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玉三郎の『阿古屋』に聞き惚れ、菊之助と七之助が禁断の恋『江島生島』を踊り、勘九郎が『文七元結』で五十両を投げつける~『猿若祭二月大歌舞伎』夜の部観劇レポート

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夜の部『阿古屋』遊君阿古屋=坂東玉三郎

2025年2月2日(日)に歌舞伎座『猿若祭二月大歌舞伎』が開幕した。16時30分開演の夜の部をレポートする。

一、壇浦兜軍記 阿古屋(だんのうらかぶとぐんき あこや)

全五段からなる『壇浦兜軍記』の三段目「阿古屋」は、"琴責め"の通称で知られている。阿古屋とは、遊女の名前。景清の愛人でその子供を身ごもってもいる。景清を討伐したい鎌倉方は、景清の行方を聞き出すため阿古屋を捕らえるが、阿古屋は「知らない」といって白状しない。本当に知らないのか隠しているのか、秩父庄司重忠が拷問で問いただすことになった。

歌舞伎ならではの見どころは、拷問の方法だ。水責めでも、天秤責めでも、矢柄責めでもでもない。琴・三味線・胡弓の三曲を弾くという拷問だ。心に嘘があればその調べに乱れがあるはずだという。"琴責め"の通称の由来はここにある。阿古屋役の俳優は、阿古屋の役をつとめながら自ら舞台上で3つの楽器を弾かなくてはならない。そのため女方の大役の中でも屈指の難役として知られている。

夜の部『阿古屋』(左より)遊君阿古屋=坂東玉三郎、秩父庄司重忠=尾上菊之助 /(C)松竹

遊君阿古屋役は坂東玉三郎。1997年以来この役を勤め当り役のひとつとしている。お白洲で詮議を行う重忠に尾上菊之助。もう一人の役人・岩永左衛門に中村種之助。榛沢六郎に尾上菊市郎。

捕手に連れてこられた阿古屋は、詮議の場にも関わらず絢爛豪華な打掛と着物。俎板帯には孔雀の柄。花道から喝采で迎えられ登場し、足を止め客席に身体を向けた時、両サイドの捕手たちも含めて、大きく羽根を広げた一羽の孔雀のよう。鳳凰を想起させる眩さだった。琴爪をつける表情に静かな覚悟が見えた。琴の音色に引き込まれ、三味線が染み入り、3つ目の胡弓で華やぎを増す。舞台上手の太夫の語りの豊かな声が、歌舞伎座という劇場の大空間をいっぱいにした。三人の声が揃い、長唄も重なり、高揚感に包まれた。

岩永は人形振りと呼ばれる演出で、人形浄瑠璃の人形のように動く。立ち上がり飛び上がった時の足の跳ね上がりなどは、人形にしかみえなかった。胡弓が終わる頃には「まるで生きているみたいだ」とまで思ってしまった。俳優が人間っぽさを徹底的に消したところから、新たに生まれる喜怒哀楽。そこに型の演劇の強さ、面白さを感じた。

夜の部『阿古屋』(左より)榛沢六郎=尾上菊市郎、遊君阿古屋=坂東玉三郎、秩父庄司重忠=尾上菊之助、岩永左衛門=中村種之助 /(C)松竹

重忠はいわゆる正義の味方の拵えだ。お白洲に豪奢な装いで現れる遊女がいて、赤い顔で人形振りの助役がいて、拷問は三曲。思えばはちゃめちゃな状況(三曲は重忠の提案)だが、重忠の姿、声、物腰の清廉な雰囲気が、この詮議に公正な印象を与え、そしてまた舞台をいっそう格調高いものにしていた。

自分のすべきことを終えた阿古屋からは、「きっと本当に知らなかったのだろう」と想像する純粋な安堵が滲んでいた。玉三郎が描く芸術性に富んだ『阿古屋』の世界に万雷の拍手が贈られ幕となった。

二、江島生島(えじまいくしま)

江戸三座といえば、中村座、市村座、森田座。江戸時代、町奉行所公認の印である櫓をかかげて興行を行った芝居小屋だ。その前には、山村座を加えた江戸四座が公認の芝居小屋だった時期もあった。1714年、山村座のスター・生島新五郎と、江戸城大奥のトップ・江島のスキャンダルが取り沙汰され、ふたりはそれぞれ別の場所へ流罪に。山村座はとり潰しとなった。『江島生島』は、三宅島へ流された生島を主人公にした舞踊劇となる。

夜の部『江島生島』(左より)中臈江島=中村七之助、生島新五郎=尾上菊之助 /(C)松竹

舞台は、生島が見る幻想から始まる。夜、池に小さな舟が浮かび、男女がのっている。凛として聡明な雰囲気の美しい女性は、奥女中の江島(中村七之助)。慣れない手つきで池に棹をさす。腰を下ろし鼓を打つ美貌の青年は、人気役者の生島新五郎(尾上菊之助)だ。闇に包まれた寂しい場所で、江島の真っ赤な着付がことさら艶めかしかった。生島もまた色っぽく、長唄がふたりの逢瀬を彩る。しかしスキャンダルに翻弄されるかのように、不本意にもふたりは離れ離れに。そして江島は消えていく。

夜の部『江島生島』(左より)江島に似た海女、生島新五郎=尾上菊之助 /(C)松竹

気がつくと、そこはぱっと明るい浜辺の風景。遠くまで海が広がり、木には真っ赤な椿の花が咲いている。生島はひとり、夢から覚めても心は戻ってきていない様子で、通りすがった人のよさそうな旅商人(中村萬太郎)に絡んだりする。旅商人は戸惑いつつも、無下に突き放せない。そのやり取りにしばしば笑いが起こる。さらに椿の枝を手に海女(中村七之助)が現れる。江島にそっくりの顔立ちだが、うって変わって海と太陽が似あう素朴な愛らしさ。七之助の二役目に拍手が起こった。生島は力なく笑い、よろけ、駄々っ子のように不機嫌になったりもする。ここに居ながらここには居ない、夢と現を彷徨う様が舞踊で描かれる。可笑しくもあり哀しくもあり、なんの穢れもないかのような軽やかさをみせた。明るく陽気な中、ふと違う景色を見ているかのような表情には心がざわついた。いっそ夢から覚めないほうが幸せだろう、と祈る気持ちになったところで、再び生島は一人に。海風の匂いと悲しみの余韻が残る幕切れだった。

三、人情噺文七元結(にんじょうばなしぶんしちもっとい)

三遊亭円朝の人情噺を元に歌舞伎化された『文七元結』。
文七は劇中のキーパーソンの名前で、主人公は左官の長兵衛(中村勘九郎)。長兵衛は博打で借金を負い、女房お兼(中村七之助)や娘お久(中村勘太郎)の着物まで質に入れてしまった。この状況を見かねて、お久が出かけたのは吉原遊郭の角海老。家にお金が必要だから自分を雇ってほしい、と女将お駒に頼みにきたというのだ。

夜の部『人情噺文七元結』(左より)女房お兼=中村七之助、左官長兵衛=中村勘九郎 /(C)松竹

長兵衛は、季節を問わず汗と埃をまとうような匂いと、きっぱりとした清々しさが、そして決して大っぴらにはしないけれど、内に生命力を蓄えているような熱さを感じさせた。まさに江戸っ子のイメージだ。そんな長兵衛が、着るものもままならない中、角海老へ向かうことになる。

角海老の女将お駒(中村萬壽)は、長兵衛を諭す。聞き心地の良い台詞からは、人としての温かさと同時に、長兵衛のためを思っての厳しさがしっとりと深く染みた。そんな素敵な女将の店だから、女郎たちはのびのび、生き生きとしている。ただ一人、肩を落としうつむいていたのがお久だった。勘太郎にとって初めての本格的な女方。芸への真摯な姿勢は、お久の健気さや一生懸命さと重なってみえた。“おとっつあん”の手に手を重ねる仕草は、心も姿も美しかった。そんな中、人情ドラマに湿っぽくする隙を与えないのが女房お兼だ。長屋住まいの生活感を持ちながら、衝立もフル活用し、長兵衛との怒鳴りあいでさえ楽しく聞かせる。無敵のコメディエンヌだった。

夜の部『人情噺文七元結』(左より)左官長兵衛=中村勘九郎、長兵衛娘お久=中村勘太郎、角海老女将お駒=中村萬壽 /(C)松竹

物語は、五十両というお金を巡り、大きく動いていく。そのキーマンが、手代文七(中村鶴松)だった。文七は、大金を紛失し、即日身投げを決めるのも納得のそそっかしさ。長兵衛との言い合いの後、一人残された文七は、ようやく五十両に気がつく。そこまでのテンポの良い掛け合いの後の、文七の無言が、事の重大さを雄弁に語っていた。

和泉屋清兵衛に中村芝翫、鳶頭伊兵衛に尾上松緑という贅沢なキャスティング。出てきた瞬間から、前から江戸に住んでいます、というような安定感。この町の物語をもっと見せてほしくなった。全員の芝居の明るさは、観るものを幸せな気持ちにした。めいっぱい笑いながらも、喜劇とは笑わせるだけのものではなく、喜びを分かち合うから喜劇なのだろう。そんなことを思う、良い幕切れだった。

夜の部『人情噺文七元結』(左より)鳶頭伊兵衛=尾上松緑、女房お兼=中村七之助、長兵衛娘お久=中村勘太郎、左官長兵衛=中村勘九郎、家主甚八=片岡市蔵、手代文七=中村鶴松、和泉屋清兵衛=中村芝翫 /(C)松竹

松竹創業百三十周年『猿若祭二月大歌舞伎』は、2025年2月2日(日)~25日(火)までの上演。

取材・文=塚田史香

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