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ヘレン・シャルフベック《黒い背景の自画像》と映画『魂のまなざし』――男性優位の社会で彼女は何を考えた?

イロハニアート

美術館でふと足を止めたとき、視線を離せなくなる絵に出会ったことはありますか?ヘレン・シャルフベックの《黒い背景の自画像》(1915年)は、まさにそんな1枚です。漆黒の闇に浮かぶ顔、削ぎ落とされた筆致、そしてこちらを射抜くような眼差し。華やかさとは無縁なのに、観る人を強烈に惹きつけます。 この記事では《黒い背景の自画像》を中心に、シャルフベックの人生や代表作、そして映画『魂のまなざし』とのつながりをたどります。初心者の方にもわかりやすく、絵画と映画を行き来しながら、彼女が考えていたことに想いを馳せてみましょう。

そもそもヘレン・シャルフベックとは?


ヘレン・シャルフベック(1862–1946)は、モダニズムを代表するフィンランドの画家です。日本ではあまり知られてきませんでしたが、近年の展覧会や映画化を通じて注目を集めつつあります。

彼女を語るうえで欠かせないのが自画像の数々です。その中でも、とりわけ強烈な印象を残すのが《黒い背景の自画像》だといわれています。

ヘレン・シャルフベック《黒い背景の自画像》(1915年)/フィンランド国立アテネウム美術館

, Public domain, via Wikimedia Commons.

シャルフベックは幼少期の事故で左足が不自由となり、小学校に通うことができませんでした。しかし11歳で絵の才能を認められ、フィンランド芸術協会の描画学校に入学します。

18歳で奨学金を得ると、芸術の都パリへ留学。ヨーロッパにおける最新の美術潮流に触れ、エドゥアール・マネやポール・セザンヌ、ジェームズ・マクニール・ホイッスラーから強い影響を受けます。

ヘレン・シャルフベック《自画像》(1884〜1885)/フィンランド国立アテネウム美術館

, Public domain, via Wikimedia Commons.

ただ、芸術家としての歩みは順風満帆ではありませんでした。20世紀初頭のフィンランドはまだロシア支配下にあり、独立運動や内戦に揺れていました。社会も芸術界も男性優位が当たり前で、女性画家が地位を築くことはあまりに難しかったのです。彼女自身も、婚約破棄や家族との関係といった苦い経験を経て、孤独の中で制作に没頭していきます。

晩年のシャルフベックは療養ホテルに滞在し、衰えていく身体が死に向かっていくと意識しながら、多数の自画像を描きました。

そのうち《赤い点のある自画像》からは、忍び寄る死への恐怖に怯え、目を開く気力すら失いつつある様子を感じます。老いと死を見つめ、自分を美化することに関心がなく、生きた証として絵を残す。彼女の名前が世界的に知られるようになったのは、ただ1人の画家としてアイデンティティを貫き続けた姿勢ゆえなのかもしれません。

ヘレン・シャルフベック《赤い点のある自画像》(1944)/フィンランド国立アテネウム美術館

, Public domain, via Wikimedia Commons.

《黒い背景の自画像》が代表作になった理由


シャルフベックは生涯にわたり自画像を描き続けました。絵画と素描で約40点がのこされ、どの作品でも、その時期に彼女が影響を受けた様式や技法が試されています。自画像ならモデルの費用や時間を気にせず、じっくり制作に取り組めることが理由でした。

1914年、フィンランド芸術協会は彼女に自画像を依頼します。自国を代表する芸術家の肖像画を理事会室に飾るため、唯一選ばれた女性画家でした。

準備素描として制作されたのが《銀色の背景の自画像》です。彼女は銀色の背景からやや斜めに正面を向き、和服を思わせるローブを身につけています。鉛筆や銀箔を用いる技法は、浮世絵、例えば東洲斎写楽 《三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛》からインスピレーションを受けたのではないかといわれています。

ヘレン・シャルフベック《銀色の背景の自画像》(1915年)/トゥルク美術館

, Public domain, via Wikimedia Commons.

東洲斎写楽 《三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛》(1794)/東京国立博物館

, Public domain.

その後シャルフベックは《黒い背景の自画像》を制作し、フィンランド芸術協会に提出します。黒い背景には、絵筆が入った朱色のポットがアクセントとなり、本人は鏡のすぐそばに近づき、顔を真正面から捉え、三角形の構図の頂点に配置しました。目の周りは淡い藤色で、黄みのある赤(バーミリオン)に染まった頬とともに、青白い顔に女性的な要素を加えています。

親交の深かった作家エイナル・ロイターへの手紙で、シャルフベックはこう述べました。

「明るい白にバーミリオンを施した私の自画像。黒い背景にはまるで墓石のように銀色で私の名前が刻まれている」

画家人生の頂点ともいえる名誉ある自画像に、早くも自らの死を織り込んでいることが、死に直面する自分を記録し続ける芸術観を予見させます。つまり彼女は、自分の存在そのものを「死を予感する記号」として表現したのではないでしょうか?

従来の肖像画といえば、依頼者や権威者の姿を美しく記録することが目的でした。しかしシャルフベックはその伝統を裏切り、「社会にどう見られるか」よりも「自分がどう生き、どう消えゆくか」を正面から描きます。《黒い背景の自画像》が代表作になった理由は、この革新性にあるのではないでしょうか。

映画『魂のまなざし』と男性優位社会


参照:魂のまなざし - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ・動画配信 | Filmarks映画

2020年に公開されたフィンランド映画『魂のまなざし』(原題『Helene』)は晩年のシャルフベックを描いた作品です。物語の重要人物が、先ほどもご紹介したエイナル・ロイターです。森林保護官・作家で、独学で絵を学んだ彼は、シャルフベックの才能を初期から認め、世に広めようと奔走しました。次第に2人の間には深い友情と、時に愛情にも似た関係性が生まれます。

ヘレン・シャルフベック《船乗り(エイナル・ロイター)》(1918)/個人蔵

, Public domain, via Wikimedia Commons.

映画は、芸術の喜びだけでなく、社会的な壁も鮮明に映し出します。20世紀初頭のフィンランド芸術界は男性中心で、女性画家は「趣味人」と見なされがちでした。シャルフベックもまた、才能を認められながらも、経済的困窮や社会的評価の低さに苦しみます。画家として独立しようとする意志は、当時の社会規範からすれば「女性らしからぬ野心」とされたのです。

『魂のまなざし』は、彼女が男性優位の世界で何を考え、どう闘ったのかを描いた作品です。愛する人に裏切られ、社会での居場所に苦労しても、彼女は筆を置きません。むしろ孤独と失意の中で、自画像という形で自己を描き続けました。

映画のスクリーンに映るシャルフベックの眼差しは、《黒い背景の自画像》と響き合い、現実とフィクションの境を越えて観客に迫ってくるようです。

《黒い背景の自画像》は単なる肖像画ではない?


シャルフベックは《黒い背景の自画像》を自らの記念碑として描きました。他者に見せるための美しさではなく、自分自身に突きつけた「生と死の問い」が感じられます。

絵を見つめると、まるでこちらに視線が返ってくるような感覚に襲われます。死を予感しながらも、最後まで制作を諦めなかった眼差し。そこには芸術家としての誇りと、人間としての孤独が重なっているようです。わたしたちはただ彼女の顔を見るのではなく、生の有限さを痛感させられます。

現代に生きるわたしたちにとって、この作品は「老いをどう受け入れるか」「孤独とどう向き合うか」という問いを投げかけます。華やかさや若さだけが価値ではない。「ありのままの姿を描く勇気こそが芸術の本質である」とシャルフベックは教えてくれています。

《黒い背景の自画像》は単なる肖像画ではありません。それは画家ヘレン・シャルフベックの「魂のまなざし」であり、時代を越えて私たちを見返す存在そのものなのです。

参考文献


佐藤直樹(監修)・佐藤直樹ほか(執筆)(2015年)『ヘレン・シャルフベック―魂のまなざし』求龍堂

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