【静岡の高校サッカー戦後史Vol.61】清水商業(現清水桜が丘)が1981年度、全国選手権ベスト4
【清水商⑥】宿敵打倒 選手権も4強
※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。静岡サッカー応援アプリ「シズサカ」でまとめてご覧いただけます。
勝負を挑む時、目標は高いほど燃える―といわれる。1981年(昭和56年)度の全国選手権県予選を前に、清水商は“打倒清水東”に燃えていた。清水東は前年度、全国総体を制し、選手権は準優勝、81年度は総体2連覇と無類の強さを誇っていた。旧清水市内のライバル校であり、清水商にとっては何としても越えなければならない目標だった。
さて、選手権予選。清水商は総体予選で4強入りできなかったため、第2シードに回り、第2関門のリーグ戦で清水東と激突した。
清水東に逆転勝ち
ともに2勝同士で迎えたリーグ戦最終日。清水商は先手を取られたが、気迫に満ちたプレーで盛り返し、2−1の逆転勝ちで決勝トーナメントに進出した。両校には小学校時代から全清水などでともに戦った、かつての仲間が名を連ねていた。「どうしても勝ちたかった」という主将の後藤義一(JFL高崎監督)は、記念誌・蹴闘[シュート]に「全てを懸けた一戦」と記している。
“打倒清水東”を達成して臨んだ、4校で争う決勝トーナメント。初戦は藤枝東の鋭い出足に苦しんだが、1−0で競り勝った。静岡工と対戦した決勝は、押し気味に進めながら決め手を欠いた。だが、後半終了直前、豊島寿文(富士通)が豪快に蹴り込み、1−0で勝利を収めて、3度目の本大会出場を決めた。
韮崎との準決勝
大会入りを前に、県予選でしのぎを削った清水東と練習試合を行った。結果は0−3の完敗だった。守りのリーダーだった佐野達(JFL長崎監督)は「これで気持ちが引き締まった」ことを記憶している。
10年ぶりに踏んだ全国選手権の舞台。初戦(2回戦)の天理(奈良)戦は鍋田佳孝(三菱電機)、3回戦の八千代(千葉)戦は豊島の決勝弾で、ともに1−0で下して8強入りした。準々決勝は前半に後藤、後半に鍋田が決めて、作陽(岡山)を2−0で退け、10年前と同様、準決勝に駒を進めた。
相手は韮崎(山梨)だった。前半開始50秒、左サイドのFKを生かし、後藤が先制点をたたき出した。早々と先手は取ったものの、勢いに乗れず逆に2失点。終盤の同点弾も際どいオフサイドで幻と消え、1−2で逆転負けを喫した。
決定力不足も響いて、決勝進出は逃した。だが、2年前の総体8強からの前進に、評価は間違いなく高まった。(敬称略)