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45年の時を経て世界的ブレイク!TikTokでバズったスペクトラムを君は知っているか?

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1980年03月05日 スペクトラムのセカンドアルバム「OPTICAL SUNRISE」発売日

世界的に脚光を浴びているスペクトラムの「F・L・Y」


スペクトラムの「F・L・Y」が世界的にバズっているという。昨年12月からTikTokで数々の動画がBGMとして「F・L・Y」を使用。TikTok動画の総視聴回数は1億回を突破。現在、アメリカを中心に世界中で話題になっている。これには確かに意表を突かれる思いがした。スペクトラムは1980年前後にある程度の注目を浴びたバンドだが、その後は熱心なファン以外にはほぼ忘れ去られていたといっていい存在だったからだ。

スペクトラムの結成は1979年だが、その前身は1960年代に活躍したグループサウンズ、ザ・ワイルドワンズのキーボード奏者だった渡辺茂樹が1972年に伊丹幸雄のバックバンドとして結成した “ロックンロールサーカス”。メンバーには弟の渡辺直樹(ベース)、新田一郎(トランペット)らがいた。

ロックンロールサーカスは1974年に解散し、渡辺茂樹はあいざき進也のバックバンドを結成する。これは当時では珍しい三管編成のバンドで、新田一郎の他、兼崎順一(トランペット)、片山鉱二(サックス)が参加した。ロックンロールサーカスはまもなく大幅なメンバーチェンジを行って西慎嗣(ギター)らが参加し、バンド名もミュージック・メイツ・プレイヤーズ(MMP)と変更された。新田一郎と金崎順一はこのタイミングでバンドを離れて中村哲(サックス)と日本初のホーンセクションだけのユニット “ホーン・スペクトラム” というユニットを結成しているが、MMPもメンバーを替えて三管編成をキープしていく。

MMPはキャンディーズのバックバンドとしても活動するようになり、1978年4月4日に後楽園球場で行われたキャンディーズのラストコンサート『ファイナルカーニバル』のバックを務めた後に解散した。同じ頃、ホーン・スペクトラムから中村哲が脱退することになり、新田一郎と兼崎順一がMMPの渡辺直樹、西慎嗣らと合流することで誕生したのがスペクトラムで、この他に吉田俊之 (トロンボーン)、奥慶一(キーボード)、岡本郭男(ドラムス)が参加し、1980年には今野拓郎(パーカッション)も参加している。こうした流れから、当時の音楽ファンからスペクトラムはホーン・スペクトラムとMMPの合体バンドだと受け止められていた。

当時は珍しかった管楽器を主体としたスペクトラム


スペクトラムの音楽的特徴は、ブラスアンサンブルを主体とするバンドだということだろう。確かに当時の日本ではブラスセクションを持ったバンドは珍しかった。1960〜1970年代に活動した日本のバンドの多くは欧米のギターバンド・スタイルを取り入れていたからキーボードが入ることも多くはなく、ましてや管楽器はかなり珍しかった。

ただ、アメリカでは1960年代の終わり頃から、ジャズを中心にロックなど異なるジャンルの音楽を融合させるクロスオーバーのムーブメントが盛り上がっており、その中心にはマイルス・デイヴィスやハービー・ハンコックなどの管楽器奏者がいた。ロックシーンでもシカゴ(1967年結成)、ブラッド・スウェット&ティアーズ(1968年結成)、チェイス(1970年結成)など、ブラスセクションを持つバンドが登場して、ロックとジャズ、さらにはソウルのテイストを取り入れたオリジナリティを追求していった。

さらに、ソウルシーンからもスライ&ザ・ファミリー・ストーン(1967年結成)がロックテイストを取り入れたファンクを打ち出し、このバンドのベーシストだったラリー・グラハムのグラハム・セントラル・ステーション(1973年結成)、さらにアース・ウィンド&ファイアー(1969年結成)など、ブラスセクションを持ったバンドが次々と登場していった。

自分たちの方向性を探ろうとする強い意志を感じるアルバム「SPECTRUM」


こうした動きは、日本にもある程度は紹介されていた。しかし、ムーブメントの新しさ、目新しさばかりが強調され、彼らの背景にある音楽的流れなどは無視されてしまうことが多かった。スペクトラムは日本にはそれまでほとんど無かったブラスセクションバンドだったため、物珍しさで取り上げられたり、当時知名度が高かったアース・ウィンド&ファイアーを模倣していると言われたりもした。しかし、プロフィールを見ればわかるように、彼らは前身バンドの頃からブラスセクションを持っていた。

もちろん、アメリカのブラスロックやソウル、ファンクの影響もあったには違いないけれど、スペクトラムらがブラスセクションを持っていた大きな理由は、その出発点が歌手のバックバンドだったことが大きかった。自分たちだけでアーティスト活動をするバンドは、自分たちのサウンドが作れる編成であればいい。しかし、バックバンドの場合は歌手の音楽性に合わせなければならない。

特に歌謡曲やアイドルシンガーは音楽性の振り幅も広く、ブラスセクションを持つことがバックバンドとしての武器になるという背景があったのではないか。スペクトラムの成り立ちを考えると、歌手のバックで演奏していたリズムセクションとブラスセクションが合体してアーティスト活動をするバンドになったということが最大の特異性なのではないか。

話題の「F・L・Y」を収録した「OPTICAL SUNRISE」


ロサンゼルスレコーディングによるファーストアルバム『SPECTRUM』(1979年)を聴くと、演奏水準の高さとともに、ファンクをベースにしながら自分たちの方向性を探ろうとする強い意志を感じる。スペクトラムがデビューした1979年は、YMOがブレイクしてテクノブームが巻き起こったり、カシオペアのデビューなどフュージョンが脚光を浴びるなど、新しいサウンドへの注目が高まっていた。そんな期待にスベクタラムはどう答えるのか、という意欲がやや粗削りな演奏から伝わってくる。

『SPECTRUM』発表から7か月後の1980年3月、彼らはセカンドアルバム『OPTICAL SUNRISE』を発表。前作の粗削りな感じが消え、全体的にフュージョン的ニュアンスを感じさせるアルバムで、話題の「F・L・Y」や「イン・ザ・スペース(IN THE SPACE)」など、彼らの代表曲が収録されている。プロレスラーのスタン・ハンセンの入場曲に使われた「サンライズ(SUNRISE)」もこのアルバムの収録曲だ。

その後、『TIME BREAK』(1980年)、『SECOND NAVIGATION』『SPECTRUM BRASSBAND CLUB』(1981年)と立て続けにアルバムを発表するが、1981年に解散してしまう。これらのアルバムからは、自分たちのサウンドを模索しながら、幅広いリスナーに開け入れられるための試行錯誤をしてきた姿が感じられる。

時代がやっとスペクトラムに追いついた


それにしても、このアルバムリリースのペースは尋常ではない。トップアイドル以外でこのペースでアルバムをリリースしていたのは松任谷由実くらいだったのではないか。逆に言えば、スペクトラムは松任谷由実やアイドル並みのスターになることが求められていたということだろう。

そういえば、テレビやコンサートで見るスペクトラムは、西洋の甲冑のようないでたちで派手なパフォーマンスを行い、常に周囲から少し浮いて見えていたことも思い出す。その唐突なビジュアルとハイクオリティな演奏とのギャップは確かに印象的ではあったけれど、その目論見が圧倒的に成功したとはいえなかった。

今振り返れば、サウンドの追求と商業的成功というある意味相反するテーマを追うことになってしまったことが、スペクトラムが良質な作品を残しながらも短命で終わってしまった理由なのではないか。それでも彼らの残した楽曲が半世紀を過ぎて評価されるということは感慨深い。陳腐な言い方をすれば、時代がやっと彼らに追いついた、ということかもしれない。

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