知られざる松島 日本三景の隠れた絶景スポット「雄島」【宮城県松島町】
平安時代から歌枕の地として知られ、天橋立や宮島とともに「日本三景」に数えられる松島。
大小260余りの島々が織りなす多島海の景観美は、松尾芭蕉や正岡子規、与謝野晶子ら多くの文人を魅了し、現在でも年間300万人近い観光客が訪れる東北地方有数の観光地となっている。
遊覧船で湾内の島々を巡り、伊達政宗の菩提(ぼだい)寺で国宝の瑞巌寺や国の重要文化財である五大堂を拝観、名産の牡蠣(かき)や寿司に舌鼓を打つのが定番だが、松島の魅力はそれだけではない。
松島に来たらぜひとも足を伸ばしてほしい隠れた絶景スポットをいくつか紹介する。
「雄島(おしま)」地名の由来となった霊場の島
国の特別名勝にも指定され、四季を通して観光客でにぎわう松島だが、かつては死者供養の霊場であった。島々の織りなす美しい景観に極楽浄土を重ね合わせ、「奥州の高野」と称される信仰の地となった。
海岸の間近に浮かぶ雄島は、霊場だった往時をしのばせる場所だ。
中世から此岸(しがん=現世)と彼岸(ひがん=あの世)をつなぐ島と考えられ、諸国から集まった僧侶や巡礼者が浄土往生(じょうどおうじょう)を祈念して修行に励んだ。
平安時代末期、伯耆国(ほうきのくに、現在の鳥取県中西部)から雄島に渡った見仏上人(けんぶつしょうにん)は12年間にわたって島に籠もり、法華経六万巻を読誦(どくじゅ)した。鳥羽天皇がその高徳をたたえて松の苗木千本を下賜(かし)したことから雄島は「千松島」と呼ばれ、これが松島の地名の由来となったと言い伝えられている。
雄島は南北約30メートル、東西約40メートルの細長い小島で、かつて島内には108の岩窟(がんくつ)があったといわれ、今も50ほどが残っている。凝灰岩を掘った岩窟には五輪塔や塔婆、法名が刻まれ、火葬骨を納めた跡も見られる。また、鎌倉時代から建てられた梵字(ぼんじ)を刻んだ石造の供養碑「板碑(いたび)」も数多い。静寂に包まれた岩窟と対峙していると、雄島が聖なる島であることを実感できる。
JR仙石線の松島海岸駅に降り立ち、瑞巌寺や五大堂に向かう観光客と別れて海沿いの道を南に進む。数分ほど歩くと朱塗りの渡月橋で結ばれた雄島が見えてくる。引き潮の時には磯伝いに歩いて渡れそうだ。
渡月橋を渡り、石仏が安置された細い道を進んでいくと短い隧道(ずいどう)にたどり着く。
隧道を抜けて岩窟に囲まれた場所に足を踏み入れた途端、周囲の空気が一変する。訪れる人もなく、しばらくたたたたずんでいるうちに読経が聞こえたような気がした。
数知れぬ修行者が祈りを込めて鑿(のみ)を振るった岩窟も風化が進んでいる。
雄島のあちらこちらに苔むした板碑が残る。
地表をびっしりと覆う松の根が千松島と呼ばれた時代を思い起こさせる