【さとう三千魚さん(静岡市駿河区)の新刊「花たちへ」 】 「誰か」のために書いた即興詩が127編。全体的に夏の青春映画のようだ
静岡新聞論説委員がお届けするアートやカルチャーに関するコラム。今回は11月29日初版発行(奥付記載)の、詩人さとう三千魚さん(静岡市駿河区)の新刊「花たちへ 無一物野郎の詩、乃至 無詩」(浜風文庫)を題材に。
現代詩のウェブサイト「浜風文庫」を主宰する詩人さとう三千魚(みちお)さんが2022年5月から続けている詩のパフォーマンス「無一物野郎(むいちぶつやろう)の詩、乃至(ないし) 無詩(むし)」が詩集になった。
静岡市葵区の古書店「水曜文庫」でスタートしたパフォーマンスは、創作を希望する客に好きな花の名と詩のタイトルを尋ね、そこからインスピレーションを得た詩をその場で編み出す。スマートフォンに文字を連ね、プリントアウトして目の前の客に渡す。筆者は2022年7月の水曜文庫での2回目を取材したが、新しい形の「現代詩ライブ」だと感じた。
「無一物野郎」はほどなく、JR静岡駅北口で行うようになった。詩集のあとがきによると、県内では焼津市、川根本町、浜松市、県外でも東京・高円寺や神奈川県鎌倉市、京都市で実施した。さとうさんの「これだ」と何かをつかんだ顔が浮かぶ。
目の前に客がいて、投げ銭方式で金銭の授受がある。なんだか明治大正の「文士」っぽい。「詩を売る」という行為そのものにロマンを感じる。実のところ、筆者も詩を買った。その詩がこの詩集に載っている。その場でさとうさんとどんなやりとりをしたか。忘れていた記憶がよみがえった。
本作はそんな詩を127編収録している。紙に圧着された一つ一つ言葉も味わい深いが、詩が生まれる過程に思いを来すと、違った景色が見えてくる。全ての作品が「目の前の人に向けて詩をつくる」という、詩人にとっての「非日常」から生まれていることに留意したい。
詩の外側に「誰か」がいる。その人が好きな花を想像する。つまり、創作に他者を介在させているのだ。その時、詩人はどんな言葉を紡ぎ出すのか。そんな実験の成果が一冊になっている。
さとうさんの詩は、極めて言葉数が少ない。2文字、3文字で改行する。時には1文字、ということもある。空中に浮かんだ言葉を、適切なタイミングでパッとつかんで紙にすり込んでいる。スピード感あふれる手さばきである。
そぎ落とした、というより「パッとつかんできた」という印象が強い。瞬発力を感じる。差し込む光を逃さずすくい取っている。だから、詩に色彩がある。全体的に夏の青春映画のようだ。個人的にはルカ・グァダニーノ監督「君の名前で僕を呼んで」を思い起こした。
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