「早すぎたブラボー」が残した余韻
今月、クラシック界でちょっとした波紋を呼んでいます。きっかけはあるオーケストラのSNS投稿。「ある一言」が、音楽ファンの間で大きな話題になっているんです。
名フィル、余韻ぶち壊しの「フライングブラボー」にSNSで苦言
何があったのか。音楽ジャーナリストの林田 直樹さんに聞きました。
音楽ジャーナリスト・林田 直樹さん
「フライングブラボー問題」っていうことなんですけど。要するにコンサートホールで、オーケストラが、壮大な曲を美しく演奏するじゃないですけ。余韻を持って豊かに終わりますよね。そうすると当然残響もありますし、静寂に染み入るような音をみんなで味わいたいわけなんですけれども。
でも、その終わったか終わらないかぐらいのところで、おじさんがですね「ブラボー!」って言っちゃうと、余韻がぶち壊されちゃうわけですよね。そのことに対する、やっぱり演奏家の方も、他の大勢のお客さんも、「せっかく音楽に浸っていたのに音楽がぶち壊された」と。それを正直にオーケストラ側が、公式X(旧ツイッター)で発信しちゃったわけですよね。「早すぎるブラボーは嬉しいものではございません」。よほど腹に据えかねたんだと思いますよ。
<イメージ(ベルリン・フィルハーモニーのホール)>
問題が起きたのは、今月11日、愛知県芸術劇場での「名古屋フィルハーモニー交響楽団」、通称「名(めい)フィル」の定期演奏会。演奏されたのは「ブルックナーの交響曲・第8番ハ短調」。荘厳でスケールの大きい曲として知られています。
ラストは3つの音「ミ・レ・ド」で終わり、そのあとに3拍の休符がある。つまり音が止まってからの静寂までが「作品の一部」なんです。ところがその間を待たずに客席の男性が「ブラボー」。まだ指揮者のタクトが下りていないタイミングだったようです。
そして名フィルはその夜、公式Xで「早すぎる『ブラヴォー』はうれしいものではございません。失望を感じておりますので、あえて投稿いたします」と投稿。閲覧数はすでに4700万回を超えていて、クラシックファンの間で、「フライングブラボー問題」として議論を呼んでいます。
ちなみに、名フィルにも取材を申し込みましたが「個別の対応は控えたい」とのことでした。ただ、担当者に確認したところ「最後の3音のあとすぐさま『ブラボー』と叫んだ人がいたのは事実です」と確認が取れました。
作曲家が意図した「静寂」は再現されるべき
では、実際に演奏している側はどう感じているのか?ご自身もバイオリニストで、自由なクラシックコンサートを全国で開催している、ビルマン 聡平さんに伺いました。
ビルマン 聡平さん
厳しめなのかなっていうような気もすると同時に、やっぱりクラシック音楽っていうのは、例えばサントリーホールのような空間での「残響」を楽しんだりとかする、それがレコードと違う場所でありますので、自然と作曲家が意図した「静寂」みたいなものっていうのはやっぱり再現されるべきなので…。
例えば、作曲家が最後の音の後に休符を書いてたりする楽曲もあるんですよね。なので作曲家が意図した空間っていうものを作るご協力はお客様もしてくださると嬉しいなと思うんですけれども。わざと例えば自分の「ブラボー」をCDに入れたいみたいな、そういう感覚さえなければ、自由に楽しんでいただいていいんじゃないかなと思ってます。
<寝てもOK・飲食OK・おしゃべりOKなオーケストラ「CHILL CLASSIC CONCERT」。リクライニングチェアやハンモックに寝そべりながら鑑賞する自由なコンサートが若い世代に人気>
海外での活動経験もあるビルマンさん、「日本は少し厳しめかな」とも話していて、海外ではもう少し自由に拍手やブラボーが飛び交うそうです。
一方で、ビルマンさんが開催しているのは「チルクラシックコンサート」という名前の演奏会。大きなアリーナでリクライニングチェアやハンモックに寝ころびながら自由に楽しもうというコンセプトで、どんなタイミングでどんなリアクションをしてもOK。スマホもOK。コロナ禍の3蜜対策として考案さたそうですが、クラシックコンサートの敷居を下げたことで、なんと観客の8割が20~30代。若い世代に人気だそうです。
時代で変わる「ブラボー」
とはいえ、従来のクラシックコンサートでは、どこまでが「感動」で、どこからが「早すぎる」のか。その線引きはなかなか難しいところ。さらにその線引きも、時代によって変わってきたそうです。
音楽ジャーナリスト・林田 直樹さん
例えば、それこそモーツァルトが生きていた時代なんかはですね、シンフォニーの途中でも拍手する人がいたらしいんですよ。モーツァルト自身が手紙に書いてるんですけど、「お、このメロディいいぞ、このピアノソロいいぞ」ってなったら、演奏中でも結構お客さんは騒いだらしいんですよ。
それが、どんどんどんどんクラシックっていうのは、「お客さんは神聖なる作品の前では静粛にしてろ」ってなっていった、じつは歴史的には。いや、もちろん我慢する必要はないですけども、演奏者もお客さんも一緒になって音楽を作るんですよ、クラシックって。それも含めて音楽ですからね。
昔は拍手も声援も、もっと自由だったそうですが、今は「静けさも音楽の一部」という風潮が広がっています。
「フライングブラボー」については、最近では開演前のアナウンスで「余韻もお楽しみください」と呼びかける会場も増えているそうです。それだけに、演奏側も観客もやきもきしているのが現状。静けさも拍手もどちらも音楽の一部。この議論はもうしばらく続きそうです。
<若い世代の“演奏者の視点”>
九州大学などの学生およそ100人が所属する「九大フィルハーモニー・オーケストラ」の幹事長 内門和香さんにも、お話を聞きました。やはり内門さんによると、演奏者にとって「静寂」も音楽の一部であり、特に静かに終わる曲では、ホールに残る残響までが作品の表現。そのため「フライングブラボー」が入ると、意図した世界が途切れてしまうことがあるといいます。
一方で、「ブラボー」自体は演奏者にとって嬉しいものでもあり、観客の熱意を感じられる大切な瞬間でもあるそうです。
九大フィルでは、公式サイトで「指揮者が手を下ろすまで拍手を控えるように」と案内し、観客にも「余韻を味わう時間」を共有してもらう工夫をしているとのことでした。
(TBSラジオ森本毅郎・スタンバイ!』より抜粋)