にわかに社会経済対策の目玉になった年収「103万円の壁」の解消。よく考えると正体不明。岡本太郎は「壁は自分自身」と唱えていました。
大学現役合格の夢がかなわず予備校の寮で浪人生活を送っていたころ。寮長から「壁は自分自身だ」と聞かされました。人が挑戦するとき立ちはだかる壁は自分の能力に対する不安や失敗することへの恐れ。だから、壁をつくるのも乗り越えるのも自分-。励ましてくれた寮長と傍らの奥様の笑顔は忘れられません。
「壁は自分自身だ」の出典は1970年の大阪万博のシンボル「太陽の塔」の作者岡本太郎(1911~96年)です。父は漫画家、母は歌人で18歳から約10年パリに滞在し、ピカソに触発されて抽象絵画の創作に没頭しました。戦後は前衛美術運動に傾倒。絵画、彫刻、壁画など異彩を放つ作品を数多く残していますが、多くの苦難を乗り越えての創作活動だったそうです。
乗り越えるべき壁は「自分の中」にあるとの解釈は日常生活のさまざまな場面で教訓になりそうです。野球のイチロー選手も、技術指導の折に「壁というのは、できる人にしかやってこない。『超えられる』可能性がある人にしかやってこない」と述べています。こちらは、壁を感じることが出来る人は、漫然とした練習ではなく、選手が壁を感じることが出来るレベルを目指しているからこそというわけです。
ただ、アラ還の私は、取材合戦で心身をすり減らした記者生活を振り返ると、その人なりに頑張っているのなら壁の前にたたずんで時を待つのも良し、壁を感じない迂回路を探すのも良しと、今では思っています。
壁のその先に明るい未来がありますか?
さて、政治の世界で焦眉の急は「103万円の壁」。壁を手元の辞書で引くと、家の周りの囲いや部屋を仕切ったものから転じ「それを突き破らないと先へ進むことが出来ない障害」とあります。その観点では、国会の議論で多用されている壁は正体不明、意味不明です。与野党が協議しているのは一定の所得水準の人まで納税や納付の義務を免除・軽減する、その基準をどうするのかという政策の問題。いわゆる「壁」を乗り越えれば明るい未来が待っているわけではないからです。
103万円を178万円に引き上げるべきとの主張がありますが、現行の就労制度を改善しないまま非課税枠などを拡大しても、再び新たな水準の壁ができるだけです。もとより年金、医療、介護などの公的サービスや水道、道路などの社会資本整備、さらに教育、警察、防衛などの仕組みは個人や法人が負担する税金や保険料がなければ成り立ちません。収入に応じて税金や保険料を負担するのは私たちが社会生活を営む上での基本ルールです。
課税などの基準年収を178万円に引き上げた場合、4兆円程度の住民税に加え、所得税を原資にする1兆円強の地方交付税が失われるとの試算があります。非課税枠や納付免除の水準の引き上げは庶民に直接的な恩恵をもたらしますが、事業の原資が減ることによる住民サービスの低下も覚悟しなければなりません。自治体の指摘はもっともです。国会は、「働き損になる」との主張で労働機会を回避する人が出てくるような制度には抜本的な欠陥があると自覚すべきです。
旧態依然の優遇制度、改革を
私自身、訪問介護のパートをしていた妻が同僚の退職で多忙を極め、年収が「壁」を突破したことがあります。また、扶養家族だった大学生の息子がアルバイト先の勧めで業界の資格を取得し、「壁」をはるかに上回る収入を上げていたことが年末になって分かったこともありました。いずれも結構な額の追加負担を求められました。そうした状況が長年続くと想定できなかったので、家族で「働き控え」を相談しました。
共働きが当たり前になった現在、非課税枠の拡大などでアルバイトやパート労働が活発化し、フルタイムで働く環境が相対的に見劣りするようなら政治の失態です。社会保険料の納付水準についても一部で就労抑制につながる状況は、裏返せば旧態依然の優遇制度が大きすぎることの証左と言えないでしょうか。
自民、公明、国民民主の3党の政調会長はこのほど国会内で会談し、経済対策に年収103万円の壁の引き上げを明示することで一致したとのニュースが報じられました。さて、3党は何をもって「壁」と理解し、どのような改善策を打ち出すのでしょうか。みなで注目しましょう。中島 忠男(なかじま・ただお)=SBSプロモーション常務
1962年焼津市生まれ。86年静岡新聞入社。社会部で司法や教育委員会を取材。共同通信社に出向し文部科学省、総務省を担当。清水支局長を務め政治部へ。川勝平太知事を初当選時から取材し、政治部長、ニュースセンター長、論説委員長を経て定年を迎え、2023年6月から現職。