「民藝」という言葉の裏側にあったもの【若松英輔『柳宗悦 美を生きた宗教哲学者』】
「民藝」という言葉が生まれて百年、批評家・若松英輔がその本質に挑む
民衆の日常で使われていた雑器を「民藝」と名付け、その美の中に「救い」を見出した柳宗悦。なぜ柳は民藝に究極の美を見いだしたのか、なぜ美は人を癒やし、救いへと導くのか。文学・哲学・宗教など様々な分野の人物と交流のあった柳の生涯と彼の代表作を時系列で追いながら、近年知られるような美術評論家としてではなく、宗教哲学者としての柳宗悦の全体像を描く。
若松英輔『柳宗悦 美を生きた宗教哲学者』の刊行を記念し、本書よりそのイントロダクションを公開いたします。
柳宗悦(やなぎ・むねよし 一八八九〜一九六一)は、近代日本を代表する思想家の一人です。本書では、彼の生涯と境涯を見つめ直してみたいと思っているのですが、今なぜ、柳なのかという問題をまず、考えてみたいと思います。
歴史的な人物である、というだけでは、今、改めて彼の言葉と行動の意味を味わう動機にはなりません。柳のような普遍に向かって仕事をした人は、いつ読み直しても何かがある、ともいえるからです。しかし今日は、まさに柳が対峙し、深めた問題に私たちもまた、向き合わねばならないところに来ているように思われてならないのです。
柳の生涯を読み解く扉になるいくつかの言葉があります。「宗教」「平和」、そして「美」です。
真の意味における「宗教」とは何か。その真実の役割は何なのか。私たちはこの問題を避けて通ることができない場所に立っています。
「平和」とは何か、いかにして平和は実現し得るのか。この問題の切迫性は改めていうまでもありません。
柳にとって「美」は、人を大いなるものへと導く道であり、翼のような存在でした。
真善美という言葉があるように、ある人は、美ではなく、真、あるいは善こそがそのはたらきを担うというかもしれません。
なぜ、美であると柳は考えるに至ったのか。それは美こそもっとも広く、また等しくその救いの業を人々にもたらし得るからです。
美と救済に何の関係があるのか、という人がいても不思議はありません。しかし、「雑器(ざっき)の美」という柳の代表作にある言葉を読むとき、そこに現代人の感覚ではとらえられない確かな可能性が見出せます。次の一節にある「神の子」とは、人間の本性は神の子であることを示しています。
神の子たるを味わう時、信の焰は燃えるであろう。同じように自然の子となる時、美に彼は彩られるであろう。詮ずるに自然に保障せられての美しさである。母のその懐に帰れば帰るほど、美はいよいよ温められる。私はこの教えのよき場合を雑器の中に見出さないわけにゆかぬ。
「雑器の美」『民藝四十年』岩波文庫
私たちは人の子であると同時に神の子でもある。その事実を深く経験したとき、信仰の焰が燃えたつ。それに似て、人は自らが自然の子であることを自覚したとき、まことの美とは何かを知る。それは自らの内心の彩り、すなわち「たましい」の姿を認識することにほかならない、というのです。
ここで「雑器」と記されているものを柳はのちに「民藝」と呼ぶようになります。「民衆的工藝」の略語です。民衆が民衆の日常生活を支えるために作った日用品のことです。飾るためではなく、日々、用いられるために作られた「民藝」にこそ、真の美が宿っている。それは人々に発見されるのを待っている、と柳は考えたのです。
柳の名前に親しみを感じなくても、「民藝」という言葉を知る人は多いのではないでしょうか。「民藝」という言葉を生んだだけでなく、柳は、仲間たちとともに日本民藝館を建て、それを大きな精神運動にまで高めました。
最近、民藝がふたたび注目を集め、柳が紹介されることも少なくないのですが、そのとき「美術評論家」という肩書きとともに彼の仕事と生涯が語られることがあります。しかし、この名称ほど柳の軌跡から遠いものはありません。驚く人もいるかもしれませんが、柳は、宗教哲学者として出発し、民藝運動はその実践であると考えていました。
もしも、柳が民藝という美の一形態の紹介に注力しただけであれば、ここで彼を宗教哲学者だと改めて呼ぶ必要はありません。しかし、彼にとって美は、いつも人間の苦しみを和らげ、労り、ついには救いへと導くものだったのです。若き柳が書いた「朝鮮の友に贈る書」と題する作品には次のような一節があります。
私がその器を淋しく見つめる時、その姿はいつも黙禱するかのようである。「神よ、われらが心を遠く遠く御身の御座にまで結びつける事を許されよ。見知らぬ空に在す御身のみは、われらを慰めることを忘れ給わぬであろう。御胸にのみわれらが憩いの枕はあるのである」。たわやかな細く長く引く線は、そう祈るが如く私には思える。
「朝鮮の友に贈る書」『民藝四十年』岩波文庫
ここでいう「器」とは、朝鮮文化に花開いた陶磁器のことです。日本の民藝運動は韓国とのつながりのなかで生まれました。その始まりから文化や国境の差異を超え、むしろそれを架橋するものとして生まれたことは、ここで確認しておきたいと思います。
「淋しく見つめる時」と柳がいうとき、含意されているのは、彼の孤独ではありません。この一文が書かれたのは韓国併合下でした。当時の日本は、朝鮮文化を十分に重んじることができないでいたのです。
異なる文化を尊重できないとき、そこに生きる人の尊厳も見過ごされる。柳が淋しさを感じているのは、そうした現実を前にしていたからなのです。
一つの雑器に秘められた「神」のコトバを読む。それが民藝とのあいだで柳が経験した出来事でした。さまざまな色や形、模様などに秘められた言語の枠を超えた意味の顕われ。それをここでは哲学者の井筒俊彦の表現を借りて「コトバ」と呼ぶことにします。
書物の言葉は知識がなくては読めない。しかし、美しい器に秘められたコトバを読むのに知識はいりません。「物」はときに、人が語り得ない意味を告げ知らせ得る、という敬虔な精神があれば足りるのです。先の一節に柳はこう続けています。
これらの声が聞こえる時、どうして私はそれらの作品を、私の傍から離し得よう。おお、私はそれを温めようとて、思わずも手をそれに触れるのである。
同前
一つの雑器から語られざる無音の声を受け取るとき人は、自らが「神の子」であるという厳粛な事実を想起する、そう柳は考えたのです。
著者
若松英輔(わかまつ・えいすけ)
1968年、新潟県生まれ。批評家、随筆家。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。2007年「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選、2016年『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』(慶應義塾大学出版会)にて第2回西脇順三郎学術賞受賞、2018年『詩集 見えない涙』(亜紀書房)にて第33 回詩歌文学館賞詩部門受賞、『小林秀雄 美しい花』(文藝春秋)にて第16 回角川財団学芸賞受賞。
※刊行時の情報です。
■『柳宗悦 美を生きた宗教哲学者』「はじめに」より抜粋
■注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛している場合があります。