Yahoo! JAPAN

日本のギャル文化考察【1990年代前半】安室奈美恵のブレイクに先駆けたコギャルの台頭

Re:minder

1994年07月20日 安室奈美恵 with SUPER MONKEY'Sのシングル「PARADISE TRAIN」

連載 日本のギャル文化考察 ④【1990年代前半】安室奈美恵のブレイクに先駆けたコギャルの台頭

橋本環奈が主演するNHK連続テレビ小説『おむすび』で描かれた “ギャル文化” は、主に1990年代後半から2000年代初頭に渋谷を発信源として広まったものである。しかし、ギャルという言葉自体はそれ以前から日本で使用されており、そのニュアンスやイメージは時代や状況に応じて変容してきた。本連載では、ギャル文化の変遷を全5回で掘り下げており、この第4回は、バブル崩壊からコギャル登場に至る1990年代前半の5年間を振り返る。

1980年代までの多様なギャル像


過去3回の連載で触れてきたように、1980年代までの “ギャル” には以下のような多様なニュアンスが存在していた。

① 今どきの若いアメリカ女性
② 性的な視点で商品化・消費された若い女性
③ アクティブに生きる新しい時代の若い女性
④ 奔放に遊んでいる若い女性
⑤ 性に積極的で不良性感度の高い若い女性
⑥ 群像としての若い女性

しかし、前回の日本のギャル文化考察【1980年代後半】奔放に遊んでいた若い女性はバブルを経ておやじ化?で言及したように、1980年代後半までに①や⑤は消え、③も次第に影を潜めていった。その結果、② “性的な視点で商品化・消費された若い女性” と、それが先鋭化した④ “奔放に遊んでいる若い女性” のイメージがギャルの中心となった。

一方で、⑥ “群像としての若い女性” とは、たとえば競馬好きの女性を競馬ギャル、多言語を話す女性をバイリンギャルと呼んだように、特定の属性、趣味やスキルを持つ若い女性を象徴的に捉えた用法である。⑥の系統の一例として、中尊寺ゆつこが描いたコミック『スイートスポット』に登場する “おやじギャル" がある。

この作品では、仕事帰りに赤ちょうちんで一杯やり、休日はゴルフ場で過ごすといった、おやじ的な行動をする若い女性たちが描かれている。おやじギャルは1989年から注目を集め、1990年には流行語として定着した。同年7月には、おやじギャルをテーマにした安田成美主演の連続ドラマ『キモチいい恋したい!』がフジテレビ系で放送され、さらに中尊寺ゆつこ原作の『お嬢だん』はテレビ朝日系で渡辺美奈代主演でドラマ化された。

派手で奔放な文化の代名詞となった「ジュリアナ東京」


1980年代後半に高まったバブル景気は、1990年に入ってからも減速せず、カラオケボックスの全国的な普及やCD需要の拡大など新しい消費文化が台頭しつつ、世の中のトレンドや消費傾向は依然としてバブル的な価値観に支配されていた。そして、1980年代後期より、都会のディスコを中心に夜遊びを楽しむ若い女性たちは、メディアで取り上げられることで、バブル期の象徴的なギャル像として強い印象を残した。この層は、④ “奔放に遊んでいる若い女性” であり、② “性的な視点で商品化・消費された若い女性” でもあった。ただし、彼女たちを一括りで表現する呼称に決定的なものはなかった。90年代には “イケイケギャル” という呼称が使われ始めるが “ボディコンギャル” ともいわれていた。

1990年当時、日本の人々はバブル景気を特別なものとは考えず、終りが来るものとは思っていなかった。しかし、バブル崩壊の序曲はすでに始まっていた。1990年末には株価が下落を始め、1991年には地価の下落が本格化したのだ。ただし、多くの消費者はそれを実感せず、バブル的な価値観やライフスタイルを改めることはなかった。例えば、バブル期に急増したスキー人口は崩壊後も増加を続け、1991年にはスキーリゾート地である長野県白馬村に高級ディスコ『マハラジャ』がオープンしている。

バブルの象徴として後世に語られるディスコ『ジュリアナ東京』が東京・芝浦にオープンしたのは1991年5月、実際にはバブル崩壊後である。当初はイギリス資本を強調した上品なイメージを売りにしていたジュリアナだが、次第にお立ち台の上で、羽のついた扇子(通称:ジュリ扇)を手に踊る女性たちの姿が話題を呼び、派手で奔放な文化の代名詞となった。しかし、その勢いにも徐々にブレーキがかかるようになる。1993年にデビューしたm.c.A・Tの楽曲「Bomb A Head!」には、「♪おおっとボディコンギャルなら用はない」というラップパートがある。いよいよボディコンギャルが用済みとされたのである。『ジュリアナ東京』の閉店はその翌年のことだ。

若い男性が使い分けた “女のコ” と “ギャル”


繰り返しになるが、1980年代、“ギャル” という表現は、② “性的な視点で商品化・消費された若い女性” として主に中高年男性向けメディアで広がりを見せ、やがて④ “奔放に遊んでいる若い女性” という印象が浸透していった。さらに1980年代後半にはAVギャルやヌードギャルといったようにセクシュアルな言葉と結びつけられることも多くなり、1980年代の時点で若い女性たちが自らを “ギャル” と称するケースは少なくなっていた。

では、若い男性は若い女性をどう呼んでいたのか? 当時 “女子” という言葉は “女子の出席番号” といったように主に小中学校や高校で使われる呼称にとどまり、大学生が “バイト先の女子” と言うことはほとんどなかった。一般的には “女のコ” or “女の子” がベースで、加えて “ギャル” という表現も使い分けていた。たとえば、大学サークルで女性の新入生を勧誘する際は “ウチは女のコが多いから安心だよ” とは言ったが “ウチはギャルが多いから安心だよ” とは言わなかった。しかし、男性同士のカジュアルな会話では “今度のスキーツアー、ギャルが多いから楽しみ” といった表現を使うことがあり、そこには軽いノリやナンパ的なニュアンスが含まれていた。② “性的な視点で商品化・消費された若い女性” のギャルである。

音楽においても、その使われ方は象徴的だ。岡村靖幸は1988年11月リリースの「だいすき」で「♪女の子のために 今日は歌うよ」と歌っていたが、1990年7月リリースの「どぉなっちゃってんだよ」では「♪好みのギャルもビデオばかり見てたなら出会う機会も失せるぜ」とギャルを用いている。この場合のギャルも② “性的な視点で商品化・消費された若い女性” であろう。ギャルは、吉川晃司や尾崎豊の楽曲にはそぐわないが、岡村靖幸の世界にはマッチしていた。

“コギャル” という言葉のルーツ


おやじギャルや、m.c.A・Tに用無し扱いされたボディコンギャルは、いずれも高校を卒業した女性たちを指してのイメージだった。しかし、バブル崩壊後、ギャルの代名詞は、より若い年齢層へと置き換わる。コギャル文化が興隆するのだ。それは、大手広告代理店が仕掛けたものではなく、何か明確なトリガーとなるコンテンツがあったわけでもない。当時、インターネットも普及しておらず、流行を作り出すインフルエンサー的な人物がいたわけでもなかった。自然発生した同時多発的な現象だった。

そこには、いくつかの下地があったと考えられる。そのひとつが、1980年代後半から大都市圏で広がり始めた高校生たちの夜遊びカルチャーだ。ここには、イリーガルな要素や、学校に知られれば停学必至の行為も含まれている。かつて “ツッパリ” と呼ばれ、後に “ヤンキー" と呼ばれる若者層と形をかえてリンクする文化でもあった。そこから、あくまで局地的な現象ながら、ごく一部の女子高校生が④ “奔放に遊んでいる若い女性” 化したのである。

制服文化の変化も重要な要因である。1985年に出版された森伸之著の書籍『東京女子高制服図鑑』(弓立社)をひとつの契機に、主に私立高校が制服の価値を再認識する流れが生まれ、受験生側には“制服で高校を選ぶ”という新しい価値観が広がった。また、80年代末には都内の一部女子高校でスカートを短くし、ソックスをクシュクシュに履くなど、制服のカスタマイズ化が進んでいたのだった。

さらに、1992年頃には、ロサンゼルスのリゾートファッションを取り入れた “パラギャル" と呼ばれるスタイルが流行した。“パラギャル” のパラはパラパラとは無関係で “パラダイス” の略である。いささか盛り過ぎな表現だが、パラダイスを彷彿とさせる明るくカジュアルな私服ファッションで、これがコギャルの原型になったという文献もある。

“コギャル” という言葉のルーツは、ディスコの黒服たちが使っていたスラングで、“従来のギャルより子供っぽい、若いギャル” といったような意味だったとか。1993年6月には雑誌『週刊SPA!』(扶桑社)が初めてコギャルという表現を見出しに使用している。当初、コギャルは女子高校生の中でも④ “奔放に遊んでいる若い女性” を指す言葉であり、派手で遊び慣れたタイプの女子高校生を表していた。しかし、次第にその解釈は広がり、コギャルは1990年代のポップカルチャーを象徴する存在へと進化していった。

大企業も無視できない影響力を持った女子高生たちのクチコミネットワーク


コギャル文化の特徴は、ファッション、ガジェット、コンテンツ、フード、レジャーといったあらゆる要素において、起源や属性にとらわれず、自分たちが気に入ったものを取り入れ、それを自分たちなりにアレンジし、カスタマイズする自主性にあった。

たとえば、1992年に東京・渋谷のソニープラザで販売されていたE.G.スミスの “BOOTS SOCKS” という商品は、もともと女子高校生をターゲットとしたものではなかった。しかし、女子高校生たちはこれを緩ませて履き始め、やがて “ルーズソックス” という呼称が広まり、独自のファッションカルチャーとして確立された。また、従来はビジネスツールだったポケットベルを通信手段として取り入れた。

文字や数字を使ってコミュニケーションを工夫することで、独自の文化や感性がさらに発展。SNSのない時代でありながら、女子高校生たちのクチコミネットワークは強力で、大企業も無視できない影響力を持つようになっていった。また、コミュニケーションのなかで独自の言語も生み出している。「♪ベル打っても 返事はなっしー だっしー」といったラップのフレーズがあるEAST END × YURIの「DA.YO.NE」は、当時の空気を捉えた楽曲として文化的価値が高い。

最後に確認しておきたいことがある。1990年代前半はまだまだコギャルの絶頂期ではないということである。1994年7月にリリースされた安室奈美恵 with SUPER MONKEY'Sのシングル「PARADISE TRAIN」はオリコントップ100入りさえ果たせなかった。1994年の時点で『プリント倶楽部』はゲームセンターに登場していない。雑誌『egg』(ミリオン出版)は創刊前である。

ということで次回、最終回はコギャル時代が絶頂期を迎え、さらに『おむすび』で描かれたようなギャルが現れる1990年代後半から2000年代にかけてを取り上げよう。

【関連記事】

おすすめの記事

新着記事

  1. 【加熱式タバコ】アイコスイルマ用たばこスティック全40種吸い比べ比較!【テリア/センティア】

    特選街web
  2. ウェーダーボンドを使ったウェーダーの修理方法【道具・手順・コツを解説】

    TSURINEWS
  3. 奇妙な〝1歳児あるある〟で9000人ニッコリ 何故だか持ちたがるアイテムに「勇者に見える」「うちの娘も...」

    Jタウンネット
  4. 第59回『京の冬の旅』キャンペーンが2025年1月からスタート!

    Leaf KYOTO
  5. 【世界一旨いパンケーキの作り方♡】簡単かわいい!クリスマススイーツレシピ

    BuzzFeed Japan
  6. 猫が『グルーミング』をしなくなったら危険サイン?考えられる3つの原因

    ねこちゃんホンポ
  7. 人生64年ずっと実家暮らしですが何か? 介護に看取り…「子ども部屋おじいさん」が至った境地

    コクハク
  8. 中央区から兵庫区までを一望!住む街を眺める時間【~この針から見えるのは、神戸らしい景色~】 神戸市

    Kiss PRESS
  9. キム・カーダシアン、「SKIMS」NY旗艦店オープン日にニースクーターで登場 先週に足の骨折を報告

    Techinsight
  10. 名鉄百貨店一宮店が2024年1月に閉店し、名古屋本店も閉店が確定!

    セブツー