中村鷹之資×中村鶴松 新春浅草歌舞伎『絵本太功記』Wキャストで挑む十次郎への意気込み
1980年に始まり、新年恒例の歌舞伎公演となった「新春浅草歌舞伎(以下、浅草歌舞伎)」。若手の登竜門としても毎年注目されている。そんな浅草歌舞伎が2025年、転機を迎える。2015年より10年間、浅草歌舞伎を盛り上げた尾上松也を中心とした座組に替わり、気鋭の若手俳優たちによる新たな座組が舞台に立つ。
注目は、古典の名作『絵本太功記(えほんたいこうき) 尼ヶ崎閑居の場(あまがさきかんきょのば)』。
本能寺の変が題材となる。織田信長(劇中では、小田春永)から理不尽を強いられた明智光秀(劇中では、武智光秀)が謀反を企て、豊臣秀吉(劇中では、真柴久吉)に討たれるまでの13日間を描いた作品だ。1日一段、全十三段からなる構成のうち、本公演ではクライマックスとなる十段目「尼ヶ崎閑居の場」が上演される。
今回の公演では、第1部(11時開演)と第2部(15時開演)で、配役をかえたWキャストという点も見逃せない。武智十次郎をWキャストで勤める中村鷹之資(たかのすけ)と中村鶴松(つるまつ)が、作品の見どころ、公演への意気込みを語った。2025年1月2日に開幕した公演初日の舞台写真とともにお届けする。
■浅草の思い出
ーー会場は浅草公会堂です。
中村鷹之資(以下、鷹之資):浅草歌舞伎は、先輩方が繋ぎ、浅草の皆様に育てられてきた特別な公演。僕は初めての参加ですが、父(五代目中村富十郎)の代から浅草仲見世にあった評判堂さんなどお付き合いもあり、小さい頃から浅草は訪れていました。そして2023年に自主公演『翔之會』を浅草公会堂でやらせていただいた時、初めて自分の公演のご挨拶回りをさせていただいて。そこからまた、しっかりとしたお付き合いがはじまった感覚です。今回は公演の合間に浅草の街も歩けたら、と楽しみしています。鶴松さんは、浅草にたくさんの思い出があるんじゃないですか?
中村鶴松(以下、鶴松):そうなんです。平成中村座(隅田公園仮設)に初めて出させていただいたのが、6歳の時。その時は「舞台をがんばったから」と、亡くなられた(十八世中村)勘三郎さんが手をつないで、小山商店(浅草仲見世商店街の模造刀を扱うお店)までご褒美を買いに連れて行ってくれました。その後も平成中村座はもちろん、浅草歌舞伎も4回出させていただき、自主公演も浅草公会堂で。ずっとお世話になっています。
■太功記十段目の魅力
ーー第1部と第2部、共通で上演されるのが『絵本太功記』の十段目「尼崎閑居の場」。『太十(たいじゅう)』の通称で知られる名場面です。
鷹之資:僕らにとっては、古典の役の基礎をがっつり勉強させていただける重い演目ですね。
鶴松:メンバーがガラッと入れ替わる年の一発目に『太十』でしょう? 「全員まずは勉強しなさい。古典の基礎の力をつけなさい」という意味だと受け止めました。
ーー「尼崎閑居の場」では、いよいよ追い詰められた光秀が、家族に一目会うべくやってくるのですが……。鷹之資さんと鶴松さんは、そんな光秀の息子、十次郎(じゅうじろう)を演じます。
鷹之資:十次郎、むちゃくちゃ難しいですね!
鶴松:難しいです! 台詞が半音違うだけで、そして、心の中で思うことが違うだけで、お客さんへの伝わり方が全然違ってくる役だと思いました。
鷹之資:僕も鶴松さんも、それぞれに松本幸四郎のおにいさんにお役を教わっているんですよね。一瞬も気が抜けない。気持ちがずっと揺れ続けている役だと感じています。許婚の初菊への思いと戦へ向かう決心の間で揺れる気持ちで始まり、初菊に引き止められるところでは、形の美しさもお見せしなくてはいけません。きちっとおさえなくてはならないポイントがとても多いんです。そのポイントは、これまでに十次郎を演じてこられた先輩方が作り上げてきたもので、それが型として蓄積されている。型にのっとりながら、十次郎の心をお客様に伝えなくてはいけません。
鶴松:そして光秀に、どれだけグッと辛い思いをさせられるか。その意味で『太十』は十次郎が良くないと、どうにもならないお芝居なんだろうなと感じています。十次郎が一番ストレートにお客さんの感情に訴えかけられる役ですから。
鷹之資:そうですね。十次郎が、光秀の悲劇のキーパーソン。戦に出て手傷を負って帰ってきた後の「手負い」もありますしね。「手負い」は悲劇を表す歌舞伎の手法のひとつですが、息の使い方や台詞の言い方は、普段のお芝居とは全然違う。
鶴松:色々な先輩方の映像を観て思ったのは、前髪(元服前の若い少年)の幼さや可愛さがあった方が、より哀れに見えるのかな。特に幸四郎さんの十次郎からそれを感じたんです。以前『野崎村』のお光という役をやらせていただいた時には、中村七之助の兄から「全ての動きに意味がある」と教わりました。髪を右から触るのにも、足を左足から出すのにも、ひとつ目線を上げるのにも意味がある。実際に演じて初めてそれを実感しました。十次郎に対しても研究をし尽くして挑みたいです。
鷹之資:型として受け継がれてきたポイントをクリアしながら、手負いに見えるように、そしてお客様に心を動かして、光秀の心も動かせるように。がんばりましょうね!
■Wキャストは「イヤですよ(笑)」
ーー鷹之資さんが十次郎の第1部では、光秀を市川染五郎さんが勤めます。
鶴松:大ちゃんといっくん(齋。市川染五郎の本名)は、役を入れ替えてもできそうじゃない?
鷹之資:(歌舞伎俳優としての)線の太さ細さでいうと、たしかにね。でも僕が言うのもなんですが、線の太い役の染五郎さんも素敵なんですよ! 2023年俳優祭の『車引』で、僕が梅王丸、染五郎さんが松王丸で相対してやらせていただきました。普段の彼とは違う、ガーッと大きいものが見えてきて本当に素敵で。『太十』は、おそらく染五郎さんのお家にとっても大事な演目。思い入れもあるでしょうし、染五郎さんなりの大きな光秀を作られるのではと思っています。そんな光秀の息子に見えるように、僕は十次郎を勤めなくちゃいけません。
ーー鶴松さんが十次郎の第2部では、光秀を中村橋之助さんが勤めます。
鶴松:僕にとって国ちゃん(国生。中村橋之助の本名)は、子供の頃から一緒に歌舞伎をやってきた仲間です。お互いに、勘三郎さんや(中村)芝翫さんたちが平成中村座で作られていたものへ憧れがあり、言葉を交わさなくても通じる部分があります。プレッシャーも感じていると思いますが、絶対素敵な光秀になると思います!
ーーさらに第1部では、鶴松さんが十次郎の母・操を。第2部では、鷹之助さんは久吉の家臣・佐藤正清を演じます。
鶴松:操は、武家の妻で「片はずし」と呼ばれるタイプの役。経験ゼロですが、中村魁春さんに一から教えていただきます。手も足も出ないだろうけれど、しっかり教わったことをやるしかありません。十次郎とは違う難しさがあります。
鷹之資:僕の正清も、十次郎とはまた全然タイプの違う役。芝翫のおじさまに見ていただきます。お芝居の最後に登場して、格好つけて終われる気持ちの良い役です(笑)。その演目の最後を締められる、役者としての大きさを持って勤めたいです。
ーーそもそもの質問になるのですが、お互いにWキャストについてはどのような心境でしょうか。
鶴松:大ちゃんとWキャストなんてイヤですよ(笑)。
鷹之資:そんな! なんでですか!?
鶴松:比較されるし、大ちゃんは何でもできるし。
鷹之資:できません! それに僕だってドキドキなんですから!(笑) 十次郎は女方の役者さんも多くなさっている役。鶴松さんは僕より女方の経験も豊富なので、僕とは違った芝居のまとめ方ができるのだろうと思っています。いい意味で負けないよう精一杯やりたいです。
鶴松:大ちゃんも他の皆も、この先ずっと一緒に歌舞伎をやっていく仲間だけれど、多分全員どこかに対抗心はあると思うんです。それがゼロでは逆に駄目だし。浅草歌舞伎は僕らにとっても戦ですね!
鷹之資:はい!
■難しい、でも観てほしい
ーー浅草歌舞伎には、初めて歌舞伎をご覧になる方や、新作をきっかけに観始めたばかりの方も多くいらっしゃいます。『太十』は、どのような楽しみ方がおすすめですか?
鷹之資:歌舞伎らしい要素が凝縮された作品です。たとえば別れの悲しさ。武士の家に生まれた子の決意。没落していく光秀とその後に栄華を極める秀吉の対照的な陰と陽の見せ方や、歌舞伎の鷹揚さも詰まっています。光秀が豪快に義太夫にのる台詞回しや、十次郎の手負いも、いかにも歌舞伎らしい見せ場です。その「歌舞伎らしさ」こそが、初めての方を身構えさせてしまう部分かもしれません。でも真っさらな状態で「歌舞伎ってこういう感じなんだ」と観ていただけたら、とも思うんです。
鶴松:台詞が分かりやすい作品や、漫画を原作とした新作など色々な歌舞伎がある中で、『太十』は難しい演目ではあるんですよね。話の筋を理解するには、あらすじを読んでおいていただいたり、イヤホンガイドを活用いただくのが良いのかもしれません。でも僕ら歌舞伎役者が結局好きで、一番観て欲しいのは、こういう古典なんです。新作歌舞伎を見たことがある方でしたら「新作であんな風にやっていたのは、古典がこうだからだったのか」とか「新作歌舞伎の面白さや派手さは、もともと古典歌舞伎に詰まっていたものだったのか」と楽しんでいただけるのではないでしょうか。
ーー第二部では、『太十』の他に鶴松さんが静御前を勤める『春調娘七種(はるのしらべむすめななくさ)』、鷹之資さんが次郎冠者を勤める『棒しばり』も上演されます。
鶴松:『娘七種』では尾上左近くん、中村玉太郎くんと共演します。立役と女方の両方を演じることが多い3人。今回の浅草歌舞伎でも、立役と女方でギャップの大きい役に挑戦します。僕自身、女方の役を頂くことが多いのですが、勘三郎さんへの憧れもあり、立役への気持ちが強いんです。女方をやりたくないと思う時期もありました。でも最近ようやく、立役をやるにしても「女方をやっていて良かった」と思えるようになってきたんです。体の使い方を学べますし、声の幅や音域も広がります。『娘七種』は役者そのものを見せる演目。でも今の僕らではまだ若いかもしれませんが、浅草歌舞伎のメンバーとして皆同じ気持ちで新たに立ち向かっていく。良い意味での若さと勢いが、今回ならではの面白さになる部分もあると思っています。それは『太十』や『棒しばり』にも言えることですね。
鷹之資:そう思います。『棒しばり』は、2024年の自主公演で勉強させていただいた演目です。自主公演は尾上松緑のおにいさんに教わり、尾上左近さんの太郎冠者で、能楽堂の正方形の能舞台でやらせていただきました。今回は幸四郎のおにいさんに教わり、染五郎さんの太郎冠者で、歌舞伎の松羽目の舞台です。基本は同じでも、僕の次郎冠者もおのずとテイストは違ってくるでしょうし、僕自身も自主公演での気づきを踏まえ、より進化した『棒しばり』をお見せしたいです。晴れやかな気持ちでパーっと心を軽く劇場をあとにしていただけるよう、僕自身楽しんで一生懸命やらせていただきます。
■新たな顔ぶれで次の一歩へ
ーー新たな顔ぶれで、若手の皆さんが大役に挑まれる1か月。第1部と第2部、どちらも楽しみです。
鶴松:同じ役でも色々なやり方があって、全部正解だし、大ちゃんたちが今回どういう『太十』になるかは分かりません。けれども国ちゃんと僕は、リアルを追求する中村屋のメンバーでもあるので、古典ではありますが役の気持ちの方を伝えられたらなって。ただ若いうちは、伝わるようにオーバー気味にやらなくてはいけないところもあると思うんです。そこから経験を重ね、削ぎ落として、リアルな芸に近づけていくのかな、と最近思ってます。
鷹之資:12月は、京都で片岡仁左衛門のおじさまが大石内蔵助を勤める『元禄忠臣蔵 千石屋敷』で、大石主税をやらせていただいたのですが、おじさまから「ちゃんと演じようとしなくていい。演じるんじゃなく、その役になることが大事」。その役になりきればおのずとその形になるし、観ているお客さんにも気持ちは伝わると伺いました。どんな義太夫狂言もきっと世話物も、大事なのは生の気持ちがあることが、生きている芝居なんだなって。
鶴松:勘三郎さんにも、まさにそう言っていました。役になることが大事。「役の気持ちになれば、そう言う言葉が出るし、そういう悲しいシーンだったら悲しい音が出る」って。
ーーおふたりとも歌舞伎の初舞台から20年以上たっていますが、これまでに「役になれた」と感じる経験はありますか?
鷹之資:ありますか?
鶴松:ありませんよ……、え?
鷹之資:え?
鷹之資・鶴松:ないないない!(笑)
鷹之資:そうそうなれるものではありません!
鶴松:もちろん「役になりきる」ことを目指してはいます。でも頭のどこかで、本当にそんなことができるのかな? と思うこともあるんです。大竹しのぶさんが何かのインタビューで、役になりきっているのかと聞かれて「そんなわけないじゃない。大竹しのぶのまんまよ」と答えてらして。そういう意見もあるんだな、と印象的に残っています。
鷹之資:その通りなんじゃないかな、という気がしますね。あくまでもその人が役を演じているから、お芝居にもその人が出てくる。現代劇の『有頂天家族』をWキャストでやらせていただいた時も、やはり素から滲み出てくるものを感じました。松緑のおにいさんからは、以前「『棒しばり』は、2人の関係性がモロに出る演目。お客さんはそこも楽しみにしている」とうかがいました。僕も鶴松さんも、幸四郎のおにいさんに十次郎を習いますが、決して同じ十次郎にはならないでしょう。第1部と第2部でも、まるで違う『太十』になるはずです。その違いを楽しんでいただけるのも、歌舞伎の魅力だと思うんです。まずは教えていただいたことを精一杯やるだけで、「自分の十次郎」なんて一朝一夕で出せるものではありません。でも「ゆくゆくは」と目指す気持ちは持っていたいです。
『新春浅草歌舞伎』は、2025年1月2日(木)より26日(日)まで浅草公会堂にて上演。
取材・文・撮影(舞台写真以外)=塚田史香