四ツ谷・陽運寺で知る、修行がもたらす「本当の美しさ」〜お寺でひとやすみ!〜
今回お伺いした陽運寺さんは、四谷怪談で有名な「お岩さん」をお祀りするお寺です。若い女性が足繁く訪れるこちらのお寺は、“縁結び”で特に信仰を集めているとか。今回は「ご縁」をテーマに、ご住職の植松健郎さんにたっぷりお話を伺いました!
温泉旅館のようなお寺を目指して
四ツ谷のオフィス街から裏通りに一歩足を踏み入れると、閑静な住宅地が。その一角に建つのが、今回訪れた日蓮宗のお寺、陽運寺さんです。春風が吹き始めた境内に、やさしく陽が差しています。
山門をくぐるとまず目に飛び込んでくるのが、こちらの札。
お岩さんといえば、四代目鶴屋南北作の『東海道四谷怪談』の登場人物ですが、お岩さんにはモデルとなった実在の女性がいたのだそう。この地で暮らし、庶民の崇敬を集めていたお岩さんが稲荷神(いなりじん)と結びつき、神様として祀られているのだそうです。
境内にはかつてお岩さんゆかりの祠があったそうですが、第二次世界大戦の戦災にあい、失われてしまいました。戦後に栃木県沼和田のお寺から薬師堂を遷(うつ)して本堂とし、開山されたのだそう。
境内にはお岩さん関連のスポットが。こちらはお岩様ゆかりといわれる井戸です。
お岩さんも使用したという言い伝えが残る御霊水。こちらで手を清めて、いざお参りします。
移転前の時代を含め250年以上の歴史を持つ本堂の脇には、お守りなどを授与していただける寺務所があります。参拝者の実に8割が女性だそうで、平日の昼間にもかかわらず、ひっきりなしに若い男女が訪れていました。お守りやお札を返しに来られた女性の姿も。よきご縁が実ったのでしょうか。
境内のあちこちに、かわいらしいあしらいが。花やもみじの季節でなくとも、草花の息吹を感じられます。
お守りや絵馬はどれも愛らしく、「かわいい〜」と声が漏れてしまいます。
──縁結びのご利益を求めて訪れる方が多いということで、今回は「ご縁」についてたっぷりお話いただきたいと思います!その前に、どうしてこんなかわいさあふれるお寺になったのか、お聞かせいただけますでしょうか。
私が副住職を務めていた当初、今のように明るい境内ではなかったんです。木が鬱蒼としていて、夏でも薄暗い感じだったんですね。なおかつ誰もが知っている怖いお岩さんのイメージもありました。ある日境内にいたときに、近所のお子さんがお寺の門を横を通り過ぎるとき、嫌だ嫌だと泣いている声を聞いたんですね。お母さんがなんとか手を引いて通っていかれたのですが、お寺はみなさんがよりどころとする場所だから、みんなが怖がるようなところではいけないなとその時に思いました。その後調べてみると、お岩様は物語に出て来るような怖い人ではなくて、人々の崇敬を集めていた方だということも知りました。それ以来、少しずつ明るい雰囲気を作って、境内に足を運んでもらえるよう努めたというところです。
──私も、今回お伺いするまではお化けになって出てくるお岩さんのイメージしかなかったのですが、こちらでは神様として祀られているんですよね。お寺の中に小さな神社を作って祀られている、ということなのでしょうか?
稲荷イコール神社だと思われる方はよくいらっしゃるんですけど、お稲荷さんというのは稲荷神(いなりじん)という神様で、神社だけがお祀りするものではないんです。お祀りの仕方は神社と異なりますが、日本三大稲荷と言われる豊川稲荷(愛知県)さんのように、お寺でも祀られる神様なんですよ。
お岩様は人間だったんですけど、稲荷神とお岩様がくっつくいて、於岩稲荷大善神(おいわいなりだいぜんじん)という神様としてお祀りされています。夫に裏切られてお化けになって出てくるというのはあくまでも四谷怪談の中の物語で、実際のお岩様は夫婦仲がよかったという伝承があるんです。怪談で知られる負のイメージではなく、夫婦円満や縁結びという明るいイメージを知っていただけたほうが、お岩様も喜ばれるのではないかと考えています。
──お岩さんも、こんなふうに明るい空間でお祀りしていただけたらきっと嬉しいですよね。境内を歩いているだけで、おもてなしを受けているような気分になりました。
温泉旅館のようなお寺が作れたらと思っているんです。疲れた時に温泉に行くと、ちょっと楽になって、帰ってまた仕事や家庭を頑張ろうと思えますよね。お寺もそういうところだと思うんです。完璧に充電されなかったとしても、お参りすれば必ず最後には神仏が背中を押してくれる。公園のような気持ちで気軽に来て、温泉旅館に行ったときのように少し元気になって帰れる場所だというメッセージを込めています。
簡単には切り離せない「ご縁」
──縁結びのご利益を求めてお参りされる方が多いそうですが、どんなお願いをされる方が多いのでしょうか?
ご相談いただくことの8割以上はご縁にまつわることなのですが、やはり結婚や恋愛関係の新たなご縁を求めていらっしゃる方が多いですね。他にも夫婦仲がよくなるようにとか、会社など仕事上のご縁や、男女を問わず人間関係の良縁を求める方が多いと感じています。
それに加えて、縁切りを求めていらっしゃる方も多いんです。実際のお岩様は夫婦円満だったと言われているんですが、やっぱりどうしてもお岩様の四谷怪談の強烈な印象も根強いようです。お岩様の力強さや、女性の味方というイメージがあるんですね。別れたくても別れられない相手との縁切りのほかにも、誹謗中傷してくる相手など、SNS上の関係の縁切りを求める方もものすごく増えています。
──縁の及ぶ範囲も、時代とともに広がっているのですね!「ご縁」って日常的に使う言葉ですけれど、仏教においてとても大事な要素の一つだそうですね。ご相談にいらっしゃるみなさんに、普段どんなことをお話しされているのでしょうか。
仏教では、縁があるっていうことは、それだけで素晴らしいことなんだと考えます。前世からご縁があって、今また再会していると考えるんです。みなさんには、自分は大きな歯車の中にいるんだと考えてみてください、といつもお伝えしています。自分の歯車に、家族や友人など色々な歯車が噛み合って回っているんですよね。そういった中の一つの縁ですから、自分にとって必要ではないと思っている縁だけを腫瘍のように取り除くということはできないんです。
──無理やり取ろうとすると、ガタガタになってしまうのでしょうか?
そうなんです。動かなくなったり、自分と一緒に回っているもの全てが変わってくるんですよね。良縁や悪縁というのは、自分の心が決めているものです。例えば仲が悪くなって離婚してしまう夫婦にも、かつて良縁だったときがあるわけですよね。好意がなくなったり、逆にどちらかの好意が強すぎたりするとバランスが崩れてしまって、良縁だったものが悪縁に見えてしまうことがあります。それに、自分にとっては悪縁と感じられていても、相手にとっては必要な縁かもしれません。仮に縁を切ったとしても、自分にしっかり向き合わないと、また同じようなことで苦しむかもしれません。悪縁をただ単に切るというのではなく、まず一回自分を見つめ直していただくことをお勧めしています。
──結婚相手を探している方など、良縁を一から求める方にはどういうことをお話しされるのでしょうか。
今はいい縁に出会うための修行の段階で、まだ支度が整っていないのかもしれませんね、とお話しすることが多いです。これからいろんなことを勉強したり、自分磨きの時間に使ってはどうですか、ということですね。自分が思い描く理想の相手に見合った自分になれるように、まず磨きをかけて準備をするということが必要だと思うんです。
──きっとそのお言葉ひとつで、それぞれの方の胸になにかが浮かびますよね。自分を磨けば、すぐには良縁に結び付かなかったとしても、自分一人でも良い人生を送っていく力になりますもんね。
そうですそうです。その支度の時期って、私は良いものだと思います。磨けば、自分が光るわけですから。やっぱり、幸せを感じて生きている人に、人は惹かれると思いますからね。
「自分磨き」という名の修行
──僧侶の方にとっての修行と、一般の人が自分磨きをすることって、重なるところもあるのでしょうか?
同じですよ。日蓮宗で行う荒行のような修行は特殊ですけども、日常生活では一緒なんです。仏教には、貪・瞋・痴(とん・じん・ち)という基本的な煩悩があると言われています。この貪り、怒り、愚かさの3つを三毒(さんどく)というんですね。仏教の修行では、これを少しでも小さくしていくことが大切だとされています。忙しない現代に生きていると、例えばレジの行列に並んでいる時に「あっちの列の方が早かった」ってイライラしたり、あれも食べたいな、これも食べたいな、と思ったり、そういう場面が日常生活にたくさんありますよね。そういう煩悩を少しずつ抑えていくのが修行です。
植松さん:日蓮宗の宗祖である日蓮聖人(にちれんしょうにん)は、自分の中に鏡があって、その鏡が曇ってしまうと自分自身が見えなくなってしまうから、常に自分の鏡を磨き続けなさいと言うんですね。自分の体が見えないと、甘んじた自分になっていく。汚れがついていたり、疲れた表情をしたりしていても気づきません。心は特にそうで、他人は見えても、自分自身は見えづらいんですよ。その鏡を常に磨き続けて自分に向き合う時間が、みなさんの日常にも必要だと思います。今日はなんかイラッとしたなとか、最近貪る心がなかったかな、と確かめることが大事だと思うんですよね。ああ、やっぱりできないんだ、と思っても、それでいいんですよ。自分自身で気づいて、感じることが大事なんです。それを繰り返していかないといつの間にか鏡が曇ってきて、自分のことすら全く見えなくなり、怒って貪っている自分にも気づかなくなってしまうんですね。
──僧侶の方も、日々気づいては改めることを繰り返していらっしゃるものなんですね。自分磨きの助けになるようなお守りがありましたら、教えていただけますでしょうか?
こちらの『美守』をおすすめします。もともと美人だったといわれるお岩様のご利益に加えて、さきほどお話した貪瞋痴の三毒を減らしていくことが、美しくあるために必要だと思っています。
―修行を続けていけば、見た目だけでなく心の中からきれいになることにもつながるんですね。お坊さんってお一人お一人がそれぞれの美しさをお持ちですし、しかも実際にお肌がきれいな方が多いと感じているのですが、それは日々の修行で貪瞋痴を減らしてらっしゃるからなのかもしれませんね!
極限状態で剥き出しになる人間の弱さ
──日蓮宗の修行というと、「日蓮宗大荒行」がよく知られていますが、植松さんをご紹介くださった名瀬・妙法寺ご住職の久住さんとご一緒に参加されたと伺いました。修行中は、どういう日々を送られるのでしょうか?
11月から2月にかけての寒い時期に行われる修行で、1日7回裸になって外で水を被る水行(すいぎょう)を行います。それ以外の時間は読経です。まず夜中の2時半に起きて、3時に水を被ります。そこから夜の11時まで、3時間おきにずっと被っていきます。暗い時から被って暗い時に終わるので、昼も夜もわからなくなるんです。僧侶が100人以上いて順番に水を被っていくので、夜11時に始まっても、最後のほうの僧侶が被り終わる頃には12時になります。初めて行に参加する僧侶の場合は先輩の支度や後片付けも行うので、夜の睡眠時間は1時間半くらいでしょうか。薄いせんべい布団に冷え切った体で入ると、家族を思い出したりして啜り泣く声が、夜な夜な聞こえてくるんですよ。布団にくるまって、そこでようやく一人になっても、お腹が空いたり寒かったり、足が痛かったり。ようやく体が温まってうとうとしたときに起こされる……。それを休みなく100日間やるんです。
植松さん:100日間、毎日せいぜい2時間くらいの睡眠で、食べ物もほとんどなく、おかゆだけで過ごすんですね。そうすると当然、人間はもう爆発しそうになるんですよ。男性しかいない狭い空間で暮らしていくのでやっぱりぶつかるし、お腹が空きすぎて、仲間の分まで食べたくなることもあります。たまに日中にほんの一筋の日の光が水行場(すいぎょうば)を照らすときがあるんですが、暖を取るためにその場所を奪い合って、大人同士が本当の喧嘩をする時もありました。今思うと、あれは餓鬼道の姿ですよね。まさに貪り、怒り、愚かな愚痴の心。荒行の目的は、さきほどお話したような怒りや貪りをなくすことではなくて、自分の中にある煩悩に気づいて、そこにどっぷり浸かるということだと思っています。
──日々それなりに平和に暮らしていると「みんな争うのをやめて仲良くすればいいのに」なんて軽く思ってしまいますけど、自分がいざそういう状態になったときにも同じように思えるのかというと、まったく自信がないです……。
そう、生きるか死ぬかというような余裕がない心になると、もうそれどころではなくなるんですよね。大荒行というのは、人間のどん底というものを実体験して、貪瞋痴は本当に愚かできついものなんだということを体験させる場なのだと思います。行を終えた後は、もう全てがありがたいと思いましたね。
人のために祈る力の強さ
──今お聞きしながら、修行の間お帰りを待っていらしたご家族の気持ちを思いました。自分のことはどうにかできても、大切な人になにもしてあげられない歯痒さを感じることってありますよね。自分の幸せを願うことと、人のために祈ることって、どんな違いがあるのでしょうか。
人を思うときには、より純粋で強い願いが込められているのではないかと思っています。昔、ある有名なスケート選手のために祈祷をしてほしいという方がいらしたことがあるんです。お知り合いですかってお聞きしたら、テレビを見て応援してるだけです、とおっしゃっていました。ご本人と全く会ったことのないファンの方が、『あの人がうまく滑れるように』とお金と時間をかけて祈っていかれたんですよね。そのときに、きっとそのスケート選手のような方はいろんなところからそういう祈りが寄せられて、自分が祈る必要がないのかもしれない、と思ったんですよね。周りが祈ることで、その人が自分のために祈る以上のものすごい力になって、それが伝わって力になっていくんじゃないかと。自分もそういうふうに生きなければいけないな、と思う出来事でした。人のために祈れば、きっと自分も誰かに祈ってもらえるような人になると思うんです。
──確かに、何もかもうまくいかないと感じている時って、例外なく自分の願いばかり考えている時だと感じます……。
悪いことが起こると人のせいにして、いいことがあると自分の手柄だと思ってしまいがちですよね。私は、それを反対にしていくことが大事だと思うんですよ。いいことがあったときには、他の人たちや神仏とか御先祖とか目に見えない力のおかげで成功できたんだと感謝する。悪いことがあったときには、人や悪い霊のせいにしたり、神様が怒ってるんじゃないかと考えたくなるかもしれません。でもそこで、自分に何か原因があるんじゃないかな、なにか足りないことがなかったかな、と考えてみる。そうすると、きっと物事がうまく回っていくと思うんです。
──こうやって大きな視点でご縁をとらえることができたら、恋愛に限らず人生全体に幸せを感じられるようになるのだろうなあと思いました。
日蓮聖人も、すべてはこの世の中にあって、世の中そのものが修行なんだとおっしゃっていますから。すべてが学びなんです。悪縁だと思う人との関係も、そこから何かを学ぶという縁を与えてくれているんですよ。そういう意味で、本当は自分にとって必要な縁だと考えることができるんですよね。
──その縁を単に取り去ってしまうと、絵で言うと黒を使わずに描いた絵みたいなことになってくるんでしょうかね。
そうかもしれません。そのときはなかなか思えなくても、いつかいい縁だと思えるように、日頃からそういう心を作っておくということですよね。お寺って、何もないときにこそ来るところだと思うんです。悪くなってから病院に来るのではなくて、日頃から体調管理や検査をするのと同じように、お寺に来て神仏とのご縁をしっかり結んでいただければと思っています。
──嫌なことは単に取り去ればいいというわけではない、というお話が今日はとても心に響きました。植松さんとご縁のある僧侶の方にも、ぜひお話をお聞きしたく思います。
私がまず一番にお勧めしたいのは、三郷市・高応寺の酒井菜法さん。3人のお子さんの母親で、お互いお寺を行き来しています。大学時代の後輩なのですが、とても柔らかく優しい方で、境内でのマルシェなどいろいろな取り組みをされている方です。
―尼僧さんにお話をお聞きするのが初めてなのですが、どんなご縁をいただけるのかとても楽しみです!
長照山 陽運寺(ちょうしょうざん よううんじ)
住所:東京都新宿区左門町18番地/営業時間:開門 8:00〜17:00、受付(お守り・御朱印授与等)9:00〜16:30/定休日:無/アクセス:地下鉄丸ノ内線四谷三丁目駅から徒歩5分
植松健郎さんプロフィール
2003年2月日蓮宗大荒行堂初行成満。副住職を経て、2017年10月に陽運寺の第五世住職となる。2022年4月8日には練馬別院を開堂。
取材・文・イラスト=増山かおり 撮影=陽運寺、星野洋一郎(さんたつ編集部)、増山かおり
増山かおり
ライター
1984年青森県生まれ。かわいい・レトロ・人間の生きざまが守備範囲。道を極めている人を書くことで応援するのがモットー。著書『東京のちいさなアンティークさんぽレトロ雑貨と喫茶店』(エクスナレッジ)等。