巴川の治水のお噺し
2024年9月29日放送の「静岡市歴史めぐりまち噺し」。今日は、巴川の治水のお噺しです。
語り:春風亭昇太
清水区入江、かつての東海道が巴川を横切る場所にかかる稚児橋。慶長16年(1611年)に巴川に初めて橋がかけられたとされるのがこの場所です。
橋の渡り初めを行っているとどこからともなく男の子が現れ、人々はこの子を巴川に住む河童と信じ、神様の使いが来たと喜んで、その橋を稚児橋と名付けたと伝わります。
稚児橋のかかる巴川は、高低差が少なく幾度も氾濫して流域の人々を苦しめてきました。
清水区富士見町には江戸時代、、まちを水から守るために建てられたとされる水神社があります。
巴川流域に、今もいくつか残る小川地蔵尊。焼津市小川にある海蔵寺に伝わる川除け地蔵ゆかりのお地蔵さんで、川の安全を願って大井川や安倍川・藁科川・巴川などの流域に祀られてきました。
明治の時代から巴川流域では治水の取り組みが続いてきました。
昭和33年には台風で長尾川が2カ所にわたって決壊し、これを機に大谷川放水路計画の検討が始まりました。
計画の調整に時間を要していた中で、昭和49年の七夕豪雨が甚大な被害をもたらし、放水路建設の機運を一気に加速させます。
大谷川放水路の完成は七夕豪雨から25年後、平成11年のことでした。
七夕豪雨から今年で50年。駿河区大谷にある治水交流資料館「かわなび」では巴川流域の水との闘いの歴史を知ることができます。
静岡市歴史めぐりまち噺し、今日のお噺しはこれにて。 <!-- tag:/area:静岡市清水区 -->