勉強が向いている人とは? 「“そのとき”が入学式」――昆虫・動物だけじゃない、篠原かをりの【卒業式、走って帰った】
動物作家・昆虫研究家として、さまざまなメディアに登場する篠原かをりさん。その博識さや生き物への偏愛ぶりで人気を集めていますが、この連載では「篠原かをり」にフォーカス! 忘れがたい経験や自身に影響を与えた印象深い人々、作家・研究者としての自分、プライベートとしての自分の現在とこれからなど、心のままにつづります。今回は勉強が得意と思われがちの篠原さんの考える「勉強に向いている人」のお話です。
※NHK出版公式note「本がひらく」の連載「卒業式、走って帰った」より
「そのとき」が入学式
私は寝る前に英語のアプリを開いて、うとうとすることにしている。Epop(イーポップ)という韓国のアプリで操作性が良いので気に入っている。
夫は、そんな私のルーティンを何度見ても信じ難く思っているようである。
私は最初、なぜ不思議がられているのか分からなかった。何もおかしなことをしていないではないかと思った。英語の問題を解いているうちに、眠気がやってきて、いつの間にか夢の世界に行けるし、多少は英語も勉強できて一石二鳥だ。
ところが、夫は勉強すると目が冴えるというのだ。
「なるほど、これが小中高で勉強が得意だった人とそうでない人の違いか」と思った。
私は、勉強すると、眠くなるだけではなく、サラサラの鼻水が出ることもある。子供の頃は、アレルギーじゃないかと真剣に考えたこともある。ちなみに、同じく勉強ができない弟もサラサラの鼻水が出ると言っていたが、今のところ、弟としか分かり合えたことがない。
私は、勉強、とりわけ高校までの勉強が苦手だ。学年で下から5本の指には入っていた。それなりの進学校だったので、劣等生と言っても、たかが知れていると思う人もいるだろうが、私は小学校受験で入ったので、受験勉強を経験していない。勉強ではなく、賢げに人の話を聞くことや素早いクマ歩き(小学校受験でよく出題される四つん這い歩行)によって入学した。唯一自信があった生物も、指導要領の変更によってとんでもなく範囲が広がったので、もう一度0から勉強しないと得意とは言えなくなってしまった。
しかし、慶應義塾大学で分子生物学を専攻し、修士号まで取得し、クイズ王としてメディアにでたこともある私は、もう「勉強ができない」という事実を他の人に信じてもらうことが難しい。
基礎知識がボロボロのまま、学歴という立派な上物だけ重ねている砂上の楼閣を築いてしまっているような感じで、心の中では誰にともなく常に「助けて!」と手を振っている。
このままあと60年逃げきれるとも思わないので、世間で抱かれている自分のイメージに追いつくために、勉強している。何度も考える。小中高で勉強するためだけの時間があったのに、なんであのときにもっとしっかり勉強しておかなかったのだろうと。私は、藁(わら)の籠を編んだり、窓の外を眺めたり、独自に創作したゲームを一人でしていることに小中高の学生生活を費やしてしまった。今は得意かそうでないかは置いておいて、勉強することは好きだ。しかし、この忙しい生活の中で勉強する時間を捻出するのは簡単なことではない。
とはいえ、今の私のまま戻れるならしっかり勉強し直すことができると思うが、当時の私はどうやっても勉強できなかったとも思う。
今思えば、私は、かなり心がゆっくり成長し、時間をかけて物心がついたように思う。
5歳までカトラリーの必要性が分からなくてつかみ食べをしていたし、「所有」の概念を理解するまでに他の人より時間がかかったので、私が落とした鉛筆は私に拾われることなく、全て落とし物箱に入った。なぜ、他の人の邪魔をしていないのに、授業を聞いていないと怒られるのか分からずに、学校では悲しい気持ちでぼーっとしていた。だから、義務教育期間や高校時代に勉強しておかなかったことはもったいないことではあるけれど、最初から私の勉強する時期は、6歳から18歳の間ではなく、18歳から今、もしくはこれからだったのだと思う。私は、子供時代、人の背中を追いかけることばかりだったけれど、もろもろの遅れを「長生き」によってつじつまを合わせるつもりで生きている。
他にも、何らかの理由によって勉強するべきとされている期間にうまく自分のタイミングが合わないことはよくあることだと思う。
私の母も、勉強好きのタイプではなかった。高校まではそれなりに勉強が得意だったが、興味自体が勉強に向いているタイプではなく、大学は、偏差値も学部も関係なく「おしゃれさ」で選んで受けて、受かったところに行ったと聞いた。
それでも、人は生きているうちにいろいろな経験をして、キャラクターも変わる。働いた経験や、一筋縄ではいかない家族を守る暮らしを通して、さまざまな思いをして、再び勉強と再会する。
私が大学院の修士課程を修了した翌年、母が別の大学院で修士課程に入学した。
そばで見て、母の圧倒的な強みは、自分を信じきることだと思った。
例えば、私は努力したとして、自分が東大に入れるとは思わないのだが、もし、母に東大に入りたいと思う気持ちが芽生えたら、彼女はそれを叶えるまで努力しそうだ。そんなすごみがある。
私は、劣等生として過ごしていたとき、他者の評価や視線にかなり心折られ、自信を失っていたのだが、母が信じる彼女の力を何人たりとも折ることはできないだろう。だから、60歳近くなって、大学院に入学し、修了までやり遂げることができたのだと思う。
たくさんの人間が集まって暮らしているこの社会では、自分と誰かを比べることは簡単だし、他者によって勝手に比べられることもざらだ。誰かに無理だと言われれば、無理な気がしてしまうし、向いていないと言われれば、そんな気もしてしまう。他者の評価や意見より自分を信じることは、意外なほど難しい。
学び直しをした身近な人は他にもいる。私は、父方の叔母の専門学校入試の志望理由書を指導したことがある。叔母は、50歳ぐらいのとき、亡き祖母に反対されて10代の頃に一度断念した分野の専門学校を目指すことにしたのだ。
先ほど、私は、勉強ができないと言ったが、パワータイプに偏った親族内では随一の秀才なので白羽の矢が立ったのだ。
叔母は自信なさげにしていたけれど、私を頼れるのだから、きっと入学後もやっていけるだろうと思った。
私には、姪(めい)や甥(おい)はまだいないのだが、20歳以上年の離れた、甥姪感覚の従姉弟(いとこ)がいて、いつか彼らに何かを教わることを想像すると、かなり不思議な気持ちになる。嫌なわけではなく、教わる対象として考えもつかないのだ。
30歳の私の周りで、まだ「先生」や「師」と呼べる人の多くは、年上である。でも、いつか、私も自分の半分の年齢の師に教えを請う日がくるかもしれない。姪どころか、孫やひ孫に何かを教わる日がくるかもしれない。この世に寿命がある限り、年上は減っていくばかりだが、年下は、少子化のあおりを受けながらも供給され続ける。だから、誰からでも偏見なく学ぶ気持ちは、生涯学習に必要不可欠なスキルだ。
勉強とは、決して青少年のためだけに存在するものではない。人生の最初の方にしか存在しないのはもったいない。
大人になって再び巡り合うチャンスは、仕事の中に、日々の暮らしの中に、自然の中に、誰かの中にもいつでも存在している。
それを拾い上げることができるのは、勉強が得意な人や若くて吸収力のある人だけではない。自分はできると信じきる心を持つ人やどこからでも誰からでも学ぼうと心の門戸を開いている人なのだと思う。
私は勉強が苦手だ。それは今でも変わっていないと思う。けれど、勉強に向いていないとは思わない。眠くなろうが、サラサラの鼻水が出ようが、少しずつでも前に進もうとしているのだから、それは向いているとしか言いようがない。
プロフィール
篠原かをり(しのはら・かをり)
1995年2月生まれ。動物作家・昆虫研究家/慶應 義塾大学 SFC 研究所上席所員。これまでに『恋する昆虫図鑑~ムシとヒトの恋愛戦略~』(文藝春秋)、『LIFE―人間が知らない生き方』(文響社)、『サバイブ<SURVIVE>-強くなければ、生き残れない』(ダイヤモンド社)、『フムフム、がってん!いきものビックリ仰天クイズ』(文藝春秋)、『ネズミのおしえ』(徳間書店)、『歩くサナギ、うんちの繭』 (大和書房) 、『かわいいが見つかる! 推しいきもの図鑑』(永岡書店)、『見つけたら神! すごレア虫図鑑』(日本文芸社)などを出版。
バナーイラスト 平泉春奈