伊藤銀次とウルフルズ ⑫「大阪ストラット」のタイトルに “パートⅡ” が付く理由とは?
大好評連載中:連載【90年代の伊藤銀次】vol.16
ミックスとマスタリングのためロンドンへ
思いもよらないトータス松本のラップならぬ面白さ爆発の大阪弁によるリズミックな語りが入って、ウルフルズ流ニューオーリンズ・サウンド「大阪ストラット」は想像をはるかに超えたおもしろい曲に仕上がった。これに「トコトンで行こう!」と「安産ママ」「それがドーシタ」を加えた4曲入りのマキシシングルの最後の仕上げ、ミックスとマスタリングをロンドンで行うために、トータス松本、ディレクターの子安次郎さん、そして僕の3人が成田を発ったのは1995年1月15日のことだった。
ロンドンに着いた翌日はまずミックスの行われるメゾン・ルージュ・スタジオに下見にでかけ、作業は翌日からということで就寝した翌朝のことだった。起きてすぐにホテルの部屋のテレビをつけたところ、いきなりそこに映し出された光景に、一瞬言葉が出なかった。なんと神戸の生田神社がまるで紙で作った模型のようにペシャンコになっていたのだ。
まさかの阪神・淡路大震災。僕たちはロンドンのホテルでこの悲惨な出来事を知ったのだった。すぐにトータスと子安さんに電話をかけ、急いで子安さんの部屋に集まった。3人の一致した意見で、神戸がこんなことになっているのに、「♪OSAKA OSAKA えーとこやおいで」と、はしゃぐように歌う「大阪ストラット」をリリースするのはいかがなものだろうということだった。僕らにとっては快心作だっただけに、これをこのタイミングでリリースできないのは痛恨の極みで気分は奈落の底に落ちたようだったが、そんな状況にもかかわらず、僕の頭に浮かんできたのは、自分でも驚きのアイデアだった。
ポップマエストロ大滝詠一の鋭い指摘
ちょっと待てよ、これはひょっとして音楽の神が今回は見送って、さらにもう一度中身を検討した方がいいんじゃないか? という暗黙の指示を出しているのではないか? 追い詰められた状態から浮かんできたものは、こんな状況とは裏腹の、ある意味前向きなものだった。というのも、実は「大阪ストラット」が歌も入って仕上がった後、この曲のカバー元である「福生ストラット」の原作者である大滝詠一さんに聴いてみていただいたところ、いくつかの鋭い指摘をいただいていた。
まず、この時点でのこの曲のバージョンでは、大阪の若者たちが集まる場所が “梅田” や “心斎橋” だけではなく、海遊館のある “天保山” や、東急ハンズのある “江坂” も登場していたので、大滝さんによると、大阪の人間以外はイメージが掴みにくいとのこと。“梅田” と “心斎橋”、つまり “キタ” と “ミナミ” だけのほうがわかりやすいんじゃないかというアドバイスがあった。
そして今度は反対に、1箇所にしかなかった「♪アベックだらけ」のバックコーラスがおもしろいからもっと増やしたらどうかと言う。さすがのポップマエストロ‼ なるほどとは思ったが、残念ながらすでに歌入れも終わって、もうその段階でロンドンでのミックスのスケジュールも決定していたので、せっかくの大滝さんからのすばらしい助言も生かすことができないでいたのだった。
幻となった「大阪ストラット・パートⅠ」
そこに降りかかった、震災という不慮の出来事なのだが、これは逆にこのタイミングでのリリースからはこの曲を外し、東京に戻って大滝さんの助言を生かしながら、もう一度歌を取り直しなさいという神のお告げではないかと、この時に思えたのだった。驚いたことに、なんと子安さんもまったく僕と同じ考え。
そこで、今回のマキシからこの曲を外して予定より1曲少ない3曲入りの「トコトンで行こう!」としてリリーすることになったのであった。その後、神戸の復興の様子を見ながらリリースされた「大阪ストラット」が「大阪ストラット・パートⅡ」と名付けられているのにはそういう経緯があった。そう、“天保山” や “江坂” が歌われて、「♪アベックだらけ」のバックコーラスが少ないバージョンが幻となった「大阪ストラット・パートⅠ」というわけなのだ。