴史や逸話を振り返ることで、現代を生きる私たちにとっての注意喚起や、ささやかな供養となれば幸いである。
参考 :
『世にも奇妙な「世界死」大全』著/遠海総一
『へんな死にぎわ』著/のり・たまみ
文 / 小森涼子 校正 / 草の実堂編集部