クラゲ研究の第一人者が命名に込める想いとは? 公益財団法人黒潮生物研究所・戸篠祥さんにインタビュー
ふわふわと水中を漂う、優雅で不思議な生き物「クラゲ」。その生態は未だに謎に満ちている部分が多いですが、近年、数々の新種や日本初記録種が発見され、私たちの知的好奇心をくすぐります。
今回は、公益財団法人黒潮生物研究所の主任研究員であり、これまで「リュウセイクラゲ」や「シトウズクラゲ」など、多くのクラゲの命名に携わってきた、戸篠祥(としの・しょう)さんにお話を伺いました。
クラゲ研究の第一人者が、その命名に込める想いとは──。そして、クラゲの生き様から学んだこととは──。
研究者としての探究心と生き物への深い愛情が交差する、戸篠さんの心の内に迫ります。
戸篠さんとクラゲの出会い
━━まずは、戸篠さんがクラゲ研究の道に進まれた経緯を教えていただけますか?
元々は釣りが好きで、魚のことを知りたくて大学に入りました。
研究室に配属される頃には深海生物に興味が湧き、「鯨骨生物群集(げいこつせいぶつぐんしゅう)」──つまり死んだクジラの骨に集まる生物の研究を始めたんです。
━━最初はクラゲではなかったのですね。
ええ。海底にクジラの骨を沈めて、2ヶ月後に引き上げに向かったのですが、なんとその骨が見つからなくなってしまって……。研究テーマの変更を余儀なくされました。
そこで、保険のような役割として研究室で飼育していた、正体不明のポリプ(※クラゲの形態のひとつで、イソギンチャクのような固着性のある世代)の研究を本格的に始めることにしたんです。それが、箱型の体を持つ「立方クラゲ」との出会いでした。
━━偶然の出会いが、運命を変えたのですね。
そうですね。そのポリプの正体がなかなか分からず、修士課程に進んでから、日本沿岸の様々な立方クラゲを集めて比較研究を進めました。
その結果、このポリプは当時まだ日本で見つかっていなかった「コモレビクラゲ」という種だったことが判明したんです。これが私にとって最初の日本初記録種との出会いでした。
その後、東日本大震災を機に研究拠点を沖縄の琉球大学へ移したことで、私のクラゲ研究は新たな展開を迎えます。沖縄ではヒメアンドンクラゲやハブクラゲ、そして同じく日本初記録種となるフクロクジュクラゲやワタツミクラゲなどを研究しました。
中でも大きな発見だったのが、新科・新属・新種として発表した「リュウセイクラゲ」です。
これは沖縄にいた私に代わって、同期が湘南の港で採集してくれた標本の中に紛れていたものでした。後から見返すと、「アンドンクラゲじゃないやつがいるぞ」と。形やDNAを詳しく調べた結果、全く新しい系統のクラゲだと分かったのです。
こうした分類研究と並行して、ポリプがクラゲへと姿を変える「生活史」の研究も続けていました。ポリプと成体のクラゲは全く姿が違うため、両者を繋げて初めてその種の全体像が理解できます。
その中で、ヒクラゲという立方クラゲが、従来の常識を覆す変態様式を持つことを突き止めました。これは、クラゲ全体の進化の謎を解き明かす上で、非常に重要な発見となりました。
クラゲの命名に懸ける想い
━━戸篠さんは、シトウズクラゲやリュウセイクラゲなど、非常に印象的な和名を付けられています。その命名には、どのような想いが込められているのでしょうか。
和名を付ける際は、常に「和の雰囲気」や「美しい日本語」を大切にしたいと考えています。例えば「シトウズクラゲ」の“シトウズ”は、日本の伝統的な履物である足袋(たび)の原型になったものです。
もちろん「タビクラゲ」「クツシタクラゲ」のような名前でも形は伝わりますが、少し安直で面白みに欠けるかなと。
━━「シトウズって何だろう?」と、名前をきっかけに調べることで、日本の文化にも触れることができますね。
クラゲの名前から、その背景にある文化にも興味を持ってもらえたら嬉しいですね。
また、福島県いわき市で見つかった「ジャンガラコノハクラゲ」の「ジャンガラ」は、その土地に伝わる「じゃんがら念仏踊り」に由来していて、このクラゲを見つけたアクアマリンふくしまの石井さんの考案で命名しました。
もしかしたらいつか途絶えてしまうかもしれない伝統文化を、クラゲの名前に刻むことで後世に残すことができる。「名前をつけることによって、その存在を永遠にする」という想いです。
学名(種小名)につけた「onahamaensis」も、現在はいわき市に吸収された旧地名「小名浜」を残したいという気持ちからでした。
━━刺されると危険なイメージのある立方クラゲに「リュウセイクラゲ」と名付けたのにも、何か理由があるのでしょうか。
立方クラゲは確かに強い毒を持ちますが、水中で泳ぐ姿はとても優雅で綺麗なんです。危険な側面だけでなく、そうした美しい部分も知ってほしい、クラゲに親近感を持ってほしいという願いを込めて「リュウセイクラゲ」と名付けました。
もちろん、命名は私一人で決めるわけではなく、共同研究者の方々と相談しながら、皆で「クラゲに愛着を持ってもらえる名前」を第一に考えています。
クラゲにまつわる思い出深いエピソード
━━これまでの研究人生で、特に思い出深いクラゲとの体験はありますか?
クラゲとの最初の出会いは、地元・大分県の河口で遊んでいた子ども時代に見たミズクラゲです。当時はただ「不思議な生きものだな」と思うだけでしたが、やはり研究を始めてからの出会いは格別ですね。
一番心に残っているのは、修士時代に練習船で瀬戸内海を航海した時のことです。夜、港で集魚灯を点けて生物採集をしていたら、灯りに「ヒクラゲ」が20、30匹と集まってきたんです。
━━それはすごい光景ですね……!
ええ。アンドンクラゲの親玉のような大きなクラゲが乱舞する姿は、本当に迫力があって、同時にとても神秘的でした。「日本にこんな生き物がいるんだ」と、心の底から感動したのを覚えています。
あの時の興奮は、今でも忘れられない、私の研究の原風景のひとつです。
「クラゲのように生きる」戸篠さんの今後の目標や夢
━━最後に、研究者として、また個人としての今後の夢を教えてください。
研究者としての夢は、日本のクラゲ全種、そしてそのポリプとクラゲの両方を網羅した「最高の図鑑」を作ることです。世界に誇る『日本クラゲ大図鑑』という素晴らしい本があるのですが、それに並ぶか、あるいはそれを超えるような図鑑をいつか出版したいですね。
また、個人的には、今回お話ししたような「クラゲの名前の由来」をまとめた本も作ってみたいです。名前の背景を知ると、その対象への愛着がグッと深まりますよね。そういう体験を、クラゲを通して多くの人に届けられたらなと。
━━クラゲそのものだけではなく、その周りにある文化や物語にも光を当てたい、と。
そうですね。そして、私自身の生き方としても、クラゲから学ぶことは多いです。クラゲは5億年以上も前から地球に存在し、シンプルな体の構造ながら、環境の変化に柔軟に適応して生き抜いてきました。その生き様は、時に不器用な私にとって、ひとつの道標のように感じられます。
環境の変化をピンチではなくチャンスと捉え、状況が悪いときはじっと耐え、好転すれば一気に行動する。そんなクラゲのように、したたかに、たくましく、けれど自由気ままに生きていきたい。それが、クラゲという生きものに少し憧れている、私の気持ちです。
海を漂うクラゲ、そして日本文化への“リスペクト”
ひとつひとつの名前に、日本という国や発見された土地ならではの文化、そしてクラゲそのものへの愛情を深く刻み込んできた戸篠さん。その言葉の端々から、悠久の時を生きるクラゲへの、そして失われゆく文化への、限りないリスペクトが感じられました。
クラゲのように生きたい──。その言葉は、変化の激しい現代を生きる私たちにとっても、深く心に響くメッセージではないでしょうか。
クラゲを見るときには、ぜひその名前の背景にも想いを馳せてみてください。
(サカナトライター:天草せりひ)