【川崎市川崎区】宮古島の石敢當 友好の歴史に思い馳せ 建立55周年祝うつどい
川崎駅東口駅前広場にたたずむ、宮古島から贈られた石敢當。1970年に設置され、今年で55周年になることを祝う記念のつどいが8月29日、同所で行われた。5年ごとに開催されているもので、主催は(一財)川崎沖縄県人会。当日は30人前後の聴衆とともに、石敢當が贈られた来歴などを振り返った。
今から60年以上前の1959年9月。宮古島を襲った台風は最大瞬間風速64・8m/sを記録。死者47人、島の7割の住宅が損壊するという甚大な被害を出した。
これを聞いた当時の同県人会事務局長・古波津英興(こはつえいこう)氏などが中心となって、募金活動を展開。翌60年5月には、川崎市から約355万円(当時はアメリカ占領下のため約1万ドル)が当時の琉球政府駐日代表に謹呈された。石敢當はその返礼として、宮古島から贈られたもの。同年10月頃に4基、また66年に宮古島を襲った台風の際にも募金活動を展開し、69〜70年頃にはさらにもう1基が届けられた。現在同駅前広場に設置されているのは最後に届いたもので、そのほかは川崎市市民ミュージアムなどで保管されている。同県人会の喜屋武(きゃん)靖さんによると、「石敢當は中国由来の魔除け石。沖縄ではとてもポピュラーで、今でも大小さまざまなものを現地で見ることができる」という。
歴史の継承に「感謝」
記念のつどいでは、同県人会の金城宏淳会長があいさつ。「これまで先人たちがつないできた川崎と沖縄の絆のバトンを、新たな世代にも渡していきたい」と意気込みを述べた。福田紀彦市長は「川崎と沖縄の関係は、400年前の江戸上りの頃から続いている。友好をつないできたすべての方に感謝したい」と謝意を示した。
古波津氏の子息や親族・親戚計6人も出席。東京都豊島区に住む次男の直也さん(83)は「当時すでに東京にいたので、父親の活動はあまり知らなかった。川崎がここまで歴史をつないできていることに驚き、今回はそのお礼を言いに来た。脈々と交流の歴史を紡いできていただき、ありがとうございました」と感謝を述べた。