ここが青春時代の渋谷【駅ぶら】06京王電鉄378 井の頭線09
※2024年1月撮影
トップ画像は、明治通り並木橋交差点。あまりウロウロした場所ではありませんが、渋谷方面の眺めが昔とはかなり違っています。
西側には渋谷川が流れていて、昔は「東横線」の高架がありました。車窓から眺めたビルの裏側ですが、現在、鉄道は地下化されています。
※2024年1月撮影
「玉川通り(国道246号線)」の陸橋に上がりました。並木橋方面を見ています。左は渋谷警察薯。
※2024年1月撮影
ここから東は「六本木通り」。国道246号線は左に分岐して「青山通り」になります。頭上は首都高速道路。
※2024年1月撮影
西側首都高速道路の下に、かつての「東横線」高架駅の「かまぼこ屋根」が再現されています。すごく懐かしいです、でもちょっと違和感、場所が・・・ね。(笑)
※2024年1月撮影
奥に「東京メトロ銀座線」の「渋谷駅」が新しく移設されています。手前は昔プラネタリウムがあった「東急文化会館」、今は「ヒカリエ」への遊歩道。中学時代に友人と「東急文化会館」で映画「イージーライダー」(1970年公開)を観ました。「ある愛の詩」も観たなぁ。幾星霜。
※2024年1月撮影
地上に下りて昔からある「新島のモヤイ像」に来ました。喫煙所は小屋になっていました。
※2024年1月撮影
モヤイ像の案内板には「新島には古くから『モヤイ』と呼ぶ美しい習慣があった。それは島民が力を合わせる時にのみ使われた。いわば共同の意識から生まれた素朴な人々のやさしい心根を表すものであった。『モヤイ』は島の歴史とロマンを秘めた言葉なのである。ここに集う人々よ、ものいわぬモヤイ像は、あなた方に何を語りかけるであろうか。願わくば私たちと共に、そのかすかなる祖先の『モヤイ』合う連帯の心に胸を大きく開かれんことを。 昭和55年9月25日 東京都新島村」と記されています。
1980年に建立されたのでしょうか。新島の『モヤイ』は、沖縄の『ゆい=結』と似た言葉の様に感じます。
再びスクランブル交差点に戻って「道玄坂」を上ります。
※2024年1月撮影
「道玄坂」の標識。
※2024年1月撮影
標識には「江戸時代以来、和田義盛の子孫大和田太郎道元がこの坂に出没して山賊夜盗のように振る舞ったとの伝説や道玄庵という庵(いおり)があったため、道玄坂と名付けられたとの説もありますが定かではありません。」と書かれています。
和田義盛と言えば鎌倉幕府の重要な御家人で北条氏に滅ぼされたのを「大河ドラマ」で見た記憶が蘇ります。劇中では巴御前に投げ飛ばされていました。(笑)
学生時代に友人とよく食事をした台湾料理「麗郷」の路地に入りました。半世紀の時間が流れましたが「麗郷」は変わらないですねぇ。
鹹蜆仔(キャムラー/シジミの大蒜醤油漬)食べたいなぁ。(笑)
※2024年1月撮影
「麗郷」手前の階段。ここも半世紀前によく登り降りしました。アメリカのサザンロックやカントリーミュージック系が好きだった友人御用達のデニムやブーツをあつかっている店があったり、近くの「ブラック・ホーク」で真面目にロック・ミュージックに耳を傾けたり「BYG」の二階でゴロ寝したり、筆者の渋谷はこの辺りが中心。
※2024年1月撮影
とは言え、筆者は実際はほとんどの時間を吉祥寺で過ごしていました。渋谷に来るのは北鎌倉に住んでいた大学の友人(彼がサザンロックやカントリー系の愛好家)と一緒に来る程度だったのです。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)