元阪神・横田慎太郎選手 28歳でその生涯を閉じるまでの軌跡を描く『栄光のバックホーム』ゆず「栄光の架橋」が主題歌に決定
2013年、阪神タイガースにドラフト2位で指名され、2014年に入団した横田慎太郎選手。若きホープとして将来を期待されるも、21歳で脳腫瘍を発症。引退を余儀なくされた彼が最後の試合で魅せた“感動のラストプレー”は、野球ファンのみならず、多くの人々の心に今なお、深く刻み込まれてる。その1球に込められたドラマを描いた横田選手の自著「奇跡のバックホーム」と、彼が2023年に28歳でその生涯を閉じるまで、母・まなみさんら家族と共に闘い続けた人生の軌跡を描いたノンフィクション「栄光のバックホーム 横田慎太郎、永遠の背番号24」が、幻冬舎フィルム第一回作品『栄光のバックホーム』(企画・監督・プロデュース:秋山 純、脚本: 中井由梨子)として、映画化。11月28日(金)より公開される。
感涙のノンフィクション・ストーリー
主人公の横田慎太郎選手を演じるのは、元高校球児でもある新人・松谷鷹也。ともにプロ野球選手の父を持つ横田選手と松谷は数年前から親交を深め、横田選手はグローブを、松谷は俳優として最初に着た衣装をお互いにプレゼントし合った。横田選手がホスピスに入ってから松谷は大阪に泊まり込み、横田選手に寄り添った。劇中で松谷は、横田選手から譲り受けたグローブで奇跡のバックホームを完全再現する。そして、W主演を務めるのは、横田選手の母・まなみさんを演じる名優・鈴木京香。揺らぐことのない息子への愛を強く、優しく演じる。野球を愛し、野球に生きた横田選手と、彼を優しく見守り支え続けてきた母・まなみさんの姿が、観る者の心を打つ感動の<実話>となっている。
2013年のドラフト会議で阪神タイガースに2位指名された横田慎太郎、18歳。甲子園出場を逃すもその野球センスがスカウトの目に留まり、大抜擢された期待の新人だ。持ち前の負けん気と、誰からも愛される人間性で厳しいプロの世界でも立派に成長を遂げていく慎太郎。2016年の開幕戦では一軍のスタメン選手に選ばれ、見事に初ヒット。順風満帆な野球人生が待っていると思われたその矢先、慎太郎の体に異変が起こる。ボールが二重に見えるのだ。医師による診断結果は、21歳の若者には残酷すぎる結果だった。脳腫瘍—。その日から、慎太郎の過酷な病との闘いの日々が始まる。ただ、孤独ではなかった。母のまなみさんら家族、恩師やチームメイトら、慎太郎を愛してやまない人たちの懸命な支えが彼の心を奮い立たせるのだった。そして、2019年9月26日、引退試合で慎太郎が魅せた“奇跡のバックホーム”は人々を驚かせ、感動を呼んだ。だが、本当の奇跡のドラマは、その後にも続いていたのだった…。
横田選手は闘病の期間中、「栄光の架橋」の歌詞に自分を重ね合わせて感動、楽曲から力を得て、復活までの日々を闘った。そして、この楽曲とともに病と闘う横田選手へ、ゆずのリーダーである北川悠仁がビデオメッセージでエールを贈ったエピソードは、横田まなみさんの目線で描かれたノンフィクション「栄光のバックホーム 横田慎太郎、永遠の背番号24」にも登場している。「栄光の架橋」の歌詞の中で、特に横田選手の心を打ったのは、「悔しくて眠れなかった夜があった 恐くて震えていた夜があった もう駄目だと全てが嫌になって逃げ出そうとした時も 想い出せばこうしてたくさんの支えの中で歩いてきた」の部分で、横田まなみさんからはこの曲が慎太郎さんと自分にとって特別な存在であり、「息子が闘病中、そしてグランドに戻ってからも目の影響で悩み苦しみました。そんな時、この『栄光の架橋』という曲があまりにも自分の人生と重なり共感しました。そしてこの曲が自分の大きな励みとなり支えられて立ち上がり、あの奇跡のバックホー厶が生まれたと思っています。この曲は自分の人生と重なっていると最後のホスピスでも毎日流していました。穏やかな顔をしていました」と、コメントを寄せてくれた。
28年の生涯を全うした横田慎太郎さんに、最大限の敬意を表して「栄光の架橋」を贈ります。
(ゆず)
阪神タイガースが甲子園球場で18年ぶりのリーグ優勝を決めた2023年9月14日には、横田選手とドラフト同期の岩崎優投手が9回表に登板する時、自身の登場曲を「栄光の架橋」に変えた。その際、4万人の観客が横田選手を想い大合唱したことは、球史に残る出来事となった。
『栄光のバックホーム』は11月28日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー