グローバル社会で「注目され続ける」日本というアイデンティティ【前編】
グローバル教育を意識する保護者が多いが、グローバルに生きる時代だからこそ必要な日本人としてのアイデンティティがあるのではないか。グローバルヒストリーやアイデンティティについて研究する東京大学東京カレッジ長の羽田正さんと、2021年に家族でシンガポールへ移住したタレントの福田萌さんに話をお伺いし、世界のなかで日本人はどう生きるべきかを考えていく。
グローバル教育を意識する保護者が多いが、グローバルに生きる時代だからこそ必要な日本人としてのアイデンティティがあるのではないか。グローバルヒストリーやアイデンティティについて研究する東京大学東京カレッジ長の羽田正さんと、2021年に家族でシンガポールへ移住したタレントの福田萌さんに話をお伺いし、世界のなかで日本人はどう生きるべきかを考えていく。
「グローバル教育」「教育移住」「親子留学」このような言葉に関心が高く、早期の英語教育に熱心になる保護者は少なくない。
勤勉な保護者が外の世界に目を向けることは当然のことではあるが、その前に自分たちのアイデンティティである「日本」にも目を向け、そこから学ぶこともあるのではないだろうか。
日本人が持ち続けたい美徳や捨てるべき考え方がわかると、日本人として世界のなかでどのように振る舞うことに真価があるのか、グローバル社会で活躍する子どもの姿も見えてくるかもしれない。
そこで今回は、グローバルヒストリーやアイデンティティについて研究する、東京大学名誉教授であり東京カレッジ長を務める羽田正さんと、2021年に家族でシンガポールへ移住をはたしたタレントの福田萌さんに話をお伺いし、世界のなかでの日本人のアイデンティティについて紐解いていく。
150年以上も変わらない世界から見た日本人観とは
ーー福田さんは2021年にご家族でシンガポールに移住されていますが、シンガポールで生活するなかで日本人はどのように見られていると感じますか?
福田さん:たびたび「日本人は丁寧で礼儀正しい」と言われますし、敬意をもって接していただくことが多いと感じています。私自身、日本に帰るたびに清潔さや細やかなサービス、店員さんの行き届いた教育のすごさを実感します。
ーー歴史のなかで外国の人から見た日本人のイメージはどのように変遷しているのでしょうか?
羽田さん:江戸時代(1603年〜1867年)に来日したオランダの学者の記録が残っていますが、そのなかでは礼儀正しく愛すべき人々と好意的に描かれています。
明治時代(1868年〜1912年)以降はヨーロッパの国々から来日する人が増えますが、当時の長距離移動の手段は船だったので、大体の人が大陸の港を経由してやってきます。その多くの旅人が残した記録は、日本は「すごく清潔で、秩序が整っている」と伝えています。
20世紀に入ると日本の存在感は世界の中でも増していき、「清潔で、他人を慮り、仲間意識が強い」日本人の特徴として捉えられていたこれらの美点は、海外から大いに注目を浴びていました。
羽田さん:福田さんのお話を聞くと、現代の東南アジアから見た日本と、150年以上前の西洋から見た日本とで共通している部分があって面白いですね。
福田さん:そうですね。先日、友だち複数人でバスツアーに並んでいたときも、ガイドの方が遠くから「ジャパニーズ?」と聞いてきたんです。どうして日本人だとわかったのかを聞いたら、みんなが丁寧にお辞儀をしながら会話をしていたからだと言っていました。
羽田さん:フランスでも言われたことがありますよ。日本人は話し終わるときに「うんうん」と頷くのが特徴だと。言われないと気がつかない些細なことですが、長い時間をかけて受け継がれてきた特徴だと思います。丁寧、きれい、相手を思うこまやかさは、日本人の価値観として根を張っていますね。
福田さん:娘のインターナショナルスクールではオンライン授業の時期があったので、それぞれの家庭の様子がよく見えたのですが、ソファーに寝ころびながら授業を受けている子もいたりして。私だったら「先生の話なんだからイスに座って。自分の顔もちゃんと映そう。」と言いますが、こんなに自由な家庭もあるんだと思いました。
羽田さん:多くの国では、他人から見て目立つようにふるまうことが多いですよね。日本は正反対で「あまり目立ってはいけない」「人と違うことをやったらいけない」と教えますから。これは本当に一長一短だなと思います。公共の場でも「人が見てるよ」という言い方で注意をしたりしますが、外の世界ではあまり聞かない言い方ですね。
ーーそれも日本人特有の価値観や行動原理なのでしょうか?
羽田さん:そうだと思います。冒頭でも「他国からどのように見られているか」という質問がありましたが、そもそもこの質問自体が日本独特の価値観です。「日本と外国」というようにはっきりと二分されています。これは乗り越えていかないといけない考え方です。
おもてなしという言葉には、「外国からの旅行者はお客様として歓迎する」という意味が含まれています。日本とそれ以外という境界線があって、相手がその線にしたがって行動する限りはおもてなしをするし、外国の方からすると素晴らしい国に見えると思います。
しかし、日本国籍を持たない人が日本社会に入ろうとすると、一気に壁を作ったり拒否反応を示したりする。日本独特の複雑な手続きはそれを象徴しています。外国から来た人はこの「壁」にぶちあたって本当に苦労しています。
福田さん:たしかにシンガポールでは、自国かそれ以外の国か、というふうに考えることはあまりないかもしれません。
教育移住やグローバル教育が注目される中で学ぶ「日本」というルーツ
ーー日本人としてのアイデンティティを形成するために、どのような方法があるのでしょうか?
羽田さん:「日本人」というアイデンティティは歴史的に形成されてきたものです。現在私たちが持っている「日本人」という意識は、国民国家における「国民」形成の動きと並行して明治以来形作られてきました。
たとえば、学校での歴史教育は、生徒たちが自分たちのルーツを知り共有して国民となるために設けられています。その意味で、歴史を学ぶことは日本人のアイデンティティ形成につながると言えると思います。
ーー日本を知るためには、具体的に日本のなにを学んだらよいのでしょうか?
羽田さん:自国を知るために何が必要かというと、それは他国を知ることです。外に出て初めて見えることやわかることがたくさんあります。日本の中にいて、日本だけを見ていても気付けません。
先ほど福田さんがおっしゃったお辞儀の話もそうですが、外に出て知らない人と話すことで、初めてこれは日本の特徴だとわかるのです。日本を知りたければ日本の外に出て、もっと自分と違う人と交流しないといけない。
福田さん:私は高校2年生のときにオーストラリアに一年間留学したのですが、日本のことを聞かれたときに全然うまく答えられなくて、私は日本のことを何も知らないんだと気付きました。
大学時代には外国から来た人に鎌倉を案内するガイドツアーをやっていたのですが、そのときも私よりも外国の方のほうが日本の文化や歴史を詳しく知っていて、逆に教わってしまうこともありました。
羽田さん:大体みんなそうだと思いますよ。「日本人」というアイデンティティはもちろん大事ですが、私はこれからの地球を考えたとき、「地球の住民」というアイデンティティを作っていくことが必要だと思います。そのために歴史が活用できないかを考えています。
ーー福田さんのお子さんは、日本人のアイデンティティを感じていると思いますか?
福田さん:子どもたちは学校で常に感じているようです。たとえば「日本人はきれいに並んで順番を守るけど、他の人はそういうことをしないんだよ」と教えてくれたり。毎日自分と違う部分があると感じていると思います。
親としては、「順番を守らない相手が悪いね」とか「きれいに並ぶあなたは偉いね」と言うのではなくて、「それが違いだよね。いろいろな人がいると知ることができることが貴重な経験だね」と話しています。
アイデンティティの形成に大きな役割を果たす「日本語」とは
ーー福田さんは学生時代にもオーストラリアに留学されたり、英語の勉強をたくさんしてきたと思いますが、一方で日本語についてはどう考えていますか?
福田さん:日本語は深い言語ですよね。相手に伝える言い回しやニュアンスがいろいろあったり、相手に考えさせる余白があったり、世界に誇れる美しい言語だと思います。
一方で流行がどんどん移り変わったりもするので、子どもたちに「その言葉はもう古いよ」などと言われたりすることもあります(笑)。でも、そうやって変化してきた言語でもあるだろうし、それがまた面白い部分だと感じます。
羽田さん:本当におっしゃる通りです。日本語という「国語」が作られたのは明治時代なのですが、その後150年以上の時が経過して、言葉の意味や価値が全体としてひとつの知の体系を形作っています。
他の言語にはなかったり、言い換えが難しかったりする表現も多い言語です。それは、人を思いやる優しさや丁寧さ、すなわち我々が美徳だと思うことが言葉と連携しているから。言葉があるからこそ、そのような発言や行動ができたりするのです。
日本語のなかにある価値観や日本語でしか表現できないことは、世界の多様性を保証していることにもつながります。
多様性は現代世界の重要な価値です。とするなら、日本語の知の体系をさらに磨き上げるとともに、その表現を別の言葉で表すことができるように工夫してみることが大事です。私たちが伝えたい価値や考え方を、日本語が分からない人にも伝えていく努力を怠ってはいけません。
ーー日本語がそこまで独特な言語だとは知りませんでした。福田さんは、英語にするときに思うように伝えられずに苦労した経験はありますか?
福田さん:わたしは息子のことをちゃんづけで呼んでいるのですが、外国の人の家にお邪魔したときに「What is chan?」と言われて(笑)。「親しみを込めた表現で、babyというニュアンスがある」などと説明しましたがうまく相手には伝わらなかったですね。
あとはメールをするときに「いつもお世話になります」「お疲れ様です」など、相手をいったん気遣ってから本題に入るみたいなことは日本独特ですよね。
私は英語でやりとりする場合でも、いきなり本題に入ることはやっぱり慣れないので、「Thank you for your support~」 などと始めたり自分なりに工夫はしていますが、「早春の候」とかそういう挨拶はなかなかできないですよね(笑)。
羽田さん:西洋諸国ではファーストネームで呼び合うことも一般的だし、人間関係がどんどんフラットになってきていますよね。日本語の場合は相手と自分との関係性を微妙に感じ取りながら、使うべき表現を決めていく。親しくなるとタメ語だけれど、目上の人やあまり親しくない人には敬語を使う。
人間関係の微妙なアヤが重要であることは日本社会の特徴だし、それはそのまま日本語と関わり合っていて、外国の人には難しい部分ですね。
私が責任者を務める東京カレッジではほとんどの人が互いにファーストネームで呼び合っているのですが、日本人は私のことを「Masashi」とは呼べないようです。
福田さん:それは日本人の感覚だとなかなかできないですよね......!
羽田さん:でも「Professor Haneda」というと、すごくよそよそしい。そこで英語でも「Haneda sensei」と「先生」をつけるんですよ。事務職員は英語でのメールで、相手がファーストネームで書いてくるのに対して、「Dear John san」などと「さん」を付けて返事をしたりしています。
相手に合わせた形で呼んだらいいと思うのですが、日本人としてはどうにも気持ちが落ち着かないのもわかる気がしますよね。これは英語で喋っていても日本語的な人間関係の複雑さがあらわれてしまうひとつの例だと思います。