地域をつなぐ奇祭「蘇民祭」その魅力と地域の未来、そして、伝統文化の継承とは【奥州市・平泉町・花巻市・一関市・金ケ崎町】
東北地方の最大の都市・仙台から新幹線で約40分。いまをときめくメジャーリーガー大谷翔平選手の故郷に近い岩手県平泉町で11月、「蘇民祭とその信仰」と題した講演会が開かれた。講師はえさし郷土文化館(奥州市)の野坂晃平(のざか・こうへい)学芸員。この講演を通じて、この祭りが古代から現代に至るまで秘める歴史と未来への可能性が紹介された。
「蘇民祭」といえば、過去にJR東日本が「上半身裸の男性のアップの写真が見る人に不快感を与えかねない」として“ポスター掲示拒否騒動”があったことを記憶している方もいるだろう。その印象が強いためか、蘇民祭というと、ワイルドな裸の男たちが全力でぶつかり合う祭りだと誤解する人も多いが、実際にはそんな単純な神事ではない。長きにわたり予測不可能な世界の中で豊穣(ほうじょう)や疫病退散を願う呪術的な要素が色濃く反映された行事であり、水垢離(みずごり)や火による浄化儀式など、地域住民の生活や信仰と深く結びついてきた祈りの形でもある。
野坂氏は蘇民祭の歴史的背景を示すために、古代の呪術や祭祀(さいし)の実例を挙げた。平泉を中心とした地域には、柳之御所遺跡などから出土した呪術的な遺物が数多く存在しており、それがこの地の祭りが国家的儀式と深く結びついていた証拠であると説明した。まるで時空を超えて古代に触れているような感覚を覚える瞬間だ。
一方で、蘇民祭が直面する現実は厳しい。かつて岩手県内を中心に30以上あった蘇民祭も、現在では約10箇所にまで減少。昨年度には高齢化と担い手不足により、1000余年続いた黒石寺(こくせきじ)の蘇民祭が終了するという寂しい出来事もあった。それでも、平泉の毛越寺(もうつうじ)や二十日夜祭(はつかやさい)といった一部の地域では、その伝統が守られている。
また、野坂氏は蘇民祭のルーツと文化的意義について、牛頭天皇(ごずてんのう)や京都祇園祭に関連し、疫病よけとしての側面も大きいと述べた。蘇民祭という名前自体がスサノオノミコトの伝説に由来しており、家内安全や豊作を願う行事として広がったと考えられている。また、仏教的な儀式や奈良の東大寺で行われる「お水取り」との関連も示され、蘇民祭が多様な文化的背景を持つことも紹介された。
最後に、蘇民祭の将来性については、参加者の減少や地域社会の変化が祭りの継続を難しくしている一方、地域のアイデンティティや観光資源としての活用、地域住民による主体的な運営が鍵であると述べ、この祭りが単なる伝統行事にとどまらず、地域の新たな未来を形作るきっかけになる可能性を示した。
皮肉なことに、“ポスター掲示拒否騒動”がきっかけで蘇民祭は一躍全国的に注目を集め、報道による広告効果は約31億円*とも伝えられた。この講演を通じて、蘇民祭の多様な魅力を再評価し、世界遺産都市であるこの地域が持つ文化遺産が、未来の私たちにどのような意義を問いかけるのかを考えることが重要であろう。
*参考資料:テレビ・ニュース報道出稿レポート ~「蘇民祭 広告効果約31億円」~(2008年ニホンモニター株式会社)