名前が似ている画家マネとモネ。フランス本国でも間違えられた2人の違いと関係とは?
マネとモネ。2人とも19世紀フランスの画家ですが、全然別の人物です。 名前がよく似ているため、間違えられる事例は枚挙に暇がありません。日本だとモネの知名度の方がバツグンに高く、マネはあまり知られていないため、「マネ」は「モネ」の書き間違え・言い間違えだと思われることも。
名前が似ているだけでなく、活動期間が被っており、作風も近しいマネとモネ。フランス本国でも間違えられる事件が多発した2人の画家の芸術に、あらためて迫ってみたいと思います。
マネとモネ、よく似た2人の画家の違い
まずは、マネとモネの生没年などプロフィールを簡単に比べてみましょう。名前以外にどんな共通点や相違点があるのか見ていきます。
名前エドゥアール・マネクロード・モネ生没年1832-18831840-1926傾向写実主義、印象派印象派国籍フランスフランス
いや、似ているところばかりでは!?
2人ともフランスの画家で、生きた時代も重なっています。当時台頭したばかりの印象派に関わる画家でもありました。つまり、すごく似ているんです。違いを探したいのに…。
ちなみにマネの方が8歳年上、かつ美術界で頭角を現した時期も早いので、マネが先輩、モネは後輩という立ち位置。「まみむめも」では先に「ま」、後に「も」が来るので、マネが先輩、モネが後輩、と覚えることはできる…と思いますが、強引かもしれないですね。
マネとモネ、入れ替わってる!?フランスでも間違え事件発生
クロード・モネ《積みわら》
日本語でも見間違えやすいマネとモネ。実はアルファベット表記も「Manet」と「Monet」で1文字違いです。しかも「a」と「o」は丸っこいフォルムがよく似ており、カタカナ表記よりも間違えやすそう…。
というわけで、フランス本国でもマネとモネの取り違えが頻発。活動時期が重なるので、同じ展覧会に出品しては間違われていました。
エドゥアール・マネ《フォリー・ベルジェールのバー》
ときには、「マネさん、入選おめでとうございます!」という祝福ムードのなか、マネが気分上場で展覧会会場に赴くと、実際に入選したのはモネの方で、自分は落選していた…なんてこともあったようです。(これはマネが可哀想すぎる)
しかも、苗字のアルファベット順で展示されると、マネとモネの絵は高確率で隣同士に。絵を見る人々からは常に比べられる状況にありました。
先輩画家のマネは当初、「売れるために自分の名前をパクった奴がいる!」と憤慨。画風も似ていたことから、自分の猿真似をするけしからん輩だ、くらい思っていたのではないでしょうか。(マネだけに真似)
クロード・モネ《草上の昼食》左, Public domain, via Wikimedia Commons. クロード・モネ《草上の昼食》右
一方、後輩に当たるモネは、マネの芸術に胸を打たれて尊敬していました。そのリスペクトぶりは、マネの代表作《草上の昼食》をオマージュした同名の絵画を制作するほどです。
幸運にも、「モネはマネの偽物」という誤解は早いうちに解け、親しくなれた2人。お金持ちのマネはモネの活動を支援するまでなりました。最悪の第一印象から大逆転を決めたモネ、よほど可愛げのある後輩だったのでしょうか…?
エドゥアール・マネの代表作3選
ここからは、モネとマネの絶対に押さえておきたい代表作を3つずつ紹介します。まずは、印象派の画家たちに大きな影響を与えたマネの作品からいきましょう。
①草上の昼食
エドゥアール・マネ《草上の昼食》
マネは写実主義または印象派とされる画家ですが、写実主義と捉えたほうが理解しやすいと思います。写実主義とは、ありのままの現実を描き出す芸術傾向です。
それまでの伝統的な絵画は、「絵とはこのように描かなければならない」という暗黙のルールに縛られており、現実世界と絵画世界の間にはギャップがありました。
そこに颯爽と現れ、「暗黙のルール? 何それ知らなーい」と、伝統に挑んだのがマネです。《草上の昼食》は、その代表作。挑発的なマネの姿勢がよく表れています。
1863年、《草上の昼食》は発表と同時に批判の的へ。その理由は、「現実の女性の裸体を描いたから」です。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(ジョルジョーネ作とも)《田園の合奏》
ヌードの男女を描いた作品は過去に大量にありますが、いずれも神話をテーマにしていました。「神々は人間のように服をまとっていないから、裸の姿で描くべし」という理屈があるのですが、実際はまあ、恥はかきたくないけど欲は満たしたい権力者たちによる「ポルノではなく芸術だ!」という言い訳です。
「ヌードは神話画に限る」という暗黙のルールが、まかり通っていた時代。マネはそのルールを破って現実の女性の裸体を描いたため、美術界が大慌てしてスキャンダルに発展しました。
②オランピア
エドゥアール・マネ《オランピア》
マネは《オランピア》でも現実の女性の裸体を描きました。「オランピア」は、当時の娼婦の呼び名。さらに、黒人女性を白人女性の召使いとして描いたことも、非常に現実的です。
構図は16世紀イタリアの巨匠ティツィアーノによる《ウルビーノのヴィーナス》を借用したと思われます。ヴィーナスという女神を描いた神話画ですが、マネはここに現実の娼婦や階級・格差のモチーフをぶつけました。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ウルビーノのヴィーナス》
作品を見た当時の人々の気持ちは想像することしかできませんが、富裕層は鋭いナイフで胸をえぐられる心地がしたのではないでしょうか? マネは理想化された芸術の世界に、現実を持ち込んで突きつけたのですから。
かくいうマネは、裕福な家庭に生まれたお坊ちゃんでした。次々にスキャンダルを起こしても平気だったのは、実家が太くてお金に困っていなかったからだ、とも言われています。
③笛を吹く少年
エドゥアール・マネ《笛を吹く少年》
《草上の昼食》と《オランピア》が美術界から受け入れられず、スペインに逃れたマネ。そこで、スペイン絵画の黄金時代をリードした17世紀の画家ベラスケスに感銘を受けます。
ベラスケスを「画家の中の画家」と呼んで崇めたマネは、特に《道化パブロ・デ・バリャドリード》に熱中。「背景が消え、空気だけが人物を包んでいるように見えた」と、手紙で友人に感想を語りました。
ディエゴ・ベラスケス《道化パブロ・デ・バリャドリード》
マネがパリに戻ってすぐに取りかかったのが、《笛を吹く少年》です。背景や副題を大胆に省略した本作は、浮世絵の影響もあったのか、画面は平面的に構成されています。しかし、足元には斜めに伸びる短い影。たったこれだけで、マネは絵画の空間を成立させました。
当時のパリでは背景を描き込んで奥行きを作る絵画が主流だったため、《笛を吹く少年》の平面性は「トランプのカードみたい」と批評家に鼻で笑われたことも。それこそがマネが狙った効果だったのですが。
美術界が当たり前としてきた「常識」を問い、そのおかしさや偏りを白日の下に晒してきたマネ。現実の不都合な部分からも目を背けない姿勢は写実主義の画家にふさわしく、格好よくないですか?
クロード・モネの代表作3選
クロード・モネ《睡蓮の池》
一方、モネは印象派の巨匠。印象派は、写実主義の「ありのままを描く」という流れを受けて誕生しました。
(個人的には、印象派が受け継いだ「ありのまま」は写実主義の本質ではなかったように思いますが…。だって写実主義は「誰もが見てないふりをしている社会の盲点」を見える形にしたのであって、単に「目に見えたものを描く」だけではなかったじゃないですか…。ごにょごにょ……)
それはさておき、モネはルノワール とともに「筆触分割」という技法を見出すなど、印象派をリードする重要な画家です。モネの代表作も3つ見ていきましょう。
①印象・日の出
クロード・モネ《印象・日の出》
モネの代表作のひとつであり、印象派の由来にもなった《印象・日の出》。フランス北西部の都市ル・アーヴルにある港の朝の風景を、素早い筆致で描き出しました。
悪く言うと仕上げが大雑把な本作は、発表当初は批判を集め、ある批評家が悪意を込めて「印象主義」と形容。魔翻訳すると、「ぼんやりしてて何が描いてあるのかわからない絵」といったところでしょうか。
しかしこの悪口は良い意味で的を射ていたようで、当事者の画家たちは自ら「印象主義(印象派)」を名乗るように。《印象・日の出》は、印象主義・印象派のアイデンティティという意味でも重要な作品です。
ちなみに、現在は日の出の絵とされていますが、日の入りと考えられていた時期もありました。モネが見た景色に迫りたい研究者たちにより、《印象・日の出》は何年何月何日、何時何分何秒の風景を描いたのか、今も研究されています。
②睡蓮
クロード・モネ《睡蓮》
モネの画業を代表するモチーフといえば、「睡蓮」です。1890年代から繰り返し描かれ、睡蓮を描いた絵画は他にもたくさん存在しています。
モネが睡蓮を観察したのは、ジヴェルニーの自邸の庭。なんと庭に池を作り、睡蓮を育てていました。ジャポニスムの影響か「日本風の橋(太鼓橋)」もかけられ、モネは理想の庭園を追求しました。
モネ、自邸の「日本風の橋」の前で
睡蓮に限らず、モネは同じモチーフで何度も絵画を制作したため、描くものは連作になりがちです。ときには、同じモチーフ・同じ構図でコピーのような絵を描くこともありました。
なぜ、ひとつのモチーフにこだわって描くのか? それは、モネが「時々刻々と移り変わる光がもたらす風景の変化」に関心を寄せていたからです。同じモチーフばかり描いていたのではなく、異なる光を描いていたのです。
睡蓮はモネが特に多く描いたモチーフ。さまざまな色で描き出された花と水面は、季節や時間の移ろいを思わせます。
③散歩、日傘をさす女
クロード・モネ《散歩、日傘をさす女》
《散歩、日傘をさす女》は、最初の妻カミーユをモデルにした人物画です。描くものが連作になりがちなモネらしく、日傘をさす女性と子どもの絵も本作のほかに複数存在しています。
風景画で名を上げたモネですが、キャリアの初期には人物画もよく描いていました。しかし、光の効果を追求するようになってから、人物の描き方にも変化が。「風景画のように人物画を描きたい」と言い、顔などの細部がぼんやりとした、まさに「印象」派らしい捉え方で人物を描き出しました。
クロード・モネ《戸外の人物習作(左向き)》
光と色の捉え方も秀逸です。《散歩、日傘をさす女》では、女性が逆光を浴びているため、白いドレスは陰になって青みを帯びています。一方、秀作では右から強い光を浴びて、ドレスの色にも変化が。地面の花々の色が反射しているのか、赤っぽく染まって見えます。
【まとめ】名前が似ているマネとモネの違いとは?
マネとモネは、ともに19世紀のフランスで活躍した画家です。マネは写実主義(または印象派)、モネは印象派。名前やプロフィールはよく似ているけれど、描きたかったものはまったく異なります。
マネは、美術界の当たり前を覆すセンセーショナルな絵画を。モネは、風景を変化させる光の移ろいを。
本記事が、マネとモネそれぞれの個性を楽しみながら鑑賞するヒントになれば幸いです。