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77歳の若手芸人「おばあちゃん」が人生百年時代を軽やかに疾走中!

チイコミ!

77歳の若手芸人「おばあちゃん」が人生百年時代を軽やかに疾走中!

70歳を過ぎてからお笑いの世界に飛び込んだ、吉本興業所属の芸人「おばあちゃん」(※芸名です)。

波乱万丈の半生を乗り越え、現在「高齢になったからこそできること」を楽しむ姿を見ると、「年を取るって案外悪くないかも?」と希望が湧いてきます。

謙虚だけどパワフル、笑顔がチャーミングな「おばあちゃん」の生きざまに、超高齢社会をしなやかに生きるヒントをもらえるかもしれません。

取材日/2024年6月21日

おばあちゃん1947年生まれ。東京都国分寺市出身。71歳でNSC(吉本興業の養成所)に入学、2023年に神保町よしもと漫才劇場で史上最高齢の所属芸人となる。22年からは先輩芸人とユニットを組みM‐1グランプリにも参戦、23年は3回戦まで進出した。NSC入学前 は64歳まで造船所の設計部に勤務。在職中38歳の時に乳がんが発覚し、働きながら8年以上闘病。回復後は47歳で放送大学に入学し、自身の経験を生かして乳がん患者の下着に関する卒論をまとめ、日本家政学会でも研究成果を発表している。

高齢者の日常はネタの宝庫

「…ただいま77歳の後期高齢者。ですがまだ芸歴6年、ヨボヨボの若手でございます…」というつかみで見る人の心をがっちりキャッチしている「おばあちゃん」。

高齢者の日常に存在する「あるある」を、時に自虐を交えながらユーモアたっぷりに語った後、おもむろに短冊を取り出し川柳を一句詠む、というスタイルがウケています。

神保町よしもと漫才劇場や渋谷のヨシモト∞ホールなどを中心に、月10回ぐらいの舞台をこなしているとのこと(2024年6月現在)。

吉本興業東京本社でお話を伺いました

ー昨年6月に、神保町よしもと漫才劇場の所属芸人に。約1年たちましたが、慣れましたか?

そうですね、でもネタを披露するときはやっぱり緊張します。

ネタをするのは大好きなんですが、最近忙しいので、なかなか覚えきれなくて。

昨日もちょっと失敗しちゃいました。

ー失敗された後は落ち込んだりされるのですか? 

それともパッと切り替えられる方でしょうか?

はい。最近は「年なんだから、もうしょうがないよね」っていう感じで、自分にずるくなっていますね。

舞台では自分らしさを大切に、あくまでマイペース
孫ぐらいの年齢の先輩芸人や同期たちと劇場で和気あいあい。「皆さんとても優しくて、気遣ってくれたり、困っているときは助けてもらったり」。感謝の気持ちも込めて、楽屋でみんなにおせんべいを配るのがおばあちゃんのルーティンになっています
ぼる塾の皆さんにおせんべいをおすそ分け  撮影/TOWA 『ひまができ 今日も楽しい 生きがいを』ヨシモトブックスより

ー普段、ネタはどんなふうに考えられているのですか?

年を取ると集中力が続かなくなって、日常でちょっとした失敗をすることもよくあるのですが、そういう「高齢者あるある」をメモしておきます。

あと、友達も高齢者で暇してる人が多いので、電話すると「待ってました!」とばかりに長電話でいろいろ話をしてくれるんですけど、これがまた、みんな結構いいネタを持っているんですよ。

ーネタを考えるようになって、ものの見方や行動で変化したことはありますか?

高齢者を今まで以上によく観察するようになりました。

そのせいか、悪い所も目についてしまうんですよね。

昔は「年寄りは敬いましょう」なんて言われていましたけど、敬うに値しない老人もたくさんいるよな…なんて思いながら見ています。

おばあちゃんメモ1
舞台衣装の赤いジャケットは理想に合う布地、形状など探しに探し回ってようやく見つけたこだわりの一品。 ネタに使う川柳の短冊を左の内ポケットから1枚取り出し、そのネタが終ると右の内ポケットにしまいます。 取り出しと差し入れる動きがスムーズに行えるよう、内ポケットは素材を吟味した上でおばあちゃん自身が縫い付けました。 若い頃、節約のため自分の服はほとんど手作りしていたので、洋裁はお手の物なのです。 短冊が引っ掛からないよう入り口にガムテープを張って滑りを良くするなど、知恵と工夫も満載です。

若手芸人と仲良しのおばあちゃん。エルフの荒川さんと

闘病しながら設計の仕事を続けた会社員時代

ー古希を越えてからお笑いの道に入られたわけですが、それまでは何をされていたのですか?

64歳で退職するまで30年以上もの間、造船会社の設計部で図面関係の仕事をしておりました。

ー図面とは…お笑いとは全く違うお仕事ですね。

子どもの頃から、物を見ては「これはどうしてこういう形なんだろう」「この穴は何のためについているんだろう」そんなことばかり考えていました。

それぞれのパーツや形状には何一つ無駄なことはない、何か意味があってそういう構造をしているはずなんです。

おもちゃもあまりない時代、そういうことを考えるのが面白かったんですね。

ー昔から好奇心や探求心が旺盛だったのですね。

学生時代は明るく笑いが絶えない生徒だったようで、先生から「吉本に行け」と言われていたおばあちゃん。まさか現実になるとは思ってもみなかったそうです

ー造船所での会社員時代はいかがでしたか。

女性の社会進出が当たり前になった現在と違って、当時はご苦労もあったのでは?

働き続ける上で最大のピンチは38歳の時、乳がんが発覚しまして。

最近になって主人から聞いたんですけど、ステージ4だったそうです。

今はがんを治療しながら働く方もたくさんいらっしゃいますが、当時は退職が当たり前の時代。

クビ覚悟でいたのですが、上司がとても理解のある人で、「戻ってくるまで待っているから、しっかり治療してください」と言ってくださったんです。

おかげでキャリアを中断することもなく、定年後の64歳まで勤め上げることができました。

このとき辞めさせられていたら今の私はなかったかもしれません。

ー良き上司、良き職場に恵まれていたのですね。

アットホームな会社でね。

私の体を気遣って「いいよいいよ、代わりに資料まとめておくから」と言ってくれたり、親切な人が多かったですね。

1回だけ、「え?」と驚くような言葉を投げかけられたこともありましたけど、今では言われて良かったと思っています。

ー何を言われたのですか?

当時は昼食の時間、女性社員が大きなやかんに入れたお茶をついで回っていたのですが、このやかんが結構重たいんですよ。

乳がん治療から職場復帰した時、ある人に給湯室で「(やかんを持って回れるぐらいに)回復したから戻ってきたのよね」と嫌味を言われ…。

何て薄情なことを言うんだろうと悔しくてね、帰って主人に泣いて訴えたんですよ。そしたら、

「何を甘えてるんだ。その人の言う事は当たり前だよ。お金をもらうんだから。その言葉に腹が立つんだったら自分が辞めるべきだ」

ーずいぶんビシッと言われましたね。

いつもはあんまりしゃべらない人なんですけどね。

そこで私も「人に甘えちゃいけない時もある」と学べたのでね、今では言ってくれた人に感謝しています。

ーその後、がんは子宮にも転移して闘病は8年以上続きました。

その間、どういう思いに支えられて頑張れたのでしょうか?

主人を残して死ねない、それだけです。

再婚できるような器用な人じゃないですから。

加えて、仕事を辞めずに続けていたことも励みになりました。

学びたい!という強い思いが仕事を頑張る原動力にも

ー会社員時代の47歳の時、放送大学に入学されたのですね。

大変な思いをした乳がんの経験を、せっかくなら世の中のために生かせないかと思いまして。

自分が被験者になって論文を書いたり、教授に支援していただき、学会で研究成果の発表も行いました。

ーNSCに入ったきっかけも、当時高齢者劇団に参加していて、もっと演劇のことを学びたいという思いがきっかけと伺っていますが、どちらも「学び」への強い意欲を感じるエピソードです。

目標を設定して達成に向けて突き進む、そのパワーはどこから来るのですか?

子どもの頃、明確に何かを学びたいという目標はなかったですけど、とにかく「大学に行きたい」と強く思っていたのを覚えています。

でも当時は「女性に学問など必要ない」と言われていた時代。

進学費用を親に出してもらえなかったので、ならば自分で働いて稼ぐしかない、と。

学びへの意欲が仕事へのモチベーションにもなっていたと思います。

おばあちゃんメモ2
現在も芸人としての仕事の合間をぬって、川柳や書道、認知症の勉強会などに参加しています。
それらの学びの時間を優先的に確保した上で、舞台の予定などを組んでもらっているそうです。

高齢者になったからこそ実現できたこと

ー年を重ねられた今、昔と比べて自分の中で大きく変化したと思うのはどんなことでしょうか。

若い頃は「こうすべき」「こうあるべき」などと、多少とがっていた部分もあったと思うのですが、今は全くないですね。

年を取ると昔できたことが毎日少しずつできなくなっていきますが、それは仕方がないこと。

できない部分は若い人にお願いするしかないんでね。

昔は「自分がやった方が楽だから」と思ってやってきたことも、今は無理だから「お願いします」って頼めるようになりました。

「自分はできるんだ」「こんなすごいことをやってきたんだ」と高齢者が過去の栄光を振りかざしても、誰もそんなものに興味ないんです。

変なプライドは捨てて、できないことはできないと素直に認めて手伝ってもらう。

その上で、できることは最大限頑張る。

そんな年寄りでいたいと思っています。

ー逆に、高齢者になったからこそできるようになったこと、手に入れたものはありますか?

今の生活の全てですね。

若い芸人さんは、芸で身を立てて生活していかなくてはいけないというプレッシャーがありますが、私は純粋に自分の楽しみとしてやりたいことに挑戦し、結果として今があります。

退職後、暇な時間ができたことで、友達といろんなイベントを調べては出かけるようになりました。

無料のイベントや観光スポットもたくさんあるので、お金をかけなくても十分楽しめるんです。

NSC入学のきっかけになった高齢者劇団も、最初は観客として楽しんでいたのがいつの間にか演者側になり、それが芸人への道につながっていったということなので。

現役会社員時代だったらできなかったことですよね。

おばあちゃんメモ3
インターネットはいまだにちょっと苦手というおばあちゃんの主な情報源は紙媒体。観覧招待券の情報を見つけては友達と抽選はがきを書いて応募したり、お金をかけずに無料イベントに出かけたりしていたそうです。「当時は観客として好き勝手なこと言ってましたけどね、演者側となった今となっては、お金も払わずに申し訳なかったと思っています(笑)」

ー最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。

何か夢中になれることを見つけて、めいっぱい楽しんでほしいですね。

吉本に入って、若い子がご飯も満足に食べられなくても「芸人になりたい!」という思いでがむしゃらに目標に向かっていく姿を見て、とてもすてきだなと思ったんです。

だから世の中の親御さんは、お子さんが何に興味を持っているかというのをよく理解した上で、好きにさせてあげてほしいですね。

そして自分自身も好きなことを見つけて、自分の人生を楽しんでほしい。

心から打ち込める何かを見つけるのに、いくつになっても遅すぎるということはありません。

―ありがとうございました。

最後に「人生百年時代」をテーマに一句お願いします。

「暇ができ 今日も楽しい 生きがいを」

取材を終えて

「私自身は何も大したことはないんです。全て周りの皆さんのおかげです」と話すおばあちゃん。

手を差し伸べてくれる仲間や先輩芸人、復帰を見守ってくれたかつての職場の上司や同僚、「協力はしないけど口出しもしない」スタンスのご主人。

おばあちゃんの周りにはたくさんの優しい人が登場します。

でもそれは、おばあちゃんが周りに与えているパワーやあたたかさが人を引き寄せ、優しさを引き出しているようにも思えました。

今後の活躍がますます楽しみです!

今年3月に発売された初の著書『ひまができ 今日も楽しい 生きがいを』(発行:ヨシモトブックス、発売:株式会社ワニブックス)には、おばあちゃんの泣き笑い人生についてさらに詳しく書かれています。

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