米軍池子住宅地区、46年ぶりに一部返還へ
逗子市池子の米軍池子住宅地区のうち、逗葉地域医療センター・逗子市保健センターへの進入路(約0・25ヘクタール)が、11月末までに返還されることとなった。8月29日に行われた日米合同委員会での合意を受け、同日、逗子市が発表した。返還は1978年12月のマイクロ通信施設(第一運動公園隣接地/約0・13ヘクタール)以来、46年ぶり。
返還されるのは2001年に両センターへの進入路として整備された道路。車道(長さ約211メートル・幅約6メートル)と歩道(長さ約158メートル・幅約2・5メートル)を合わせ、約0・25ヘクタール。これまで日米で共同使用し、市が市道として維持管理してきた。安定した通行確保のため、02年に返還申請をしていたもので、22年12月に両政府により返還が合意されたが、期日は未定だった。
これまでに市に返還された区域は第一運動公園(約6ヘクタール/旧池子弾薬庫管理事務所地区/72年12月)、久木中小共同運動場(約2・5ヘクタール/旧池子弾薬庫久木地区/77年8月)、第一運動公園(約0・13ヘクタール/旧池子弾薬庫マイクロ通信施設/78年12月)。共同使用となった区域は久木中小共同運動場への通路(96年6月から)、今回返還される進入路(01年3月から)、池子の森自然公園(約40ヘクタール、14年11月から)がある。
桐ケ谷覚逗子市長は返還の合意を受け、「市制70周年の記念の年に、接収地の返還を迎えられ、大変うれしい。池子問題は米軍家族住宅を受け入れるにあたり、市を二分するなど市政に大きな混乱を生じさせた問題。池子の土地は多くの市民の思いが詰まっている。市としては共同使用地約40ヘクタールの返還に引き続き取り組んでいく」とコメントした。
市を二分した池子問題
池子住宅地区、海軍補助施設は、第二次世界大戦前に旧日本軍により弾薬庫として造成・使用され、終戦後は、連合軍に接収され引き続き弾薬庫として使用されていた。
1954年の市制施行とともに池子接収地返還運動が始まり、82年から活発化した米軍家族住宅建設問題は、市民の生活を脅かすとする反対派と、経済効果を期待する容認派で市が二分され、市政に大きな影響を与えた=関連記事。市は94年に受け入れを認め、98年に米軍家族住宅への入居は完了した。
14年11月には区域西側の約40ヘクタールの返還を前提とした共同使用が始まり、翌年2月に市が維持管理する「池子自然の森公園」がオープン。
市はこの40ヘクタールの返還を目指し、共同使用や部分返還を求めながら、最終的には全面返還を目指す。