広陵高校の暴力事案について、元いじめられっ子が思うこと
2025年8月5日から始まった夏の甲子園。しかし、SNS上で大きな話題となっているのは、出場校である広陵高校野球部の暴力事案だ。
元いじめられっ子である私(中澤)からすると思うところがあるこの件。そこで個人的に感じたことを以下に書きたい。
・事案
まず、本件の概要。NHKが報じたところによると、当時1年生の野球部員1人に対し2年生の部員合わせて4人がそれぞれ個別に暴力を伴う不適切な行為をしたという。
暴行を受けた部員はその後転校。学校は事実関係を高野連に報告し厳重注意を受けた。本件は2025年1月から3月のことだが、今SNS上でこの話題と共に見受けられるのはもっと踏み込んだ真相めいた告発。これを受け、高野連は改めて「SNSなどで拡散されている内容と学校から報告された内容には違いがある」旨と「大会出場の判断に変更はない」旨を発表している。
野球部で暴力と言えば、多くの人が思い浮かべるのがPL学園だと思う。名門で知られていたPL学園野球部が集団暴行の発覚により事実上廃部になったことは高校野球の黒歴史と言っても過言ではない。
・トラウマ
ただ、私が野球部と暴力の組み合わせで思い至ったのは、自分の人生に直接絡んできた人物の顔だった。私がいじめられたのは中学生の時なんだけど、いじめっ子がモロ野球部だったのである。
おりしも時代は渋谷チーマー全盛期の少し後。大阪の田舎には依然悪いのがかっこいいという流れが強く、中一のクラスで同じになった野球部は先生にバレないように私に暴力を繰り返した。
この先生にバレないようにというのがミソで、一番心に来たいじめを上げると、体育の時間に私の目でダーツしてたこと。100m走のスタートラインに立った時に、順番待ちで体育座りしてる野球部2人が小石を目に向かって投げてくる。黒目に当たったら100点だ。
野球部たちは行儀よく列に並んでいるように見える姿勢なので、それを止めようとしたら先生の目からは私が問題のキッカケを作ってるように見えるし、そう言い訳するのは簡単だろう。少なくとも、中学生の私はそう思った。上からの目線では見えない角度がある。いじめっ子は、悪いと分かっていることを隠すことにもゲーム性を感じているように見えた。
・普通の対応について
そんないじめは同じ高さの目線からは明らかなようで、クラスメイト全員がいじめについて知っていた。その野球部と一緒になっていじめてくる人がいなかったことだけは幸いなことだったと思う。いじめに加担もせず、助けもしない。それで中立と考える選択は普通だ。
しかし、当時思っていたのは、それはフェアではないってこと。経験上、いじめっ子は、その普通な中立勢を引きこむのがめちゃウマイ。いとも簡単にグループを作っていじめられっ子だけを除外する。そうなると、前述の中立は立派な加担になるのである。
・当時の理想
したがって、当時の私が願っていたことは、いじめっ子も孤立させて欲しいというものだった。全然殴り返したいわけじゃない。変な正義感を見せて私と仲良くしたら自分もいじめられるかもというのも分かるし、いじめっ子が怒られるとか、逆に歯には歯を的にいじめられることも望んでなかった。
ただ、いじめられっ子が孤立してるんだから、いじめっ子も孤立させるのがフェアじゃないかとは思っていた。
しかし考えたら、成長するにつれ、形を変えた暴力やいじめに出くわす中で、私自身もベストの対応ができなかったこともある。知らないうちに加害者になることもあるし、加害者が思ってる以上の被害を与える場合も多い。
なお、J-CASTによると、被害生徒の保護者からは「学校が確認した事実関係に誤りがある」と指摘があったという今回の件。学校側は改めて事実確認をし、「新しい事実はなかった」とした。
現在、SNS上で学校や高野連の対応についてまで非難を巻き起こしている。学校や高野連にはフェアな対応を願うばかりだが、他人事の批判よりも身近なことから考えるべき問題だと思う。
例えばモラハラをしていないか。気づかないフリをしていないか。フェアじゃない状況を作り出す要素になってしまってはいないか。1人1人が変わっていけば、いずれは社会も変わるのではないかと思う私は夢想家なのかもしれないけれど。
参考リンク:NHK、J-CAST
執筆:中澤星児
Photo:Rocketnews24.