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まさに一流の味!綾瀬『立ち食い蕎麦 酒処 稜』で料理人歴50年超のツワモノが作る、人生の集大成としての一杯

さんたつ

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足立区のJR常磐線・地下鉄千代田線綾瀬駅の施設内に、2024年12月に『立ち食い蕎麦 酒処 稜』という店がオープンした。オープンしてすぐに人気店となったが、それもうなずける質の高い店なのだ。

立ち食い蕎麦 酒処 稜(タチグイソバサケドコロカド)

ゲソからハゼまで豊富な天ぷら

『立ち食い蕎麦 酒処 稜』があるのは、」綾瀬駅と直結している商業施設「綾瀬リエッタ」の東の端。ちょうど出入り口のところで、人の往来も多い好立地だ。

まず驚かされるのが、メニューの豊富さ。そばの種だけで30種類以上で、天丼などのごはんものもあり。そのうえに季節ものの天ぷらがあって、出し巻玉子や刺身にさつま揚げなどの酒のつまみがあるのだ。とにかく圧倒的。

絶対に迷います、これ。

しかもこれがうまい。ツユはダシの香り旨味が前に出たタイプで、バランスの良さを保ちつつも、主張する旨味がクセになるうまさ。天ぷらは揚げ具合が良く、具材のおいしさがしっかり味わえる。ゲソ天は天ぷら自体がまず大きい。ゲソは大粒で柔らかく、イカのおいしさが存分に味わえる。そばもゆで麺ながら、風味がいい。どれもこれもビシッと決まっているのだ。これはほかのメニューも試したくなる。

ゲソ天そば580円。
ゲソ天は玉ねぎ入り。持ち上げるとずっしり重い。

どうやってこの高い質とメニュー量を実現したのか。店長である坂野和義さんに、これまでの経歴を聞いたのだが、これがまぁ、歴戦のツワモノだった。ちょっと長くなるが、間に食べものの話も入れていくので、読んでみてほしい。

店長は飲食店繁盛の請負人

坂野さんが飲食の世界に足を踏み入れたのは1960年代の後半。通っていた大学を中退し、天ぷら割烹の店にアルバイトで入って社員になり、12年ほどそこで働いた。和食の基礎をマスターし、30歳を過ぎた頃に退職。今度は天ぷら専門の有名チェーン店で働き出す。そこでは調理から後輩の指導、メニュー開発までこなすようになり、組織のナンバー2にまでのぼりつめると、50歳手前で退職する。

右が店長の坂野和由さん。左は従業員の佐久間陽子さん。真ん中が同じく従業員の丸山幸さん。

そんなすごい経歴があるのだから、天ぷらもうまいはずだ。『稜』では天丼もメニューにあるが、明らかに天ぷら専門店のそれだ。上天丼の具はエビ、イカ、ホタテ、魚にピーマンにかぼちゃと、豪華オールスター。さっくりとした衣は噛み応え心地よく、具材の旨味も十分。素材がいいのもあるが、なにより揚げがうまいのだ。

上天丼800円。天ぷらがたっぷりでごはんが足りない!

調理の技術や知識など料理人としての基礎、そして店を運営するノウハウを身につけた坂野さんは、次に自分で複数の店を始める。ジャンルは和食、天ぷら割烹、立ち食い寿司、さらに無国籍料理まで、なんと6店舗。これが80年代後半から90年代にかけての頃。たしかにその頃は無国籍料理をうたった創作料理の店が多かった。流行を見るのも、才があったのだ。

店はどれも順調だったが、ここで坂野さんは体を壊してしまう。いったん療養に入り、店は人に任せていたのだが、結局、売上は下がってしまい、すべて閉めることに。飲食ひと筋で生きてきた坂野さんだったが、これを機に4年ほどの療養生活に入った。

天ぷら以外のつまみメニューも充実。

『稜』は料理人人生の集大成

ここでいったん休憩。『稜』の多種多様なメニューを見ていると、素材の保管をどうやっているのか、気になってしまう。小さな店舗内にある冷蔵庫はどう見ても小さい。メニューにメゴチの天ぷらがあるが、メゴチ天を頼む人がそんなにいるとは思えない。ついロスを心配してしまうのだ。

定番の天ぷら類は揚げ置きだが、提供前に再度、揚げてくれて熱々でいただける。

これにはちゃんと秘策がある。長く飲食の仕事をしてきた坂野さんには、幅広い人脈がある。魚介類を仕入れている足立市場の卸にも知り合いがいて、そこの冷凍庫を使わせてもらっているのだ。仕入れた材料をいったん、その冷凍庫に入れておき、必要な分だけ持ってきて使う。だから、これだけ狭い店でも、ロスなく多くの種類を提供できるのである。

8人ほど入れる店内。

さて、療養中の坂野さんの話に戻ろう。体がだいぶ良くなった坂野さんは、知り合いに頼まれ、綾瀬にある大箱の居酒屋でリハビリがてら働き始める。そこから3年ぐらい経った頃、浅草橋でこちらも大きめの飲食店を経営している知人がやってきて、手伝ってほしいと言ってきた。売上が上がらず儲けが出ないので、アドバイスをしてほしいというのだ。

働きながら従業員にいろいろ教えている坂野さん。

知人の頼みで断れず、大箱居酒屋で働きながら、あれこれアドバイス……というか、かなり本腰を入れてリニューアルを試み、なんと繁盛店にしてしまった。結局、大箱居酒屋はやめて、浅草橋の店に好待遇で転職。しばらくそこで働いていたが、今度は別の知人から頼まれ、大田区にあった無国籍料理店の立ち上げを手伝うことに。そこからまた綾瀬の大箱居酒屋に戻るが、さらに上野の寿司割烹とふぐ割烹の店を手伝うことに。そしてようやく綾瀬に戻って、ひとりで和食の居酒屋を始めた。このとき坂野さんは62歳ぐらい。料理人としての人生が始まってから、40年以上がたっていた。

左からきまぐれさつま揚げ300円。インゲン天ぷら190円。アスパラガス天ぷら190円。

そして、やっと『稜』の話が始まる。綾瀬の和食店が営業許可更新の時期になり、現在の『稜』の物件が空いていることを知る。いい立地なので和食店は閉めてこっちでやってみたいけれど、駅施設ということもあって家賃が高い。思い悩んでいるときに、知人である元葛飾区の区議会議員、佐藤雄大さんと一緒にやることになり、出店を決意。これが74歳のときというのだから、すごい。

「リエッタ」の出入り口。入ってすぐに『稜』がある。

もう引退してもいい年齢だと思うのだが、坂野さんは「やっぱり客商売が好きなんですよ。食べてもらって、おいしかったって言われるのがうれしくて」と、ニコニコしながら言う。この気持ち、この姿勢、いろいろ見習わなきゃ、と思う。

今もバリバリ働いています!

そして2024年の12月に『稜』をオープンした。しかし、坂野さんの経歴から見て、天ぷら、和食の店なのはわかるのだが、なぜそばなのか? 実は坂野さんは立ち食いそばをやりたいとずっと考えていて、『稜』を始める前に勉強のため、よその立ち食いそば店で働いたこともあるのだ。

そばはシンプルだけど奥深い。

そばの魅力について坂野さんは「おいしさが伝わりやすい、そしてすたれない」と言う。世にはさまざまな料理があるが、そばというのは、麺、ツユ、種と構成がシンプル。使われる材料も、たとえばラーメンやカレーなどに比べれば、種類は少ない。だからこそ良さがストレートに伝わるし、何度食べても飽きがこない。また、そういう食べものは、一度、受け入れられれば長く愛されるのだ。

日曜・祝日も営業。年中無休でやっています。

坂野さんは『稜』を料理人としての集大成だという。だから、天ぷらとそばを選んだのは、必然なのだ。

とはいえ、坂野さんはまだまだ枯れるつもりはない。今の店で自分の持っている技術、知識を従業員にしっかり教え、2号店、3号店を出す計画があるのだそう。さらに国内のみならず、アジア圏に天ぷらとうどんの店を出すことも考えている。「海外だとそばよりうどんのほうが好まれるからね」と、成功させる気マンマンだ。坂野さんの料理人としての人生はまだまだ続くのである。

立ち食い蕎麦 酒処 稜(タチグイソバサケドコロカド)
住所:東京都足立区綾瀬3-1-9綾瀬 リエッタN-5/営業時間:7:00~21:20LO(日・祝は~20:20LO)/アクセス:JR常磐線・地下鉄千代田線綾瀬駅から徒歩30秒

取材・撮影・文=本橋隆司

本橋隆司
大衆食ライター
1971年東京生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経て2008年にフリーへ。ニュースサイトの編集をしながら、主に立ち食いそば、町パンなど、戦後大衆食の研究、執筆を続けている。

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