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戦国大名たちの起源をひもとく! 源氏・平氏・藤原氏と戦国武将の関係

さんたつ

2本目表紙

皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。令和6年の大河ドラマ『光る君へ』では紫式部が『源氏物語』を記す過程が描かれるとともに、藤原道長様を中心に繰り広げられる権力争いも見どころの一つであるわな。大河ドラマで描かれておるとおり、藤原家は道長様の時代に最盛期を迎えたのじゃが、始まりは飛鳥時代まで遡る。現世の皆が「虫殺す(645年)」の語呂合わせで覚えたと聞く“大化の改新”にて活躍した中臣鎌足が天智天皇より藤原姓を賜ったのじゃ。ちなみに、645年は天智天皇(当時は中大兄皇子)や中臣鎌足が時の権力者、曽我氏を滅ぼした乙巳の変(いっしのへん)が起きた年。政治体制の刷新は翌年の646年に始まったとされるで、近年は大化の改新とは645年ではなく646年で教えられることが増えてきたようじゃな。

戦国大名たちの起源

して、鎌足の子・藤原不比等が政の中心人物として大宝律令や日本書紀の編纂に関わるなど数多くの功績を上げられ、不比等様の子である四人の兄弟が政敵であった長屋王を滅ぼし朝廷での発言力を強めていくこととなる。

その後もその勢力を伸ばし、道長様の時代に最盛期を迎えるのじゃが、院政の始まりと源平合戦の後に武家が勢力を伸ばしたことで朝廷の中での立場は保ちつつも次第に語られることが少なくなっていったのじゃ。

じゃが!

藤原家が誕生してから700年以上の時が経った戦国時代には、武家の中にも藤原家の流れを汲むものたちが少なからずいた。

故に此度は戦国大名たちの起源について話そうではないか!

我らの時代の大義名分や伝統のために己の出自は誠に肝要で、由緒正しき家の者から素性がわからんものまで多くの大名が名家の子孫を名乗っておったのじゃ。

藤原家の他にも平家や源氏など、様々な出自を持つ戦国武将を紹介いたそう。

藤原氏の子孫たち

藤原家の血を継ぐ戦国武将として、まず名が上がるのは上杉家である!!

藤原家の流れを汲む公家であった上杉家の祖が鎌倉時代に関東に下り、上杉を称したことが武家としての始まりである。

室町時代には足利家の重臣として権力を伸ばした。

じゃが、戦国の世になると北条家と敵対したことで衰退し、家臣格であった長尾家を頼る。

長尾家の当主は長尾景虎殿、後の上杉謙信殿である!

長尾家と上杉家は姻戚関係であったが為に景虎殿が上杉家の後を継ぐこととなった。長尾家は桓武平氏の流れを汲んでおるで、謙信殿は二重に格の高い家柄といえよう。

他にも伊達家や大友家、龍造寺に姉小路と、藤原の血を引く数多の家が戦国時代にも活躍しておった。

織田家も藤原の一族の子孫で、信長様、藤原信長を名乗られたこともあったぞ!!

平氏の子孫たち

次は平氏である!!

武家として初めて天下をとり事実上の武家政権を創始したこともあって、平氏は大きく広がり武将の多くがその流れを汲んでおる。

戦国時代に活躍した平氏の子孫といえばやはり織田家であろう!

織田家は平清盛様の嫡男・重盛様の次男である平資盛様の子孫である。

平家が源氏に滅ぼされた折に、資盛の庶子である平親実様が近江国に身を隠したのちに越前の劔(つるぎ)神社の神官の養子となった。

劔神社が織田荘にあったが為に織田を名乗るようになったようじゃ。

戦国時代に関東に大きな版図を築いた北条氏、いわゆる後北条氏も平氏の一族を名乗っておった。

正しくは平氏の一族である北条家の傍流を名乗っておったわけじゃ。

これも鎌倉幕府として関東を長く治めた北条氏の名を以って、関東を治めようとの考えであろう。

この他にも蘆名家や小早川、佐久間に、先に申した長尾家も名乗っておったぞ!

あとは一応秀吉もじゃな。

源氏の子孫たち

平氏の次は二大武家のもう一方である源氏じゃ!

源氏は鎌倉幕府にて武家による長期政権を確立した存在。故に子孫やそれを名乗る者も多かった。

鎌倉幕府の後に室町幕府を開いた足利氏も源氏の一門で、戦国時代にはこの足利の分家である今川家、細川家、斯波家、畠山家など多くの家が守護大名として活躍した。

足利の他にも新田家の流れを汲む山名家や徳川家、河内源氏の土岐氏とその一族を主張した明智光秀殿など様々じゃ。

そして甲斐の虎こと、武田信玄殿は甲斐源氏の嫡流である!

武田家は源義光様を祖とし甲斐に長く本拠を構え、源平合戦では当主・武田信義様が源頼朝様や木曽義仲様と同じく平家打倒の兵をあげる。

富士川の戦いでは頼朝様と信義様の連合軍が平家の軍に勝利し、この戦以降戦局は源氏有利に傾いていく。

のであるが、この後に頼朝様と源氏の棟梁を巡る争いに敗れ力を失うこととなった。

その後も苦難の時期が続いたが、戦国時代には勢力を盛り返し武田信虎・晴信(信玄)・勝頼の三代で日ノ本有数の勢力に成長したことは皆も知る通りじゃ。

他にも島津家は源頼朝様のご落胤(らくいん)の子孫と申しておるし、毛利家は頼朝様の腹心・大江広元様の子孫であるそうじゃ。

我らの時代の源氏の影響力の強さが見て取れるであろう。

源平交代論

最後に現世でも言われておる逸話、「源平交代論」を話して此度は終いといたそう。

源平交代論とは書いて文字の如く、源氏と平氏は交代で政権を担っていくという論である。

平清盛様が武家で初めて政治の実権を握り、その平家を打倒して源頼朝様が鎌倉幕府を創られた。

じゃが、鎌倉幕府の治世は平氏の北条家によって行われ、鎌倉幕府は源氏足利家により打倒された。

足利幕府を終わらせたのは平氏の信長様で、信長様は河内源氏土岐家を自称する明智光秀殿に本能寺で討たれたわな。

秀吉が平氏を名乗ったのはこの論に則ってのことであろうな。

そしてその後に天下を取った徳川殿は源氏を主張しておる。

わかり易く記すとこうじゃな。

平清盛様→源頼朝様→北条家(平氏)→足利家(源氏)→織田家(平氏)→明智光秀殿(源氏)→秀吉(平氏)→徳川家(源氏)

武家政権の誕生から明治維新まで多少強引に見えるやもしれんが平氏と源氏が入れ替わっておるわな。

こういった目線で歴史を見てみるのもまた一興であろう!

我ら武士にとっては始まりとなる源氏と平氏はそれほどに重要であったと言えるじゃろう!

そして、皆も自らの出自を追ってみれば思わぬ名が知れた歴史上の人物に行きつくやもしれん。挑戦してみても楽しかろう。

ちなみに我が前田家は尾張の小さな勢力であった為に系図はないが、菅原道真様の末裔とも伝えられておるぞ。

それでは此度の戦国がたりはこれにて終いといたそう。

次も楽しみに待っておれ!

さらばじゃ!!

取材・文=前田利家(名古屋おもてなし武将隊)

前田利家
名古屋おもてなし武将隊
名古屋おもてなし武将隊が一雄。
名古屋の良き所と戦国文化を世界に広めるため日々活動中。
2023年の大河ドラマ『どうする家康』をきっかけに、戦国時代の小話や、戦国ゆかりの史跡を紹介している。

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