下北沢、この素晴らしき“ジャズの”世界。街の雑多性が豊かな土壌を育む
幕を閉じる者がいれば、新たに始める者も。下北沢には複数のジャズスポットがあるが、時代と共に入れ替わってもいる。しかし、バトンは確実につながれてきた。長年この街のジャズ文化を支えた店の店主に話を聞いた。
店名がロックの曲名なのはなぜ?『LADY JANE』
店主・大木雄高さんのお話
「1970年代、世間で勢いがあったのはロック。マイルス・デイビスがロックやファンクの要素を取り入れるようになって、『俺の音楽をジャズと呼ぶな!』と言ったのもその頃。この言葉には私も随分影響を受けたよね。1975年にジャズ・バーをやろうとなって、屋号の候補を100個ぐらい書き出したんだけど、最後の3つで悩んだ。一つは尊敬するデューク・エリントンにちなんで『The Duke』。次に、ホレス・シルバーのアルバムタイトル『Doin’ the Thing』。これは15歳でジャズにのめり込んだきっかけ。最後が、The Rolling Stonesの『Lady Jane』。で、屋号はジャズ・バーらしくないものがいいと思った。下北沢の雑多性ともピッタンコだしね」
店主を変えた一枚
ホレス・シルバーのソウルフルなピアノが聴ける一枚。大木さんは著書『下北沢祝祭行 レディ・ジェーンは夜の扉』の中で「ファンキー・ジャズのNo.1アルバム」と評する。
『LADY JANE』店舗詳細
LADY JANE(レディジェーン)
住所:東京都世田谷区代沢5-31-14/営業時間:18:00~翌1:30LO/定休日:月・火/アクセス:小田急電鉄小田急線・京王電鉄井の頭線下北沢駅から徒歩5分
伝説のジャズ喫茶が残してくれたもの『ジャズ喫茶 マサコ』
店主・moeさんのお話
「私が旧『マサコ』(1953~2009年)で働き始めたのは1995年。創業者の奥田政子さんはすでに亡くなっていたので、お会いできませんでした。お会いしたかった! 私が主にお世話になったのは、2代目の福島信吉さん。普通はジャズ喫茶ってオーナーが選曲すると思うんですが、これも下北沢らしさなのかうちはゆるくて、スタッフが。あまりやりすぎると注意されましたが、基本的には任せてもらえました。ジャズにもいろいろあって、アフリカンやアバンギャルドもかけるから、『ここはジャズ喫茶じゃない!』っていうお客さまも。むしろそれは私たちには褒め言葉。2020年にオープンしたこの新生『マサコ』でも大事にしている部分です」
店主を変えた1枚
10代の頃、お客として訪れた旧『マサコ』でデイブ・ブルーベックを聴き、後日ジャケットが似ているこちらを間違えて購入。「呪術的なピアノソロがいい。失敗が生んだ出合い」。
『ジャズ喫茶 マサコ』店舗詳細
ジャズ喫茶 マサコ
住所:東京都世田谷区北沢2-31-2 大久ビル2F/営業時間:12:00~21:00LO(日は~19:00LO)/定休日:木/アクセス:小田急電鉄小田原線・京王電鉄井の頭線下北沢駅から徒歩2分
人生の機微とジャズが染み付いた店内『Jazzhaus POSY』
店主・芥川美佐さんのお話
「一人で娘を育てなくちゃいけなくなって、店を始めることにしたの。1973年だから……、え? あれからもう50年になるの? 信じられない。静かな場所がよくてここにしたんだけど、駅から遠いし目立つお店じゃなかったわ。でも、通ってくれるお客さんがいて、表の看板は常連さんが作ってくれたの。ビル・エバンスの絵が素敵でしょ。私が一番好きなのはビル・エバンス。最初はジャズ、そんなにくわしくなかった。本で勉強して毎週のように渋谷の『ディスク・ユニオン』にレコードを買いに行ったわ。ライブもとにかくたくさん観た。途中からは娘と二人で。その娘が近々正式に店を継いでくれることになったの。うれしいわあ」
店主を変えた1枚
ビル・エバンスのピアノに、ベース、ドラムが加わったトリオ編成。ビル・エバンスの代表作の一つ。「この人の人生は壮絶だったけどね、音楽は本当に繊細で美しいの」。
『Jazzhaus POSY』店舗詳細
Jazzhaus POSY(ジャズ ハウス ポージー)
住所:東京都世田谷区代沢5-6-14/営業時間:17:00~23:00/定休日:月/アクセス:小田急電鉄小田原線・京王電鉄井の頭線下北沢駅から徒歩9分
脈々と受け継がれてきた下北沢独自のジャズ文化
「おもちゃばこをひっくり返したような街」だとか「さまざまなカルチャーが雑居している街」だとか、下北沢を表すにはいろんな言い方がある。
「私が思っていたのは、日本のグリニッチ・ビレッジだって」
グリニッチ・ビレッジは、マンハッタンのダウンタウンにあるジャズの聖地。1960年代にはカウンター・カルチャーの中心地にもなった。「ちょっとかっこつけて言ったけどね」と笑いながら付け加える『LADY JANE』の大木雄高さん。大木さんは1975年に店を始める前から、よく下北沢にいた。元々は演劇畑で、自ら劇団を主宰していた。ジャズは少年時代を過ごした広島で、友人に連れて行かれたジャズ・バーがきっかけで目覚めた。
「演劇青年としては、ジャズを聴きながらでも台本の構想を練ることができるんですよ」
下北沢には当時からいくつかジャズ喫茶はあったが、「もう圧倒的に『マサコ』」だったという。山下洋輔や日野皓正といった著名なミュージシャンも現れ「刺激的だった。アパートに帰って一人でくすぶるのとは違う時間を過ごせたんです」と、大木さんは青春時代を振り返る。周りを見ると自分と似たような小説家の卵や、写真家の卵が集まっていて、時間を忘れて話し込むことも。
「基本的に長居。あんまり長いんで、よくおかわり請求されたなあ」
2025年4月、創業50年の節目に『LADY JANE』は閉店する。
これまで大木さんは、自身の「雑多性」を生かしてさまざまなイベントを企画。そもそもは店が軌道に乗って忙しくなり、演劇との両立が難しくなったことに端を発する。劇団を解散した大木さんは、やがて「創作活動をやめた禁断症状」が起き、何かせずにはいられなくなったらしい。腕利きのミュージシャンを呼び、定期的に店内ライブを行うようになった。スタンダードもあれば、ロックやフォーク、邦楽器共演など、ジャンルをまたいでコラボさせることも多い。ここでしか味わえない音楽が生まれ、夜ごと熱狂した。
「マサコ」に入り浸っていたかつての大木さんと、『LADY JANE』に憧れて下北沢にやって来た若者は、多分どこか似ている。今日も、そして明日も、街のどこかでジャズが生まれている。
取材・文=信藤舞子 撮影=高野尚人
『散歩の達人』2025年1月号より