予定日より1ヶ月も早く、突然の破水!【妊娠糖尿病】を乗り越えて、2090gで生まれた我が子
3人の子どもがいるライターの「あしださき」です。第3子の妊娠中期、血液検査でいきなり「ハイリスク妊婦」宣告を受けた私(当時33歳)。それは【妊娠糖尿病】を発症しでした。そんな私の出産体験記をお話します。初回は【妊娠糖尿病】が発覚した当時のこと、2回目はハイリスク妊婦となってからの妊娠生活について話しましたが、今回は「出産」のときのことについてお話します。
いくら何でも急すぎ! 予定日は1ヶ月先だったのに
予定日より1ヶ月も早くに生まれた次男は、もう4歳になりました。ユニークな性格の彼は、声をかけても聞こえないくらい遊びに集中しているとか思うと、急に「帰る!」と走り出す。そんな予測不可能で急な行動をよくします。
今思えば、お産が予定日より5週も早かったことは、そんな次男らしい登場の仕方で面白かったと、私は思っています。
妊娠34週6日、突然の破水で泣きべそをかく
妊娠34週6日。夕方自宅で、トイレに向かう途中、急に強いおなかの張りを感じました。その場から動けないほどの痛みもあって、一瞬の後、「ジャー!」。どうにも止められない量の羊水が流れ出してしまいました。
「破水だー! 助けて!」と、長女(当時7歳)を呼び、バスタオルと着替え、介護用尿とりパッドを持ってきてもらいました。動くたび、どんどん出てくる羊水に怖くて、怖くて…。私はその場に立ち尽くすだけ…。薄緑色の羊水で水浸しになった床は、長女と長男が拭いてくれました。私は泣きべそをかきながら、子どもたちに着替えも手伝ってもらいました。
幸い、夫の両親がすぐに駆けつけてくれたので、義父に子どもたちを預け、義母に車で病院へと送ってもらいました。仕事中の夫に電話をすると、始めは冗談だと思ったそうです。予定日はまだ1ヶ月以上先だったのですから…。
ついに入院!母子ともに管理された安全なお産へ
19時頃、病院に到着。診察の結果、私と赤ちゃんに起こっていることの概要が分かりました。
• 完全破水であること
• おなかの赤ちゃんは、子宮を出ても生きていける心肺機能を備えている時期
• 細菌感染の危険を考慮し、翌朝まで自然な陣痛が開始しない場合は、陣痛促進剤を使用して、赤ちゃんを出産する方針
以上のことから、このまま入院して胎児の状態を注意深くモニタリングしつつ、陣痛が来れば即出産。遅くとも翌朝には、医師の管理下で(【妊娠糖尿病】なので特に)母子ともに安全なお産を迎えることが決まりました。
そんな状況でもおなかが空いて、分娩台の上で食事をしました。しかしながら、私は【妊娠糖尿病】なので、食前にいつものように血糖値を測定。その時、自分の図太さに驚いたのですが、なぜかお産への恐怖もなく、赤ちゃんに悪いことが起こる心配もしませんでした。「とにかくしっかり食べ、あとは産むだけ!」と、気合を入れたのです。
妊娠糖尿病を乗り越え、小さな勇者は生まれた
そこから数時間は変化がなく、仮眠ができる陣痛室へ移動しました。夫も様子を見に来ましたが、肝心のお産の兆候がない。そこで翌朝の計画出産を見越して家に戻りました。
午前4時、トイレで用を足していると「ドッカーン!」と、急に強い陣痛(本能で分かった)の波がきました。その1回で、すでに痛くて歩けないほどでしたが、トイレから這い出し「陣痛が来ました!」と宣言しました。
「待って! 準備が間に合わないからまだ産まないで!」とバタバタ走り回るスタッフさんたち。すべてがセットされたと同時に、私の赤ちゃんは誕生していました。
第3子は妊娠35週0日、身長44.5cm、体重2090gで生まれました。早産で低出生体重児のため「NICU(新生児集中治療室)」(と「GCU(回復治療室)」)に約20日間入院しましたが、心配していた【妊娠糖尿病】の影響もなく、順調な経過で退院しました。私の方もお産が終わると血糖値も通常に戻り、4年が経過した今も異常なしのままです。
病気が原因で、妊娠28週の時に転院したのが、周産期母子医療センターだったことが幸いし、図らずも早産だったわが子は、高度な新生児医療を手厚く受け、親としても、とても安堵しました。“物怪(もっけ)の幸い”というのは、こういうことかもしれません。
[あしださき*プロフィール]
高校の担任からも「楽観的な性格」と評され、とにかく楽観思考の3児の母です。物事はあまり複雑に考えず、元気なわが子に会えればそれが安産だと思うタチ。主にママ業、時々在宅ライターを兼務中。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。