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宇多丸『哀れなるものたち』を語る!(前編)

TBSラジオ

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』のコーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞して生放送で評論します。

今週評論した映画は、『哀れなるものたち』(2024年1月26日公開)です。

ここからはその書き起こし【前編】をお送りします。

宇多丸:さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、日本では1月26日から劇場公開されているこの作品、『哀れなるものたち』

(曲が流れる)

これ、最後のエンドロールの音楽ですね。『女王陛下のお気に入り』『ロブスター』のヨルゴス・ランティモス監督が、スコットランドの作家アラスター・グレイの同名小説を映画化。自ら命を絶った女性ベラは、天才外科医ゴッドウィン・バクスターの手により胎児の脳を移植され、奇跡的に蘇生。放蕩者の弁護士ダンカンとともに大陸横断の旅に出る……って、だいぶ(全体像からすると)端折ってますけどね(笑)。だから、なんていうのかな、『フランケンシュタインの怪物』的な話の、さらにちょっとその展開版、というような感じじゃないですかね。女性版、というかね。プロデューサーを務めるエマ・ストーンが、主人公ベラを演じる。共演は、ウィレム・デフォー、マーク・ラファロなど。第80回ベネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を受賞。第96回アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演女優賞など計11部門にノミネートされている、という作品でございます。非常に注目度が高い。

ということで、この映画『哀れなるものたち』をもう観たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールでいただいております。メールの量は「多い」。劇場を見るかぎり、お客もすごい入ってるし、評判が広がってる雰囲気みたいなのも感じますしね。

賛否の比率は、褒める意見がおよそ8割。主な褒める意見は、「心強さ、勇気、開放感、学び成長を続けることの大事さなど、様々なメッセージを受け取った」「衣装やセット、撮影などに目を奪われた」「エマ・ストーンの演技が素晴らしい」「マーク・ラファロやウィレム・デフォーもよかった」などがございました。一方、否定的な意見もございました、2割はね。「映画としては楽しいが、フェミニズムを描いた物語としては疑問が残る」とか「ラストはあれでいいのか?」など、いろいろ疑問があったあたりでございます。

観客間で解釈がわかれる部分も……(宇多丸自身の見方も補足的に足しました)

ということで、代表的なところをご紹介しましょう。ちょっとね、結構省略しづらいメールが多くて。ラジオネーム「まだむくまこ」さんです。

「賛否で言えば圧倒的に『賛』。この監督(ヨルゴス・ランティモス)が描く奇妙な世界がとても好きです。見た目はおとな、中身は幼児の状態から自立した知的な女性へと成長して行くベラを演じたエマ・ストーンの演技が本当に素晴らしかったです。脇を固める俳優陣の中では、マーク・ラファロとウィレム・デフォーが最高でした。原作小説では特定の年代を舞台にしているそうですが……」。ヴィクトリア朝時代っていう設定で。その雰囲気は一応、残してはいますけどね。

「映画ではそれをそのままなぞらないことで画面に面白みを出し、更に、古い社会の枠組みに囚われない、『これからの』世界のイメージを見せてくれたように思います。ベラ、もしくは劇中の世界そのもののような奇妙でどこかとぼけた劇伴も素敵で、鑑賞後の車内で聞き直しました。内面とともに変化していくベラの衣装や、他の登場人物たちの彼女ほどカラフルじゃないものの凝った衣装の数々は……」。マーク・ラファロのベストとか、すげえ凝っていましたけどね。「衣装の数々は、ハイブランドのコレクションを見てるようで、終始目を楽しませてくれました。かわいらしいイメージのあるパフスリーブ(ふわっと肩が広がった袖)は、形と素材で肩パッドのような『強さ』を感じるデザインにも見えました」。これ、両面的な感じってことですよね。後ほど、ちょっと衣装の話の時に触れられたら触れます。

「R18+指定作品ということでセクシャルな描写も多くありましたが……」。18歳以上が観れますよっていうことで。「ベラの好奇心の矛先や経験として描かれているため、粘度のあるいやらしさを感じず好感を持ちました」。もしくは、ちょっと笑っちゃう感じ、っていうかね。「その分、ウィレム・デフォー演じるゴッドによる手術シーンはなかなかの生々しさ、私はああいった描写を興味深く感じるのですが、苦手な方は少し注意が必要かもしれません。ラストシーンは、『彼女もまた哀れなるものである。人は誰しもそこから逃れない』という意味だと受け取りました」。ラストはだから、完全なハッピーエンドだとは受け取ってない、ということなのかな。「それを自覚した上で、ベラのような柔軟さと吸収力を持っていたい。そして、知的で想像力を持ったひとでありたいと思い、『もっと自由に、興味がある物事に飛び込んでいい』と肯定されたような、背中を押されたような、心強さと勇気をもらえる作品でした。

近年、フェミニズムを描いた作品に触れる機会が多くなり、その経験を重ねたことで男性の生きづらさについてきちんと知りたくなっています」というようなことです。むしろね、これはその、男性側の反応によってそういう話っていうか、そういうテーマ性が浮かび上がる、っていう部分がありますよね。どっちかっていうと男たちのベラの行動についていけなさ加減(笑)で、「それはお前らの勝手だろうが」とか「それはお前のエゴだろうが、イメージだろうが」とか、そういうのが浮かび上がる、みたいな作りかもしれませんね。だから男性側の話でもあるっていうか、そういうことかもしれません。

あと「アキラ30%」さん。ちょっとこれ、ごめんなさい。省略しながら行けるのかな? できる限り読みたい。「『哀れなるものたち』、賛否で言えば賛です。美しい美術で現実世界とは少し違う幻想的な世界を表現し、主人公ベラの成長に伴って変わっていく画面や衣装に目を奪われました。映画館の大きなスクリーンでじっくり見られてよかったです」。これは本当にそうですね。「未熟な女性が人々、本、世界に触れて自立した女性に成長するだけならよくある話ですが、この映画はそこに、女性の性欲・主体的な性のあり方が重要な要素として描かれていることに、開放感や救われた感じがありました。私には忘れられない映画になるはずです」と。

で、個人的に自分の、要するに女性にも性欲というものがあるのに、社会の中でそれがあんまり公のものとして扱われていない、認められていない、おおっぴらに言うものじゃない、みたいなものになってしまっているみたいなことを含めて書いていただいて。「……ベラに同行するダンカンが、SHIP内で老婦人と黒人男性に出会い、本を読んで考えることを覚えたベラから本を取り上げて海に投げ捨てるシーンは、現実にもよくあること(女性が学ぶこと、自分より賢くなることを嫌がる)だと思いました」。これね、しかも(現実には)女性が学ぶことをもう、犯罪呼ばわりとか、暴力で抑圧してるところだって全然、国によってはあるわけですからね。「ただ、読書好きとしては、お前を海に投げ捨てたろかと思うほど不快で嫌な描写で鮮やかに記憶に残っています。現実にもよくいる、器の小さい女性蔑視的な嫌な男役を引き受けてユーモラスに演じたマーク・ラファロに助演男優賞をあげたいです。ベラの父代わりであるゴッドウィンは、実の父親が研究のために息子を実験動物扱いして虐待をしていた毒親で……」。だからそれをある意味、受け継いじゃっているわけですけど。「ゴッドウィン自身もはじめはベラを束縛して思い通りにしようとしたものの、ベラ自身の考えを聞き旅に出発させたり……」。あれはまさに「かわいい子には旅をさせろ」っていう言葉が浮かぶくだりでしたよね(笑)。「終盤は穏やかな顔で父の言葉を引用したりと行動が変わっています」。でも、途中でそのベラの代わりをまた作ってみて、それが思い通りにならないからっつって……とかね。あれもいろんなメタファーにとれますけどね。いろんな解釈がちょっとできるんですけどね。「成人女性に胎児の脳を移植して成長し直したベラ、ベラに対して実験動物的な扱いや束縛をやめて変わっていったゴッドウィンなど、『人は何歳からでもよりよく変わる』というテーマもあるように感じました」。こういう読み解きもできる、ということですね。

とかね、ちょっとこれも省略しながら行きますけど。「否出来」さんはですね、そのフェミニズム的な読み込みの中で、途中ベラがパリでセックスワーカーになるくだりがあるんですけども。そこの解釈は、フェミニズムの中における「自由」っていうのがどういう位置づけか、みたいなことを理解してないと……あれはだから、すごく「ベラ自身が自由意思によって選択してやってることじゃないんだ」ってことを踏まえないと、ちょっと意味を読み違えてしまうんじゃないか、みたいなことを書いていただいております。ありがとうございます。

一方、ダメだったという方もご紹介しましょう。ラジオネーム「タレ」さん。

「本っっっ当に楽しみにしてたんですが、全っっっ然乗れなくて泣きそうになりました。事前に『Barbie』やフェミニズムを掲げた感想を多く目にしてしまっていて、映画への入りに失敗してしまいました」。まあね。実はこの映画そのものがフェミニズムの映画ですよって自分で言ってるわけではないので、なんか過度にそこのところに期待を高めて(観ると)、ちょっとこうじゃないんじゃないか?って感じる、という感想は他にもありましたね。

「正直、ベラ像も、ベラの自立や解放のあり方も、スノッブな文化人男性が描いた夢としか思えなかった。おれたちがギリエレクトできるフェミニズム(?)って感じ。というかむしろ『解放』とは真逆の、いつものヨルゴス・ランティモス印の『檻』と『人間のさが』からの逃れられなさをより残酷に描いていると思いました」。これはだから、さっきの肯定的なメールのラストの解釈とも通じてるのかもしれないですけどね。つまり、『Poor Things(哀れなるものたち)』っていうのは誰を、どれを指してるのか?っていうことを考えていくと……っていうことかもしれないですね。

「まず、完全に美しく無垢なファム・ファタル(!)が性に、食に、知に、目覚めていく過程。百人斬り男によるグルーミングな処女喪失(概念)や娼館における経験人数や様々なプレイ、男から差し出される牡蠣とシャンペンは、本当に彼女が選択し悦びを感じたことで、本当に彼女の地平を切り拓いたのだろうか? ベラはAロマンティックでパンセクシャルであるように見えるが、全然自ら冒険しないし、奇想天外なこともたいして起こらない(ダンスは超良かった!)。外の世界に出てからもベラはずっと『檻』の中にいるように見えたし、結局すべてがゴッドの掌の上からは逸脱しなかったと感じた。

ハンナ・シグラ(※宇多丸補足:船上で出会う知的な老婦人を演じた、特にファスビンダー作品に数多く出演されたベテラン俳優です!)から本を授かるエピソードは白眉だった。けれど、わたしがベラだったら絶対にハンナ・シグラはじめ老若男女とセックスしてみたいって思うけどな……(外科医的見地からも)。そもそもエログロ・嘔吐・胃液・泡は描かれるのに、子宮も生理も性病も避妊も堕胎も性交痛も描かれなくて、娼館で『稼いでる』と高らかに宣言されても、押忍、、、という感じでした…。(前戯なしのセックスから「学び」とかもう地獄でしかない)(女ばっかり賢くて学ばせるのうんざりだし、マーク・ラファロや将軍みたいな女を魅力的に描いてみてほしいです…。)」。ちょっとその、図式的でありますよね。そのね、「女性は賢くて男はバカ」っていう描き方には、たしかになっている。「創造主を継承し、医者を志すという展開は肝のはずなのに、なんだか薄ぼんやりしていて致命的だと思った(結婚という選択や伴侶選びも)。もちろん、エマ・ストーンはすばらしかったし、ヴィクトリア朝な衣装×スチームパンクな美術も絵画のようできらびやかだったのですが……」ということですけどね。

まあまあ……そうね。こういう風に読めてもしまうところが、あるやもしれないですね。これ、エマ・ストーンのベラが最後、医者になる勉強をしていて……もっと言えば、ちょっとパートナー的になる娼館で知り合った黒人の女性の影響を受けて、要するに社会主義者になってるんですね。で、社会運動的な……だからより、もっと言えばフェミニズム的な運動みたいなものもしていく、っていうのは、これ、原作のその後だと描かれているし。それは示唆もされてる気も……途中のハリーとの議論の中で「私は社会にコミットする」っていうことは彼女の選択として、僕は示唆はされていると思うけど。なんか「家庭に入った」みたいに解釈してるメールもあって、それは違うとは思うけど、そう見えてしまう部分もあるのかなという気もしました、ということですね。

(※宇多丸補足:この場を借りて、一応もう少しちゃんと僕なりの物語解釈を整理しておくと……僕の見方では、この話全体が、「成長し続ける女性」が既存の男性中心的な社会/世界を突き破ってゆく、その「諸段階」のメタファーとして受け取れるようになっているのではないか、と。たとえばベラがセックスワークに就くくだりは、「今のところはやはりまだ男性中心的な経済構造の中でなんとか生きてゆくしかないがゆえの、とりあえずの消極的な選択ではたしかにあるんだけど、それでも、ダンカン的な男の固定的庇護=支配の下で生きてゆくのはまっぴらごめんだから……」という、あくまで過渡期的なプロセスのひとつとして描かれているように、僕は思いました。ベラたちが現行の社会に対して完全に自立した存在となってゆくのは、むしろこの物語のさらにその先の話、という着地であるようにも感じます)

ということで、でもこんな感じでですね、基本的にはコメディタッチでね、なんていうか、誇張されたいろんな世界観なんだけど、こういう感じでいろんな議論を喚起するタイプの……寓話なんでね、解釈が開かれてるという部分も、この作品のひとつの魅力の部分ではあろうかと思います。ということで、皆さん、メールをたくさんいただき、ありがとうございます。

ヨルゴス・ランティモスらしい、毒っ気たっぷりの「大人の絵本」!

『哀れなるものたち』、私もTOHOシネマズ六本木のプレミアシートを押さえて、3回観てまいりました。公開初日に行ったんですね、実はね。あと、翌週の週末。これ、両方ともマジで満席でした。平日昼でも、結構埋まっておりました。先ほども言いましたが、アメリカでアカデミー賞が近づいていて、その中で今年最大の有力候補のひとつ、というのももちろんあるだろうけども……そもそも作品自体の力で、面白そうだねっていうことで評判になっている感じを、すごく感じましたね。

で、実際に僕の奥さんが、ちょっとね、十年に一度級の勢いでめちゃくちゃハマっていて。もう、映画館でかかってる限りは行きたい!っていうぐらいにはまってますね。ちなみに彼女、「前にそんだけハマったのって何?」って聞いたら、「ジョニー・トーの『エグザイル/絆』」っていう(笑)。「どういうこったい?」っていうことなんですけどね。面白いですよね。でも、それだけハマる人がいたりとかね、人気があるのも納得、というか。

先に言っちゃいますけど、その、いろんなストーリー上のご意見とかがあるのはもちろん存じた上で言いますが……映画として、むちゃくちゃ面白いです! ぶっちゃけ今、大手の映画館でかかってる新作の中でどれか一本、と言われたら、レーティングに合致する範囲、つまり18歳以上の方にそれを聞かれたら、迷わずに「まあ、『哀れなるものたち』を観とけば?」っていう風に思いますね。もちろん、ある種のファンタジーなんで、言っちゃえば女性(観客)は、ファンタジー的な意味も込みで──現実を見すえたファンタジーという意味で──スカッとして。男性(観客)はより現実的な意味で身につまされると思いますが、大人の寓話、絵本的な……毒っ気たっぷりな大人の寓話、絵本的な(作品)。

そもそも監督のヨルゴス・ランティモスさんはこれまでもずっと、「毒っ気たっぷりの大人の寓話」的な作品を撮り続けてきた人ではある、ということですね。その中でも、今回は一際、とにかくキャッチーでポップ!っていうことは間違いないと思います。

「ギリシャの奇妙な波」として登場

改めてヨルゴス・ランティモスさん、もう世界的巨匠になりつつありますんで、どんな監督かをちょっとざっくり振り返っておくならば……ギリシャの方で、「ギリシャの奇妙な波」っていうムーブメントを牽引した、という方ですね。これは今、JAIHOという配信サービスで、ヨルゴス・ランティモスのちょっと日本ではソフト化されてなかった『アルプス』という2011年の作品を含む3作品を……「ギリシャの奇妙な波」ムーブメント関連の小特集、っていう感じで3作品、観れるようになってるんで。ちょっと興味ある方はぜひ観ていただきたいんですけど。

ヨルゴス・ランティモス、このコーナーだと2019年3月8日、『女王陛下のお気に入り(The Favourite)』評の中で、こういう作風ですよ、っていうのは説明したんですけど。まず、「すごく寓話性が高い」「一見、現実を元にしているようで、実はとんでもなく変な、歪んだ設定、法則性に全体が支配された世界を描く」。で、「それを映画的に表すかのような、異様な印象を残す、たとえば魚眼レンズとか広角レンズ使いとか、変わったカメラワーク」に、プラス「ダークな笑いのセンス」みたいなのがあって……「それを通じて、社会の中の、特に「人間の支配・権力関係」、あるいは「人間というものの理性と動物性の軋轢」みたいな、そういったものを浮かび上がらせていく。そんな風な説明をしました。

サーチライトピクチャーズと組んでからは若干シフトチェンジ、グッと飲み込みやすく

で、2015年に『ロブスター』という作品で英語作品に進出、つまりさらに世界的な存在となって以降、特に今回の『Poor Things(哀れなるものたち)』の前作に当たる『女王陛下のお気に入り(The Favourite)』は、大きなターニングポイントになったと言えまして。

編集のヨルゴス・モヴロプサリディスさんという方以外は、それまでチーム的にやってきたスタッフから結構変えて……たとえば、撮影監督はティミオス・バカタキスさんという方とずっと一緒にやってきたんだけど、ロビー・ライアンさんというケン・ローチ作品を多く手がけてきた方に交代して。このロビー・ライアンさん自身は、さっき言ったようなヨルゴス・ランティモスタッチとでもいうべきスタイルは引き継いでいるんだけども、人は交代してますよ、とか。

あとは脚本も、さっき言ったようなヨルゴス・ランティモス的世界観というのをともに作り上げてきたと言っていい、エフティミス・フィリップさんという方から、今回の『哀れなるものたち』、あと同じくエマ・ストーン主演で、やはりこれ、話をちょっと要約すると「既存の社会構造の中で抑圧される存在だった女性が、本領を発揮して力関係をひっくり返していく話」という意味では、『女王陛下のお気に入り』、そして今回の『哀れなるものたち』ともはっきり通じるものがある、2021年ディズニーの『クルエラ』の脚本も手がけている、トニー・マクナマラさんというね、オーストラリアの方。これも前作『女王陛下』からトニー・マクナマラさんに変わってますよ、と。要はサーチライトピクチャーズ製作になってから、っていうことだと思いますけど、この二作で、だいぶシフトが変わったわけですね、ヨルゴス・ランティモスさん。

ちなみにただ、実は既にヨルゴス・ランティモス、次の作品も撮り終わっていて。サーチライトピクチャーズ製作、エマ・ストーン主演で、『Kinds of Kindness』ということらしいんですけども。こちらは、さっき言ったエフティミス・フィリップさん、ずっと組んできた脚本の方が、戻ってきてるみたいなんで。だからまたちょっと、ここのところの二作とはイキフンが変わるかもしれません、ということですけれども。

とにかく、さっき言ったヨルゴス・ランティモスさんの強い作家性とかカラーはそのままに、特にやっぱりその『女王陛下のお気に入り』以降、本作も含めて、よりグッと観やすいっていうか、飲み込みやすいっていうか……というようなことが言えると思います。先ほどのね、『女王陛下』評の中でもそれを言ったんですけども。特に今回の『哀れなるものたち』は、さらにさらに……『女王陛下』もかなり見やすくなってましたけど、すごく観やすい、飲み込みやすい。めちゃくちゃポップでキャッチーな一作になっていると思います。

もちろん、あくまでもヨルゴス・ランティモスの過去作と比べたら、っていうことですけれども(笑)。少なくともお話上、難しいとか、よくわからない、みたいな展開は、一切ないはずです。なんならお話としては大変シンプルな作品、と言っていいかと思いますね。もちろん、そこからその展開を……話としてはこうだっていうのは理解できるけど、それをどう解釈するか?っていうのは、先ほどのメールにあった通り、結構分かれるあたり、っていうことはもちろん、それはありますけれども。話そのものは、全然「わかる」話です。

原作小説の多層的な語り口

実際、原作小説に対してですね、今回の映画化は、先ほどのトニー・マクナマラさんのまずは脚色がですね、ある種、思い切った整理・シンプル化をしてるんですね。

原作は、アラスター・グレイさんというスコットランドの作家が、1992年に出した小説で。日本ではハヤカワ文庫版がですね、高橋和久さんという方の訳で出ていて。劇場版パンフには、この訳している高橋さんのインタビューも載っていて、ぜひこちらも読んでいただきたいんですけど。

その中にも説明があるように、実は原作小説、結構今回の映画と、起こることとかストーリーの流れはだいたい同じなんですけど、だいぶ語り口が違っていてですね。原作小説は、その作者であるはずのアラスター・グレイさんは、あくまで、ドクター・マッキャンドルス……だから今回の映画だとマックスっていう、あれに当たるようなドクター・マッキャンドルスが残した記録を見つけて。だいぶ、(映画版のマックスとは)ちょっとキャラクターは違うんですけどね、彼の残した記録を見つけて、それを本として編纂したっていう……一応「編者」っていうテイになっていて。なおかつ、その元のマッキャンドルスの文自体も、妻であるヴィクトリア……これ、元はベラ・バクスターである人が後にヴィクトリアって名乗っているんですけども、妻であるヴィクトリアが、その書いたマッキャンドルスさんの死後に息子たちに残した書簡で、「これ、嘘ばっかりだから」って否定していたりとか(笑)。「妄想だらけです」とか言ってたりとか、さらにその、さっきから言ってる編者というテイのアラスター・グレイという本の著者によって、そのヴィクトリアの言ってることも揺るがされたりする、みたいな感じなんですね。

で、加えて、さっき「大人の絵本」っていう言い方をしましたけど、まさにこれ、イラストレーターでもあったアラスター・グレイさん自身による挿絵とか、あとは図版とか……あと、今回の映画版にもちらっと出てきますけど、ベラが初めてその世界の残酷な現実というのを目の当たりにして、ショックを受けて。で、ゴッドたちに手紙を、ハガキを送るっていう。で、そこに、殴り書きした文字が書かれてるんですよね……その、殴り書きした手紙の乱れた文字そのままが、ページに載ってたりとか。

そんな感じでですね、それぞれ異なる次元のビジュアル要素っていうのも、複数、挟み込まれていたりして。要はその、何層もの異なるレイヤーが重ねられて、全体像を……「じゃあ、こういうことか?」みたいなものが見えてくる、みたいな小説の作りになっているんですね、原作小説の『哀れなるものたち』、アラスター・グレイさんの作品は。

普遍的な寓話として整理・シンプル化した映画用脚色

で、それに対して今回の映画版に向けたトニー・マクナマラの脚色は、ベラというまっさらな存在が世界を知り、成長していく……特にその古臭い男性中心的な社会を、彼女が軽々と飛び出し、乗り越えていく、というところに視点を絞っている。ベラ視点、ベラの成長譚、というところに絞ってる、ということですね。

それに伴って、たとえばこの原作小説だと、アラスター・グレイさんの住むスコットランド、グラスゴーが結構舞台になっているんですけれど、それが映画版では、ロンドンになっていたりとか。旅行先もちょっとずつ変わってたりとか、ちょっと減らされてたりとか。

映画版ではジェロッド・カーマイケルさんが演じているハリー・アストレーというね、非常にダンディーな、かっこいい黒人男性……彼と、船上で議論を交わすわけですね。要するにその、世界の現実っていうのに対する理想主義、っていうのに関して議論をするわけですけど。原作では、このビクトリア朝時代の世界情勢に、より具体的に言及した議論なんですね。かなり突っ込んだ議論をしてます。要するに、列強がこういう風に植民地を持っていて、それに対して搾取される国があって、日本はこうで……みたいな、そういうのも出てきたりするわけです。だったのに対して、映画では、より抽象化、そして簡略化された議論になっていたりとか。

あとはそうですね、最後に出てくる……ある種ラスボス的に出てくる、悪しき男性性の頂点である、ブレシントン将軍というのが出てきますけども。そのブレシントン将軍との顛末を含めて、終わり方はかなり、ヨルゴス・ランティモス風味にアレンジされています。その将軍とのなりゆききもだいぶ違う上に、小説はだからその先にさらに続いて、ベラがこういう風に生きました、っていう……さらにそれをいろいろと揺るがしたりとか、覆したりする、というその何層ものものがあって、先がさらに続いていくわけですけども。ちなみにベラは、だからそのヴィクトリアって名乗るようになって、要は社会主義的な考えで……で、そのフェミニスト的な運動も含めて、相変わらず世間とぶつかったりしてる、みたいな、そういうのが描かれているわけですけど。

ということで全体にですね、やはりこの映画版の方は、より普遍的な寓話として、特に女性の成長というのを巡る、要するに普遍的な寓話として広く機能するように整理・シンプル化されている、という方向ですよね。

で、これはさっき言った前作の『女王陛下のお気に入り』が、実はこれ、20年前にデボラ・デイヴィスさんという方が調べ上げて書き上げたあるシナリオ、ストーリーを元にしながらも、そのヨルゴス・ランティモスが20年後に映画化する際には、意図的に、元は結構ちゃんと書いてあった歴史考証みたいなものにこだわりすぎず、現代性がミックスされていて。たとえば着るものとか、しゃべり言葉とか、結構現代的になっていた、みたいな。あのアダプテーションのバランスと同じ、という風に思っていいと思います。だからやっぱり、脚本家も同じですし。出演者も重なりますし、っていうんでね。だいぶ同じシフトで作られている作品ですね。

原作の多層性を、映画の総合芸術性に見事アダプテーション!

そしてまあ、これから言及していきますけども、そのヴィクトリア朝時代、ロンドン。あるいはリスボン、アレクサンドリア、そしてパリ、というのを舞台にした物語ではありますが、先ほどのメールもありましたけどね、その描かれている世界は、さっき言ったようにあえて時代考証をそんなにきちんとは……というか、むしろそこは結構無視してる感じで。まさしくベラの成長のごとく、そこから自由奔放にイマジネーションを広げ、なんなら本編に映りきらないような細部まで凝りに凝って作り込まれた、美術に衣装、あとヘアメイク。

あるいは、さっき言ったように、一見現実をベースにしているようで、実は全体がとんでもなく歪んだヨルゴス・ランティモス的世界を、映画的タッチとして表す、撮影に編集。そして、現場で実際に流しながら撮影されたという、音楽ですね。音楽を先に作って、現場で流しながらやった、という。

そういう様々な、映画を成り立たせる……映画は総合芸術ですから、いろんな様々な要素、その全てが折り重なって、唯一無二の「ベラから見た世界」を、映画作品として立ち上がらせていく、というこの感じはですね、不思議とやっぱりちゃんと、原作小説を読み切った時の──つまり複数の異なる要素が積み重なって全体像をなしている小説だ、ってさっき言ったけれども──映画として、観終わると結局、やっぱり美術とか衣装とか、その一個一個にメッセージとかの読み取り甲斐があるので。「映画というものの多層性」に、それ(原作小説の多層的な作り)が置き換えられているので。ストーリーはシンプルになっているんだけど、観終わった時の感じは、「原作小説を読み切った時の感じ」にしっかり近いものになっている、っていう。だから、めちゃくちゃ考えられてるし、よくできてるな!っていうか。原作を読むとさらにそれは思いますね。

なんなら、この小説を「映画にする」には、このやり方以外はちょっと考えられないんじゃないかな、というものに、結果はっきりなっていると言わざるを得ないのが現状、じゃないでしょうか? 他のやり方はないんじゃないかな、っていうぐらいですね。

(後編に続く)

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