人助けはした方が“気持ちいい”。「誰かがやるだろう」は、もうやめた|潮井エムコ
誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回はエッセイストの潮井エムコさんにご寄稿いただきました。
かつて街中で困っている人を見かけても、気恥ずかしさや「誰かが助けてくれるだろう」という気持ちから遠巻きに見ていることが多かったという潮井さん。
しかしある出来事を機に、今では自然と声をかけられるようになったそう。初めて勇気を出した日から今に至るまでの心の変化についてつづります。
「誰かが助けてあげたらいいのに」をやめた日
近所の商業施設で買い物を済ませ店を出ると、一人のおばあちゃんが漫画のような大荷物を抱えて歩いていた。いや、歩いているというよりは、進んでいるという表現の方が正しいのかもしれない。
曲がった腰から伸びる細い足を引きずるように前に出しながら、少しずつ進んでいる。その一歩は10cmにも満たない。
抱える荷物はパンパンのエコバッグが一つと、介護用オムツにトイレットペーパー。脂肪のほとんどない指に持ち手が食い込んでいる。
その場にいる誰もがおばあちゃんの姿を視界に捉えていた。すれ違いざま心配そうに振り返る人たちがみんな
「誰か助けてあげたらいいのに」
と思っているのはすぐに分かった。私もその1人だったからだ。
気になりつつも声をかける勇気は出ず、近くのコンビニに立ち寄った。おばあちゃん大丈夫かな。さすがに誰かが助けてくれたかな。そんな思いを巡らせながら商品を選び店を出ると、先ほどのおばあちゃんが数メートル進んだ先にまだ、いた。
しかし、通り過ぎた時にふと思った。もしも心優しい私の祖母がこのおばあちゃんの姿を目にしたら、同じように見て見ぬフリをするだろうか。そう想像すると、次の行動は決まっていた。心臓がバクバク鳴ったが、勇気を出しておばあちゃんに話しかけた。
「こんにちは。お荷物、重たそうですね。どちらまで行かれますか? お持ちしても、いいですか?」
慣れないシチュエーションに、ついしゃべり過ぎてしまう。見知らぬ女に突然話しかけられたおばあちゃんは、びっくりした様子で立ち止まった。
「アラアラ! どうしましょう。そこのタクシー乗り場までだから、もうすぐそこなの。だから大丈夫よ、いつもこうなの」
おばあちゃんが顔をクイと動かして示すタクシー乗り場は、私の足で5歩ほどの、本当にすぐそこにあった。
ああ、よかった。
最初の感情は安堵だった。
「そうですか、それならよかったです。あんまり重たそうだったから、つい声をかけてしまいました。急にごめんなさい」
「心配してくれてありがとう、お嬢さん」
「いえいえ、お気をつけて」
30歳前後の成人女性をお嬢さんと呼んでくれたそのおばあちゃんは、止まっていたタクシーに乗り込んで行った。
結果として何を手助けできたわけでもない。声をかけ、お断りされ、お別れした。ただそれだけである。でも、先ほどまで胸に渦を巻いていたモヤモヤはなくなった。
こんな気持ちは初めてだったが、どこか懐かしかった。
それは自分の行動に、まだ元気だった頃の祖母の姿が重なったからだ。
手を差し伸べても、特別悪いことも良いことも起こらない
私の祖母は“超”がつくほどの親切な人である。
若い頃からボランティア活動に積極的で、老人ホームで入所している方々のお世話をしたり、児童館の催しで趣味の歌やフルートを披露したり、地域の清掃や草むしりに参加したりと、その活動は多岐にわたっていた。祖母があまりにもボランティアの話ばかりするので、幼い頃の私は彼女が“ボランティア”という仕事をしていると思っていた。
祖母はいつも、人を助けたり人に親切にすることについて「おばあちゃんは、気持ちがいいからしているだけなんだよ」と話していた。祖母の語る「気持ちがいい」の意味は、この時の私にはまだわからなかった。
あの時「大荷物のおばあちゃんに声をかける」という行動をとってみて気がついたのは、断られたとしても残る感情が「よかった」という安堵だけ、ということ。助けが不要で「よかった」。一緒に解決できたなら、それもまた「よかった」はずだ。
見ず知らずの人に手を差し伸べても、特別にいいことも悪いこともない。まわりから石を投げられることも、私の頭上に紙吹雪が舞うこともないという事実は、経験して分かった。
声が震えて言葉はしどろもどろだったし、表情だって相当変だったはずだし、確かに勇気は必要だったが、実際にやってみるとなんてことはない。そして、あとから「あのおばあちゃん、大丈夫だったかな」とモヤモヤするよりよっぽど「気持ちがよかった」。
ふとよぎった「偽善じゃないか?」という問答
声をかけるデメリットは何もないと気が付いてからは、困っている人がいると勇気を出して声をかけるようになった。
人間、どんなことも慣れである。回数を重ねることで、声を掛ける時の心臓のバクバクは徐々に小さくなっていった。
しかし、ふと「声をかける自分」に対して「“いい人”と思われたいだけじゃないか?」と感じたことがあった。
ある日のこと。込み合った電車に乗り込み、運よく乗車ドア近くの手すりがあるスペースに収まることができた。座席の横にあり体の重心を預けられるこの場所は、私の中で座席の次に良い場所である。
ラッキーだなぁなんて思っていると、次の停車駅で小さな男の子を2人連れたお母さんが乗ってきた。満員の電車内を何とかすり抜け、比較的空いていた乗車ドアの中央あたりに身を寄せている姿が見える。
「よかったら場所を変わりませんか?ここならお子さんも手すりが持てます」
そう言った途端、脳内でこんな問答が始まった。
今座席に座っている人に対して「あなたたちが席を譲らないから私がしているのだ」という当てつけになっていたらどうしよう?「いい子と思われたくてやっているのだろう」と白い目で見られているかもしれない。もしかしたら、そもそも声をかけられること自体、迷惑だったのでは?
しかし、お母さんは私の言葉を聞くなり子どもたちを連れて移動し、私は親子とすれ違うように場所を交代した。
「すみません、どうもありがとうございます」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
お母さんとのやり取りを終えて吊革を握った時、胸に残った気持ちは「偽善だったかもしれない」という心配より、「よかった」という安堵で、私はそれにひどく安心した。声をかけずにいて、子どもたちが転んだり、怪我をしなくてよかった。その気持ちだけだった。
この出来事をきっかけに、周りからどう思われたとしても、以前の私のように声をかけない理由を探して“まだ見ぬ助っ人”の登場を待つくらいなら、自分で行動した方がいいという思いはより強くなった。
私はただ「声をかけられた人」のひとつの選択肢になっただけにすぎないのだから。
その一瞬だけ、誰かの頼り先の選択肢になればいい
今ではこうして咄嗟に行動できるようになったが、若い頃の私からしたら考えられないことだ。私はいつだって他人任せで、誰かの助けを願ったり待ったりするだけだったからだ。
このような心境の変化が生まれたのは、歳を重ねたからかもしれないし、今年の初めに第一子が誕生し「声をかけられる側」を経験することが増えてきたからかもしれない。
エレベーターで順番を譲ってくれたおじいちゃん、バスに乗る時にベビーカーを持ってくれようとしたお姉さん、電車の中でグズり始めた我が子を全力の変顔であやしてくれようとした学生さん。
その気遣いをありがたく受けとることもあれば、申し訳ないと遠慮することもあった。しかし、どちらの場合も声をかけてくれた人の顔からは安堵が伺えて「みんな私と同じ気持ちなんだ」と改めて気が付いた時、今までの不安が少し晴れた。
私は「みんな困っている人がいたら助けよう」と言いたいわけではない。断じてない。できる時に、できる人が、できる範囲のことをすればよいのだから、人に強制するのは筋違いも甚だしい話である。
しかし「今あの人を助けるのは正解か?不正解か?」と迷ったとき、一歩踏み出す勇気は持っていたいと思う。申し出を受けるかどうかの判断は相手がするのだから、同じ社会に生きる隣人として、その一瞬だけでも誰かの頼り先の選択肢になることを、そんなに恐れる必要はないのだ。
私や家族に対してはもちろんのこと、多くの人に親切だった祖母は、今はもう寝たきりになり、意思の疎通もままならなくなってしまった。
代わりにこれからは、あの頃の祖母と同じように「人を助けると気持ちがいい」というシンプルな気持ちを忘れずに生きていきたいと思う。
編集:はてな編集部
著者:潮井エムコ
エッセイスト。2021年よりnoteにてエッセイの執筆を始め、2024年1月に朝日新聞出版から初著書である『置かれた場所であばれたい』を刊行する。