「首かけイチョウ」の逸話は怖くない!「公園の父」が体を張って救った樹齢400年の木【東京都中央区】
「首かけイチョウ」という言葉を聞いたときに、恐ろしい想像をする人はきっと少なくないはずだ。
私もその一人で、東京都中央区にある日比谷公園にある「首かけイチョウ」を知ったときに、どこぞの誰かが首を吊ったエピソードを持つイチョウの木のことを指しているのだと思った。夜な夜な「首かけイチョウ」の下には恨みがましく泣く幽霊が現れ……という怪談があるのではと興味本位で調べてみたのだが、その期待は大きく裏切られた。しかし、その代わりにある一人の男の熱い思いの物語を知ることができた。
男の名前は本多静六(ほんだ・せいろく)。「公園の父」と呼ばれ、日比谷公園も彼の設計だった。後に「首かけイチョウ」と呼ばれることになるイチョウの木は、徳川家康が江戸に本拠地を移した1590年頃に植えられたもので、樹齢400年以上と推定されている。
かつては現在の日比谷交差点付近に植えられていたのだが、1901(明治34)年に工事のために伐採される事が決まった。樹齢400年を超える大木の伐採計画を知った本多は、この歴史あるイチョウをなんとかして助けたいと思い、参議会議長に直談判をして伐採中止を強く訴えたのだ。
しかし議長は簡単には許可せず、本多も自分の判断がどれほど確実であるかを表現するために「一尺(約30センチメートル)大のハンコを押して保証する」と食い下がったのだが、「そんなハンコでは駄目だ」と突っぱねるばかりの議長。そこで本多は「それならば私の首をかけよう」と、自らの地位をかけてでもイチョウを守ると主張したのだ。
これには議長もついに折れ、このイチョウの伐採を中止させ、移植費を出して本多に移植を任せることに決めたのだった。そしてイチョウは日比谷公園内に移植され、本多の首をかけて移植された逸話から「首かけイチョウ」と呼ばれるようになった。
その後、第二次世界大戦時には高射砲(こうしゃほう、空中目標を射撃する対空砲)の邪魔になると幹を切断されたり、沖縄返還問題の際に過激派組織の投げた火炎瓶に黒焦げにされたりと、なにかとひどい目にあっているが、強い生命力で万難を乗り越えている。
今では樹高21メートルを超えた巨木となり、その力強さから東京のパワースポットの一つとして人気が高い。江戸時代に植えられた一本の木が、明治時代に本多という男の心意気に救われ、400年以上経った令和の今でも公園で憩う人たちを見守っていると思うと非常に感慨深いものがある。