ノンフィクション作家・梯 久美子さんが語る、やなせたかしさんのダンディズム【NHK連続テレビ小説「あんぱん」】
やなせたかしさんが編集長を務め、その抒情的な世界観が今も語り継がれる伝説の雑誌『詩とメルヘン』。評伝の名手として知られるノンフィクション作家の梯(かけはし)久美子(くみこ)さんは、やなせたかしさんのもとで『詩とメルヘン』の編集者として働いていました。梯さんが触れた、やなせさんの仕事ぶりやお人柄などをお聞きしました。
今回は、7月26日に発売した『NHKドラマ・ガイド連続テレビ小説 あんぱんPart2』に掲載した記事をご紹介します。
(※NHK出版公式note「本がひらく」から抜粋)
今よりずっと詩が身近だった時代
小学校5年生のときに教室で、やなせたかし先生の初めてのアニメ映画「やさしいライオン」を見ました。ライオンのブルブルと育ての母である犬のムクムクが空に昇っていくラストシーンでは、それが死を意味すると子ども心にも理解できました。映画を見て涙を流したのは、このときが初めてでした。
次にやなせ作品と出会ったのは、中学生のとき。当時の私は寺山(てらやま)修司(しゅうじ)のファンで、寺山の詩集などを立ち読みするために近所にできた大型書店に入り浸っていました。そこでパッと目に飛び込んできたのが、創刊されたばかりの『詩とメルヘン』です。そのころはカウンターカルチャー(70年代に全世界で広まった、既存の文化や体制を否定し、それに敵対する文化)全盛期。サイケデリックで派手な表紙が並ぶ中、『詩とメルヘン』の素朴で抒情的な表紙は異彩を放っていました。
1970年代は詩が今よりもっと身近にあった時代です。『現代詩手帖』や『ユリイカ』といった、一般の人にはかなり難解な現代詩の雑誌だけでなく、日常のことばで書かれた投稿詩を掲載する単行本や雑誌もありました。少女や若い女性向け雑誌にも、詩がきれいな写真と一緒に載るページがあったし、気軽にプレゼントできるようなおしゃれな詩集もたくさん刊行されていたんです。
詩を書くのも、それほど特別なことではなかったので、私も大学生になってから『詩とメルヘン』に詩を投稿していました。初投稿の詩が掲載されたときは、うれしかったですね。絵は、人気イラストレーターの林(はやし)静一(せいいち)さん。それに気をよくして何度も投稿し、その後も2回掲載されました。
やなせ先生はオーラを出さない人
やなせ先生のもとで『詩とメルヘン』の編集がしたい一心でサンリオの入社試験を受け、採用されました。当時のサンリオは一部上場したばかりで、同期は100人以上。その中で出版部に配属されるのは1人か2人です。私は最初の1年間、辻󠄀信太郎社長の秘書として働いたあとに『詩とメルヘン』編集部に異動することができました。
辻󠄀社長は私が『詩とメルヘン』志望だったことを覚えていらして、「梯さんは『詩とメルヘン』がやりたくて津軽海峡を越えてきたじゃんね!」と、甲府弁で言われたこともあります。当時、地方の大学出身の女子社員はごく少数で、社長は「はるばる北海道から来たのに……」と、気にしていらしたようです。
念願かなって『詩とメルヘン』に配属され、憧れのやなせたかし先生と初対面……ですが、実はそのときのことはよく覚えていないんです。なぜかというと、やなせ先生からオーラを感じなかったから。『詩とメルヘン』に掲載されたことがあるとお話ししましたが、「それは優秀ですね」と、サラリと応じるだけ。誰に対しても名字に〝さん付け〟で呼びかけ、フラットに接する方でした。編集部員からの企画案も大概通してくださって、私は寺山修司の短歌の特集などを担当することができました。
先生は、とにかく仕事が早かった。絵や原稿は締め切りの1週間前には完成していて、一度も遅れたことはありません。投稿詩の添削はしない主義で、投稿原稿の端っこに鉛筆で1行、サラサラと感想を書いてくださる。それが、目次の各作品名に添えられた寸評でした。
やなせ先生の精神的なダンディズム
私は『詩とメルヘン』の編集に7年間携わりました。その間に「アンパンマン」のアニメがスタート。最初から高視聴率で、グッズ制作や映画化の話も進んでいました。でも、身近にいた私たちはしばらく、やなせ先生のご多忙ぶりに気付かなかったんです。忙しそうなそぶりは全く見せず、それまでどおり淡々と仕事をなさっていたからです。大物ぶったり、偉そうに見せることはみっともないという、精神的なダンディズムをお持ちだったんですね。オーラを出さない主義というか(笑)。
そのころは、奥様の暢(のぶ)さんが乳がんの大手術を受けた時期でもありました。後にやなせ先生は「目の前が真っ暗になった」とお書きになっていますが、私たちは暢さんのご病気のことも全く知らなかった。誰にも言わず、いつもどおりに仕事をこなしていらっしゃったんです。
そんな中、フリーの編集者となっていた私は先生に、絵本の仕事を依頼します。先生は「分かりました」と快諾し、すてきな絵本を書いてくださいました。大好評で第2弾も出版しましたが、版元の倒産によって絵本は絶版に。作家にとって絶版は何よりつらいことです。それでも、やなせ先生は私を責めませんでした。そればかりかその後一度も話題にせず、胸に収めたままでいてくださった。それがどんなにありがたかったか。
優しくて、軽やかで、決して怒らず、いつも機嫌がいい。こんなに「いい人」を、私はほかに知りません。私にとってやなせ先生は世界でただ一人の恩師なんです。
『NHKドラマ・ガイド連続テレビ小説 あんぱんPart2』では、『詩とメルヘン』を大特集! 美しい表紙の数々や名物コーナーの紹介など、ドラマの理解がより深まります。
梯 久美子(かけはし・くみこ)
1961年熊本市生まれ。北海道大学文学部卒業後、やなせたかしが編集長を務めた雑誌『詩とメルヘン』の編集者となる。40代でノンフィクション作家としてデビューし、『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官·栗林忠道』(新潮文庫)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。同書は米、英、仏、伊など世界8か国で翻訳出版されている。読売文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞ほかを受賞した『狂うひと 「 死の棘」の妻·島尾ミホ』(新潮文庫)など著書多数。ジュニア向けに書いたやなせたかしの伝記『勇気の花がひらくとき やなせたかしとアンパンマンの物語』(フレーベル館)の内容が、小学校5年生の国語教科書に掲載されている。