仕事が続かず1年で転職を繰り返した20代 会社員を諦めて自分に合った働き方を見つけた
仕事が続かず、職を転々としている。そんな自分を責めてしまったり、自信を失くしてしまったことはありませんか。
現在、イラストレーターとして活動しているワダシノブさんは、転職を繰り返す20代を過ごし、30代で移住したイタリアでの就活もうまくいかず、「自分でお金を稼がねば」という一心でイラストの仕事を始めたという経験をお持ちです。
そんなワダさんに「自分に合う働き方」を見つけるまでの道のりをつづっていただきました。
仕事が1年も続かず、職を転々とした20代
💡POINT
•「やりたい」仕事がなく、キャリアを描けなかった新卒時代
•何らかの職に就くも1年も続かず、転職を繰り返す
•「仕事を辞めたくなる自分」を止められない
20代の頃、同じ職場で働きつづけることができず、正社員・派遣・アルバイトと職を転々として過ごした。
そんな自分の仕事の続かなさを弱さ・甘えだと思っていた。
そもそも新卒の頃「こんな仕事がしたい」という夢はなく、キャリアについて考えていなかった。
当時は就職氷河期で、地方の美術系学部卒というわたしに仕事の選択肢はあまりなかったのだけれど、「家から通えて残業が少ない」そんな条件で仕事を探し、「自分にもできそう」と思えるものに応募していた。
それでも20代は、何らかの仕事につくことができた。なのに就職して1年もたたないうちに「すみません。辞めます」と上司に告げてしまう。
職場で嫌な目にあったとか、仕事環境が悪いとかではなく、ただただ「仕事を辞めたくなる自分」を止められなかったのだ。毎日職場に通うのがつらかった。
これが「甘え」と言われることはよく知っていた。実際、一番自分をダメだと思っていたのはわたし自身だ。
石の上にも三年と言われるのに、三年どころか一年も仕事が続かない。
転職の度に新しく書く職務経歴書には、短い職歴ばかりが並んでいた。
少しは我慢して続ければいいのに、中途半端にある行動力のせいで「行きたくない」と思ったらためらうことなく辞めてしまう。そんな20代だった。
「行動力のある愚か者が一番タチが悪い」
そんな言葉をどこかで目にするたびに、自分のことだなぁと思っていた。
移住先での就活に挫折し「会社員」を諦めた30代
💡POINT
•専業主婦になり「無収入」は自己肯定感が下げると気づいた
•移住先での就活で何度も「選ばれない」を経験
•「会社員になるのは無理」という諦めが「転機」に
相変わらず仕事は定まらないままだったが、縁があり今のパートナーと出会った。30代で結婚・出産と急にライフステージが変わった。
さらに産後3カ月がたった頃、パートナーの帰国に伴い家族でイタリアの地方都市に移住した。
小さい子どもを抱えて、言葉がまったく分からない異国での暮らし。
とりあえずパートナーの「扶養」に入ったとき、「ああもう働かなくていいんだ」とホッとしたのを覚えている。出産前の、最後の会社員時代、つわりと頭の働かなさが本当に辛かったのだ。
しかし「無収入」の生活のつらさは想像できていなかった。
大前提としてパートナーは、わたしの買い物に何か注文をつける人ではない。それなのに、わたし自身が「自分が稼いでいないお金」で「自分のもの」を買うことに罪悪感を抱くようになったのだ。
そんな生活を続けて、どんどん自信がなくなり何をするにもパートナーの許可がいるような気がし、結果として何一つできなくなった。
「家事と子育てだけを頑張ればいい!」と思おうとしたけど、自己肯定感がダダ下がるだけの毎日。
この生活が続くのは絶対によくないなと、意を決してイタリアで仕事探しを始めたが、それはまったくうまくいかなかった。
ただでさえ慢性的な就職難が続いているイタリアで、言葉が分からず、知り合いもまったくいないわたしが、会社員になるのは夢のまた夢。
それ以前に「誰にでもできる」と言われている仕事にすら選ばれず、スタートラインにすら立てない日々が続いた。
産後のメンタルと体調の不良、さらに第二子妊娠も経験し、本当にしんどい数年だった。
「どんな状況でも、頑張ればなんとかなる」と思っていたけど、ただ頑張ってもどうしようもないこともあるんだなと、身に染みて分かったのはこの時だった。
その後、今度は地方都市から都会に引っ越した。
「会社やお店も多いし、ここでなら何かの仕事に就けるかも?」と思ったがその考えは甘かった。
想定通り都会には「日本人」を雇ってくれる仕事はそれなりにあったけど、応募するのは「優秀な日本人」ばかり。イタリア語、英語、フランス語ができる人。
有名大学卒で海外留学の経験がある人。何らかの専門技術がある人。
それに対して自分の何もなさ。
ハイスペックな日本人しかいない就活で、またしても選ばれない。
何度目かの就活の後で「この国でわたしが会社員になるのは無理だ」と悟った。諦めたのだ。
今思えば、この「諦め」が転機となった。
会社に就職できないなら、それ以外で収入を得る道を探すしかない、そう覚悟を決めたのだ。
「やりたいこと」ではなく「求められたこと」に応えたら10年続いた
💡POINT
•「自分一人で稼ぐ方法」を考え、消去法で働き方を選んだ
•「やりたいこと」ではなく「求められたこと」をやる
•自分のペースでやれる仕事だから、続けることができた
語学力もなく専門技術も持っていない自分に何ができるか?
消去法で残ったのが「イラストを描いて売ること」だった。
美術系学部卒業ではあるものの、絵がうまいわけではない。そういった仕事もしてこなかったので、コネもスキルもない。
そんなわたしが「イラストレーター」を選んだ理由は「家で1人でできるから」に尽きる。外国で人とのやりとりのうまくいかなさに、本当に疲れていたのだ。
そして、他に自分で稼げそうなことが、それしか思いつかなかったからでもある。
そうしてクラウドソーシングサービスに登録し、元手ゼロで数百円のカットイラストを描く仕事を始めた。
目に入った案件は何でも応募するも、99%は不採用。ただ、「まぁそんなものだろうな」と思っていたので、落ち込むこともなかった。
そうやっていくうちに「仕事を増やしたいならもっと自己アピールしないといけないな」と思い、まずはブログを開設。
イラストを描き慣れてきた頃には、見よう見まねで「わたしでも描けそうな」マンガを描いてSNSでの発信も始めた。
《画像:SNSに初めて投稿したイラスト》
「書きたいこと」も「伝えたいこと」もなかったため、「せっかく海外に住んでいるのだし、需要があるかも」と、イタリアでの暮らしを文章やマンガにしたら少しずつ読者やフォロワーが増えていき、だんだんイラストの仕事も来るようになっていた。
《画像:イタリア生活を発信し始めた頃のマンガ》
幸運なことに書籍を出すこともできた。
こんなふうにサラッと書くとかっこいいが、実際は誰からの反応もない地味な作業を何年も繰り返しているので、決して簡単ではなかった。
それでもなんとか10年、イラストの仕事を続けられている。
今は週末のマーケットで似顔絵を売ったり、子ども向けのマンガ教室をやったりと、イタリアでもわたしなりの仕事ができるようになってきた。
創作へのモチベーションや、コンテンツを発信したい意欲が強いから仕事にできたのではなく、ただひたすら「今の自分にできそうなこと」「誰かから求められること」を探して、それに応え続けてきたから仕事になったのだ思っている。
「できそう→やってみる→失敗する→軌道修正→またやってみる」の繰り返しはしんどいけど、「自分のペース」で働けることがわたしに合っていた。
今見返すと、イラストや漫画を描き始めた頃の絵はかなり下手だ。でも、自分の下手さに気づかないまま続けていて本当によかった。
「行動力のある愚か者」で、会社員を諦めたからこそ、できたのだと思う。
仕事が続かないのは「甘え」ではなく「向き・不向き」もある
💡POINT
•自分に合う働き方であれば、仕事は続けられる
•「甘え」ではなく「不向き」だったと認めたら楽になった
•「お金を稼ぐ」が目的ならば、この世にはいろんな働き方がある
20代の頃は1年もたたずに転職を繰り返していたわたしが、10年も同じ仕事を続けられて、自分なりに分かったことがある。
わたしは仕事が続かないのではなく「同じ場所で決められた時間に働く」ことに向いていないだけだ。
趣味でもなんでも、自由が効かないものだと続けられない。でも、空いた時間にどこでもできることなら、続けられる。それがわたし。
自分はそういう人間なのだと、認めたらずいぶん気持ちが楽になった。
できない自分を責めたって、何もいいことなかったし。
正直、こう書いている今でも「会社に毎日行けないとか、そんなのは甘えです。もっと頑張りましょう」という声が自分の中から聞こえてくる。
でも、20代のわたしも、わたしなりに頑張っていた。ただ会社員という働き方に「向いていなかった」だけ。
今は仕事を以前より、もっと柔軟に考えている。「会社員」が定番の働き方だからといって、誰にでも合うものではないし、無理に合わせる必要もない。
そして、仕事とは「お金を稼ぐこと」だと考えれば、世の中にはいろんな働き方がある。
子育てや介護、いろんな理由で一般的な働き方ができないことは当然あるのだから、それぞれに合わせて柔軟な働き方ができる世界にもっとなれば、多くの人が幸せになれると思う。
自分に合う方法を探すのは時間がかかってちょっと大変だし、周りにも理解されにくい。
けど、自分に合う働き方を見つければ人はもっと幸せになれるし、仕事は楽しくなる。そんなふうに考えている。
編集:はてな編集部
イラスト:ワダシノブ
著者:ワダシノブさん
イラストレーター・漫画家。広島県生まれ、イタリア在住。日本で出会ったイタリア人パートナーの帰国について、2007年にイタリアに渡る。イラストレーターとしての仕事のかたわら、noteやPodcastでイタリア生活について発信している。著書に『いいかげんなイタリア生活』(ワニブックス)、『晩ごはんはジェラートです~気楽で美味しいイタリアの暮らし』(よんたび文庫)がある。
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