1990年代の洋楽シーン【ローファイ】ベックが歌った負け犬たちのアンセム「ルーザー」
リレー連載【1990年代の洋楽シーン】vol.5 ローファイ
1990年代、ついこの前のことのように思ってしまうのは私だけだろうか? しかし実際は30年も前の話なので、当時のポップミュージックはすでに音楽史の出来事として語られるべき対象ともいえる。こうした背景を鑑み、Re:minderでは【1990年代の洋楽シーン】と題し、代表するアーティストやその作品をシリーズで取り上げていく。
ローファイ・シーン最大の才能、ベックの登場
ローファイ(Lo-Fi)とは、録音状態の悪い音楽のことを意味し、ハイファイ(Hi-Fi)の対義語として使われ始めた言葉である。1990年代に入るとオルタナティブ・ロックが台頭し、インディー系の宅録作品にも注目が集まるようになっていく。こうした宅録作品や簡素なスタジオで録音した作品は音質が悪いものも多かったのだが、むしろその音質の悪さが手作り感やヴィンテージ感を増し、その生々しさや既存のポップミュージックにとらわれない柔軟性が魅力となり、そうしたアーティストや作品をローファイと定義し、注目が集まった。
ローファイ・シーンから出現した最大の才能はベックだろう。ベックのメジャーデビューアルバム『メロウ・ゴールド』はカントリーやブルースにヒップホップのリズムを組み合わせたものからサイケデリックな香り漂うアシッドフォークまでを思いつくままに、そして無造作に詰め込んだ音像にベックのしわがれ声のボーカルが入る古臭くも新しい音楽スタイルだった。音質が悪いわけではないのだが、音楽性もボーカルも破れかぶれで投げやりな姿勢からは、ローファイな佇まいが強く感じられた。
特にシングルとしてもヒットした「ルーザー」は、理不尽な状況の比喩として様々なものごとの不自然な状態を列挙して歌い、サビでは “オレは負け犬、なんでオレを殺さないんだ?” と投げやりに歌う。自分の置かれた苦しい現状に対する異議申立てをしながらも、それが解決されることは難しいと諦めている感覚は、当時20代を過ごしていたX世代のしらけた気分を如実に表していた。さらに付け加えるならば、本作がヒットしていた1994年4月は奇しくもカート・コバーンの自死の時期と重なり、当時のロックファンの気分を反映したこともシングルヒットに結びついた要因にも感じられる。
文系チックなバンドの音と佇まいがとても魅力的なペイヴメント
メジャーでブレイクしたベックの他にローファイ・シーンにはどのようなアーティストがいたのかについて触れてみたい。
ベックの次に名前が挙がるのはペイヴメントだろう。1992年にリリースされたデビューアルバム『スランティッド・アンド・エンチャンティッド』は、世界中のメディアで大絶賛され、その年の英米の主要な音楽誌のリーダーズポール(人気投票)で軒並み上位に入選するほどの評価を得た。ヘロヘロなのに尖った演奏で奏でられる物憂げなメロディーは、旧態依然なロックのマッチョイズムとは正反対で、文系チックなバンドの音と佇まいがとても魅力的だ。
最もローファイ・サウンドを体現しているガイデッド・バイ・ヴォイシズ
そして、忘れてはならないバンドをもう1つ、ガイデッド・バイ・ヴォイシズを挙げたい。ボーカルでメインソングライターのロバート・ポラードはとにかく多作なソングライターで寝て起きてメシを食うように曲を書く人だ。その作風は鼻歌程度の小品からパワーコード炸裂のポップチューンまで様々。
次から次に出来上がる膨大な曲を発表するためにレコーディングを行い、作品をリリースしてきた結果、2025年現在までに40枚のフルアルバムと無数のEPをリリースしている。その作品のほとんどがガレージや簡素なスタジオで録音されており、音質面では最もローファイ・サウンドを体現しているバンドと言えるだろう。また、後続のバンドに与えた影響も大きく、ストロークスはリスペクトを公言して憚らない。
ローファイの魅力とは?
このようにローファイ・シーンから出現したアーティストの音楽性は様々だが、共通点としてどこか投げやりな姿勢が感じられる。ヒット作を生み出すことや、ロック史に残る名作を作り上げることなど眼中になく、自分たちのできることをやりたいようにやるDIY精神からはパンクスピリットが感じられる。また、音質にこだわらない姿勢は、1980年代のゴージャスでハイファイなサウンドに対するカウンターカルチャーとして機能していたことも見逃せないポイントと言えるだろう。
さらに付け加えるならば、グランジへの反動があったことにも言及したい。グランジは、心の痛みを叫ぶロックであり、そこが魅力なのだが、そうした心の闇の重たさや暗さに疲れ始めていたロックファンは、ローファイが持つアマチュアリズムや投げやりで無責任なあり様に斬新さや居心地の良さを感じていたようにも思えるのだ。
よりミニマルになるレコーディングの手法と環境
このように1990年代の音楽シーンに顕在化したローファイの手法は、音楽制作の敷居を低くし、裾野を拡大させた。併せて、レコーディングに関しても機材やテクノロジーの進化が後押ししたこともあり、1980年代までのようなお金を湯水のごとく使うレコーディングは過去のものとなっていく。
今日、ローファイの価値観は、ロックにとどまらずヒップホップやダンスミュージックにも浸透し、新たな才能を輩出しやすい環境が整備され、今後もよりミニマルな創作方法が主流になっていきそうだ。
そして、本稿の主題、ベックは『BECK Live in Japan 2025』として現在来日公演中だ。ASIAN KUNG-FU GENERATIONが主催する『NANO-MUGEN FES. 2025』にも出演した。私もフェスで2回ほど観る機会があったのだが、どちらも得難いライブ体験することができた。今回も素晴らしい演奏を聴かせてくれることは間違いないだろう。