求められるのは「知性・感性・人間性・身体性・自信」〜ミス・ジャパン 茨城ファイナリストが語る夢を追いかける勇気と地元茨城への愛とは(前編)【茨城県水戸市】
地域への熱い想いを胸に、ガイドやSNSでの情報発信など、精力的に活動しているミス・ジャパン 茨城ファイナリストの野原香里(のはら・かおり)さん。彼女がミス・ジャパン 茨城大会に応募したきっかけや地元茨城の魅力、そして今後の夢や目標など、本選を控えた彼女の素顔に迫りました。前編・後編でお伝えします。
―ミス・ジャパン 茨城大会に応募したきっかけと、現在の心境を教えてください。
ずっと憧れていた、美しさに真摯に向き合う女性たち。彼女たちの姿を生で見たくて、そして私も触発されて変われたらと願っていたのが出場したきっかけです。そんな想いを胸に*ビューティーキャンプへの参加という夢を叶えることができ、同じ志を持つ仲間たちとの交流を通して、刺激を受け合い、高め合っていく経験が何より楽しみでなりません。他のミス部門のファイナリストさんたちの多くは20代前半ですが、私は現在31歳。なので、ナンバーワンよりオンリーワンの精神で本選まで穏やかに健やかに過ごせたらいいなと思ってます。
*ビューティーキャンプ・・・ポージング、スピーチ、ブランディングなど、大会までに出場者達が自分をブラッシュアップするレッスン
―ふだんの生活の中で、特に好きな場所や活動はありますか?
茨城、特に水戸について詳しくなるために努力している私。JR水戸駅北口周辺を中心に、偕楽園(かいらくえん)や弘道館(こうどうかん)のような歴史スポットから、私のお気に入りのお店や絶景ポイントまで、ご希望に沿ったオリジナルの特別なガイドプランでご案内しています。
―野原さんご自身が暮らしていて感じる茨城の魅力は何ですか?
やはり奥深い歴史です。常陸(ひたち)水戸藩の第2代藩主、徳川光圀公といえば「水戸黄門」の名で親しまれている方でもあります。実は、この光圀公が*大日本史の編さんを志したのも、茨城がゆかりの地なのです。編さん作業は、1672年に水戸から江戸小石川藩邸(現在の東京・小石川後楽園)に移転するまでの間、水戸にあった「彰考館」(しょうこうかん)で行われました。そこには多くの学者たちが集い、光圀公の壮大な事業を支えました。歴史好きの私にとって、水戸はまさに聖地のような場所です。
*大日本史・・・水戸藩によって編さんされた397巻の歴史書。1657年に徳川光圀が尊王の目的で編さんを始めた。光圀の死後も編さんは続き、1906(明治39)年に完成した。
―水戸は歴史と深いつながりがあるのですね。
黒船来航前の出来事ですが、大津浜(現・北茨城市)に来た異国船を見た水戸の学者・会沢正志斎(あいざわ せいしさい)先生は日本が植民地化されてしまうのではないかと深く憂慮しました。そこで、日本を守るには国力の増強が急務、そのためには教育が必要ということで生まれたのが日本最大規模の藩校・弘道館です。
上記の事件を目撃した会沢正志斎先生が提唱した「尊王攘夷」をモットーに、その後日本は明治維新へと突き進むことになります。つまり、この流れの根本をつくったのは光圀公が大日本史を編さんしようと思い行動したからではないかと私は考えています。
―これまでに取り組んだ地域活動や社会貢献活動がありましたら教えてください。また、そこからどのようなことを学びましたか?
大学在籍中に私は駅近くのお店を営む方へのインタビューをまとめた冊子作りと、初めての自主企画となるまち歩きイベントを開催しました。このイベントはまさに大学生活の集大成。卒業後の新しい道に進む前に、何か思い残しのないように、全力で取り組んだことを覚えています。
生まれて初めての経験ということもあり大変なことも多かったですが、一つ一つ乗り越えるたびに充実感と達成感でいっぱいになりました。失敗も貴重な経験と捉え、常に前向きにチャレンジし続けたことで、イベント開催後も、市役所の先輩やまちづくり団体の方から声をかけていただき、ガイドとしてあゆみ続けることができました。
学生最後の思い出として、このまち歩きイベントは私にとってかけがえのない経験でした。どんなにたくさんのタスクが重なっても、スケジュールを立てて冷静に対処すること、そして頭を整理することの大切さをこの経験から学びました。
情報
野原香里さん:Instagram @jimotivemito
ミス・ジャパン 茨城:公式ウェブサイト https://missjapan-ibaraki.com/
(後編へ続くhttps://thelocality.net/https-thelocality-net-missjapanibaraki-kaorinohara2/)